第32話
《はい! というわけでね、そろそろ運び出して行きたいんですけど……うわぁー、今、パリ北駅近くの建物の一階をお借りしてやっていたのですが、外に僕のファンの方々ですかね! たくさん集まってきています!》
カメラを外に向けながら気をよくし実況する。今の自分は無敵になった気がする。それもあのピアノのおかげだ。
ゲリラと言いつつも、バレること前提で用意をしてきているため、それほどスタッフは慌てていない。むしろもっと集まるかと思った、くらいに考えていた。防音パッドを外し、外に出る準備を進める。場所はすぐ近くなので、ピアノにキャスターをつけて移動する。到着するまで大勢のファンを引き連れて到着するところまでがシナリオ。一部、勝手な女のせいで予定が狂いかけたが、なんとかここまでは持ってこれた。
《ありがたいことですよ、ほんと。でもね、そろそろ向こうに行って、いろんな準備しなきゃなんで、すいません! 移動お願いします! このまま転がしていきます!》
大きく扉を開けてピアノと共に外へ。少し風が出てきていてより寒い。冷やさないように厚手の手袋で暖を取りながら、会場に向かう。移動五分、用意一〇分、その他諸々で一〇分と予想して、約三〇分後には演奏開始。早く弾きたくてしょうがない。こんな気持ち、久しく感じていなかった。いつも利益や好感度を意識していて、自分のために弾くことがなく、今日は自分の第二のスタートとしていきたい。ピアノはしっかりと面倒をみれば、ちゃんと応えてくれる。
《ありがとう! ありがとうございます! このあと無料でやりますのでね、みなさんも来てくださーい!》
布をかけたピアノを押しながら、パリ北駅に向かってゆっくりと歩いて行く。自ら先頭に立って宣伝しながら「あの人見たことある」なんて視線を浴びつつ、手を振り、写真撮影にも応じる。人見知りだった過去が嘘みたいだ。
走れば一分で着くところをゆっくりと七分ほどかけ、民衆を引き連れて歩くジャンヌダルクのような出立ちで会場に着いた。警察がそこかしこにいる。警備は任せた。いつも迷惑かけてすまない。
《はい、着きましたー。会場のほうも準備していただいちゃって。ありがたいですね、本当に。調律も先程終わりまして、このあと、少しトークをさせていただきまして、そのあと、みんな早くやれよって思ってると思いますけど、ニ曲弾かせていただきます、寒いんでね! 早くやっちゃいましょう!》
駅構内ということで、外よりはマシだが、それでも温度は一〇度いっているかどうか。高い天井も相まって、今日のエラールならどこまでも響いていきそうだ。
《ここに移動してくる前にね、配信の方で弾かせていただいたんですけど、本当にすごい調律でしてね。まぁ、こういう場所であったり、歩いてらっしゃる方とか、案内のアナウンスとかありますんで、どうしても質は落ちてしまうかもしれませんけど、ご了承ください。無料なんでね!》
保険も利かせ、いざ演奏。集まってくれたファンのみんなは写真を撮ったり歓声をあげている。ピアノ弾くんだから少し静かにしててほしい。トークなんかどうでもよくて、さっさと弾かせてくれ。今までの自分とは違う、新しい僕を見てほしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます