四十四話 終わらない復讐

 紫音によって目を撃ち抜かれた龍は地に伏している。後は残った一体を片付ければ、智里を残すのみとなる。はっきり言えば余裕とは程遠い状況ではあるが、少なくとも事態は進展した。残った一体も速やかに倒す、そう思った時だった。


「っ!! 紅葉ちゃん!!」

「何!?」


 ゆっくりと、先ほど目を撃ち抜き、確かに地に倒れたはずの龍が起き上がっていく。穿たれた目には、木の根っこのようなものが覆いかぶさり、ほんの数秒で元の目に戻っていた。


「何故だ!? いくら再生能力が高くとも、倒してしまえば……!」

「何でって、この子達に炉心は無いからね」

「……何?」

「この子達はあくまで私の触手の末端。炉心なんてあるはずが無い。だって、温羅じゃなくて、ただの触手なんだから!!」


 その言葉と共にその身を叩きつけてくる二頭の龍。いや、智里の触手と言うべきか。彼女の言葉が真実であれば、これからどれだけ目を抉ろうが、首と切ろうが彼女が健在であるだけで延々とこの龍達は再生し続ける。

 面倒、なんて言葉で済めばどれほどよかった事か。戦闘力が下がっている今、長期戦は非常にマズイ。紅葉達の体力も無限ではない。実際、今既に彼女達の息は上がっている状態だ。このまま続けられれば嬲り殺しにされるようなものだろう。それを避けるにはどうすればいいか。口にするだけなら簡単だ。だが、実行するとなると非常に困難な問題だろう。離脱するにしても、誰かが殿を務めなければならないのだ。


「正直、これ以上アンタ達に付き合う気もしないから、そろそろ潰すわ。抵抗してもいいけど、ただ苦しいのが長続きするだけだからあんまりおすすめはしないけどね」

「チッ……」


 忌々し気に紅葉が智里を睨みつけている。根本的に性能が違い過ぎる。加えて、あちらはほぼ永久に手駒を増やし続けられる。メンバーの半数近くが倒れた彼女達は大きな違いだ。

 迫って来る二つの顎を前に、何も出来ないという事実を再認識する。足りない物が多すぎる。かといって、この状況になってそれが何かを自覚したところで意味は無い。ただ無惨にあの顎にかみ砕かれるだけだ。

 死を覚悟したのか、二頭の龍が襲い掛かってきても紅葉は逃げようとしなかった。それどころか、傍にいた二人を突き飛ばし、龍の攻撃が届かない場所へと非難させる。


「紅葉ちゃん!?」

「和田宮隊長!!」


 悲痛な声を上げる二人を背に、紅葉は一身で敵の攻撃に身をさらす。


「……後は、頼んだぞ」


 小さく、そうポツリと呟いた。届くはずの無いその言葉を最後に、彼女の命はここで尽きる。……はずだった。


「木って刀で斬れんのか……?」


 そう、耳元で聞こえた次の瞬間、目の前まで迫っていた頭の片方が首から斬り落とされる。何が起きたのか分からない、そんな表情を浮かべている紅葉を置き去りにして、もう片方の龍の頭が何かを追いかけている。その何かに気付いた時、彼女の目が大きく見開かれた。


 蒼い閃光が迸る。

 あれだけ自分達が手古摺った相手が、いとも簡単に倒れていく。その光景を呆然とした顔で見ながら、地面に刺さった刀を抜く人物に視線を向ける。


「意外といけんな……。あぁでも、後で手入れは必要か……。苦手なんだよなぁ」


 刀身を見つめながら、そんな風に呟いている和沙を、一同はただ見つめる事しか出来なかった。




 一番最初に我に返ったのは、自身の身体の一部でもあり、忠実なペット二匹を瞬時に切り伏せられた智里だった。


「アンタ、なんで!? 神流はどうしたの!?」

「どうしたってそりゃお前、俺がここにいる時点で分かってる事だろ?」

「まさか……」


 動揺を隠せない智里に対し、和沙はつまらなそうにそう返す。そう、彼がここにいる時点で、彼女の相方だった女性がどうなったか、なんて分かり得る事だ。つまるところ、敗北した、という事だろう。


「そんな、あの人は最強の巫女なのよ! いくら息子とはいえ、そう簡単に負けるなんて……!」

「腹に穴空けて、ほぼ相打ち覚悟で仕留めたってのに簡単だなんて言われるのは心外だな。こちとら日々進化していくお前らに合わせるように一歩ずつ進んでんだ。いつかは追いつくさ。それでも、随分と時間がかかったがな」


