第73話

 カチャン、と小さな音を立てて、ルノーがコーヒーをソーサーに置く。


「お見事」


 リサイタルも終わり、教会地下のカフェレストランで暖を取りつつ、食事をするルノーとサロメ。


 ヨーロッパの教会にはこういった食事ができる教会が多数あり、裏門などから入ることができる。ただ、総じて営業時間は数時間程度。食事の料金は安いが、代わりに席料のようなものを取られる。メンバーになっていれば多少安い。


 まるで高速道路のトンネルのような、石造りの地下通路。その両側の壁に沿って、簡素な木のテーブル。ひとり席であったり、四人席であったりと、バラバラに自由に座る。もちろん、混んでくると相席になる。


 だいたいはスターターとしてサラダやパンなどがすでに置かれており、好きなものを選んで席に着く。それを食べ終わると、メインの注文を店員が取りに来る。ちなみに、この店員もボランティアで時給などは出ない場所も多い。お客さんも、初見よりは常連が多いのだ。


「なにが?」


 もう調律は終わったので、だいぶ脱力しているサロメ。明日は休みだしどうしようかな、という予定を立てていて、話はあまりちゃんと聞いていない。


 運ばれてまだ間もないピアノ。運搬の際には毛布などを、緩衝材や保温として包む場合が多い。ゆえに状態は保たれている。しかし、温度の低い場所に置くことは、急激に木でできているピアノが収縮し、弦の張りが強くなる。


 だからこそ、サロメは一時間後の収縮にベストを持ってくるように、あえて微細に緩くハンマーを回した。ゆえに、時間が経てば経つほどに理想とした音に近づく。


 少しリサイタルを思い返したサロメは、ポーッと思考が鈍くなる。


「コンサートやらリサイタルってのは難しいね。色々考えることが多い」


 その人の人生を変えるかもしれない、そんな気負いはないが、自宅のピアノの調律などよりは、様々な想いが入り混じる。本格的にやっている人も多いので、より要求が細かだ。


「の割には、しっかりできてたな。いいショパンだった。好きなもの食べなよ」


 弾いていたブリジットも、よほど弾きやすかったのか、自宅のピアノの調律もルピアノで、という運びになった。顧客獲得に貢献したサロメを、ルノーは労う。


 珍しく、食にあまり手が伸びないサロメ。とは言っても、サラダ・ステーキ・デザート・フロマージュはすでに食べ終わっている。


「……これも違った。いいピアノだけどね」


 ザウター『オメガ220』。探しているものとは違う。心に書き留める。

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