 実に十年ほど。実際の時間に合わせると二百余年もかかっている。それも、自身の力だけでは無く、母親と妹、それぞれから受け継いだ力をフルに活用したうえで、最終的には相打ち覚悟の捨て身の攻撃だ。狙われる部位が分かっていたからこそ、そこに回復を集中させ、辛うじて即死は免れたが、逆に言えばそこまでしなければ勝てない相手でもあった。そんな戦いを終えてきた和沙が、簡単などと言われれば怒りを見せるのは当然の話だ。

 実際、傷こそ全て治療済みであるものの、御装はいたるところが破損し、肌が露出している部分が何か所もある。元々古い物を現代の技術で補完しているだけな為に、脆いところは脆い。タイプ的に言えば、瑠璃の御装と同程度の防御力かそれ以下だ。


「鴻川兄、助かった」

「どうだかねぇ……」


 傍に来た紅葉が礼を口にするも、当の和沙は微妙な反応だ。駆け寄って来た鈴音や睦月もまた、和沙のそんな反応に首を傾げるばかりである。


「……神流を倒していい気になってるつもりかもしれないけど、お生憎様。この子達はいくらでも再生させられる。アンタたちは私に届く事すら出来ないんだよ!!」

「……まぁ、届かせるだけならなんとでもなるけどなぁ」

「兄さん?」


 流石に鈴音が和沙の異変に気付いたようだ。最初の一瞬で龍二体を斬り飛ばした割には、その声や立ち姿に覇気が無い。さしもの和沙でも、実の母親を倒した後という事もあり、気が沈んでいるのかもしれない、そう思った鈴音だったのだが……


「いやな、ちょいと力を使い過ぎて……めっちゃ眠い」

「……」


 あまりにも想定外過ぎて鈴音の顔が形容し難いものになっている。一つだけ分かっているのは、その目があまりにも冷たいという事だけだ。


「紫音ちゃんも控えてるけど……、どうする? 和沙君は下がってる?」

「冗談じゃない。ここまで来たんだ、当初の目的を果たさせてもらう」


 少し寝ぼけ眼になっているが、それでも刀を握る手の力は衰えない。いざとなれば、自身に雷を流し、眠気を吹き飛ばす事も可能だが、あまりやりたくなさそうなのは誰の目にも明らかだ。


「ならば、鴻川兄を中心とし、我々がサポートを行う。その隙に敵を……」

「面倒臭い。こういうのは勢いが大事なんだよ、勢いが」

「おい、何を……!」


 紅葉の言葉もロクに聞かず、和沙は前に飛び出して行ってしまう。


「大人しいと思ったら、これですか……」


 鈴音のが呟くように、先ほどまで眠いだのなんだのと覇気の無い様子ではあったが、やはり根っこの部分は変わっていない。敵を見れば殲滅する、かつての戦いの記憶が残っているからこそ、こうして問答無用で襲い掛かるのだろう。

 別段戦闘狂が悪いわけでは無いが、せめて話くらいは聞いて欲しい、と思うのはけして鈴音だけでは無いだろう。


「あぁもう、手のかかる子……!」


 睦月もまた、和沙をサポートする為に唸りをあげて襲い掛かる龍に立ち向かっていく。が……


「なっ!?」


 突如として地面が突き出た大量の黒い水晶が龍の動きを止める。さらに言えば、再生しても無駄なように完全に龍を倒すのではなく、再生したところで動く事が出来ないように固定している。これでペットによる横やりは無くなったと言えよう。


「……もうなんでもありだな」


 どこか呆れたように呟く紅葉。その視線の先には、地面から手を離した和沙の姿がある。あの水晶を見るのは初めてではなかったが、和沙の仕業だとは思いもしなかったのだろう。今更驚く事も無いだろう、と思った矢先にこれである。


「とはいえ、これで龍の動きは止まりました。後は本体だけです!」


 気付けば、和沙は既に智里の目と鼻の先にまで接近している。後は刀を振るい、その首を落とすだけ、といった距離だが、和沙は長刀を構えない。いや、。そのあまりにも早すぎる接近に、一番驚いていたのは誰よりも和沙だったからだ。


「あれ?」


 一度距離をとり、首を傾げる。その様子に唖然としていた智里だが、次の瞬間、彼女の顔が憤怒に染まり、隠しきれない怒りが二頭の龍に伝わっていく。


「馬鹿に、してるのかああああああ!!」


 地面からは棘、そして彼女の背後からは、幹から突き出た杭のようなものが和沙へと向けられる。そして、智里が手を振り下ろすと、その杭が一斉に射出される。

 その密度はとてもでは無いが、単なる移動で避けられるとは思えない。当然、和沙には神立を利用した高速移動があるが、それを行うにはまずワンアクション挟む必要がある。まず間に合わない。

 ならば、と先ほど龍を止めた時と同じように、和沙が片手を地に付ける。すると、そこから黒い結晶が生え、飛来する杭を次から次へと止めていく。


「まだまだぁ!!」


 だが、その杭はただ敵を貫く為の物ではない。あらゆる温羅を生成する樹から出来ている物だ。当然、他の温羅が持つ能力を使う事も可能だ。

 弾かれて落下する杭が次々と爆発していく。和沙の白甲によって生成された水晶は確かに頑丈だが、それでもここまで連続して爆発を受ければ耐えるのは難しい。難しいのだが、そもそも耐える事がこの水晶を生成した目的ではない。


「なっ!?」


 破壊された水晶の向こう側に和沙の姿は無い。動きを止められた龍を抑える紅葉達が遠目に見える程度だ。即座に反転すると、やはりと言うか、背後に和沙の姿があった。あの水晶の目的は単に目隠しなだけで、壁としては大して期待していなかったのだろう。その状態から一気に接近し、智里へと刀を振るう。

 しかし、近寄らせはしたものの、簡単に体に触れる事が出来るとは限らない。即座に背後に先ほど紅葉を阻んだ幹の壁を作り上げる。紅葉の大剣ならば突破は可能だろうが、和沙の刀では難しいだろう。先ほど配下の龍をいとも容易く斬り捨てたが、あちらはあちらで一つの木を素材として作り上げていたのが簡単に斬られた理由として挙げられる。だが、この壁はいくつもの木を並ばせ、それぞれの向きにも配慮した造りになっている。一本を斬られたところで、次の木に止められる、といったものになっている。

 いくら和沙とはいえ、武器を止められれば一瞬であっても彼自身も止まる羽目になる。そこを狙おうとした智里だが、そこで異変に気付いた。ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ視界が目の前に壁に阻まれた瞬間に、和沙の姿が消えている。

 智里には神流のような驚異的な動体視力や反応速度は無い。あくまで一般人の肉体を温羅の力でブーストしているだけに過ぎないのだ。故に、一度でも視界が切られれば、相手が次のどこへ行ったかなど、分かりようも無い。


「どこへ……ッ!?」


 辺りを見回そうとしたその時、彼女の顔の横すれすれに何かが掠っていく。それも、上から下へ、だ。落下した、という速度では無い。明らかに投げられたものだ。すぐさま上を見ると、一瞬だけ蒼い光が見えた。それが示すのはただ一つ、和沙が頭上にいた、という事だ。しかし、その姿は無い。となるとどこに……


「流石にこの辺は人間なんだな」


 声が、彼女のすぐ傍から聞こえた。

 ゆっくりと視線を向けると、そこには既に長刀を腰だめに構えた和沙がいた。それを見た瞬間の智里の動きは速かった。とてもでは無いが、考えている余裕なんて無い。もはや脊髄反射に近い速度で迎撃の根を突き出させるが……目の前にいる和沙にしてみれば、一つ一つの動作があまりにも緩慢過ぎた。

 一閃。白刃が振るわれる。

 感じた事も無いような衝撃を受け、一瞬思考が飛ぶものの右手は動く。指先で操作し、刀を振りぬいた姿の和沙に向かって無数の棘を放つ。が、やはり当たる事は無く、気付けば数十メートル離れた場所まで離脱を許していた。

 ならば追撃を、とすぐさまもう片方の手で木を操ろうとするが……出来ない。いや、動かない、力が発動しないといったものではない。そもそものだ。まるで、肩から先が空洞になっているかのように。

 ここでようやく智里は自身の左腕へと視線を向ける。今の今まで気づかなかった。そこには、あるべき筈のものが無い。そう、先ほど和沙が斬り飛ばしたのは、彼女の左腕だった。

 呆然とする智里を前に、一同は気を抜かず、警戒を解こうとしない。それもそうだ。本来であれば腕が斬られたと認識した時点でその痛みに呻くか、その事実が認められず錯乱して暴れまわるかしてもいいはずだ。にも関わらず、彼女は冷静に斬られた腕の断面を見つめている。いや、呆然としているだけなのだが、それでも腕を斬られた人間の反応とは思えない。


「どうした? 腕を斬られておいて随分と大人しいじゃないか」


 そんな彼女に和沙は声をかける。そうしてようやく智里はゆっくりと和沙へと目を向けると、不思議そうな目で彼を見つめる。


「痛く……無い」


 右手で左腕があった場所を探ったり、なんなら斬られた断面をぐりぐりと触るも、まるで実感が無いような表情をしている。


「なんだろ、あんまりショックじゃないかも……。今一番最初に思ったのはさ、左腕が無いと、アンタ達をどう追撃すればいいの、って事だったの」


 腕を斬られてもなお、目の前の敵に対する敵対行動を止めようとしない、いや、途切れさせようとしないそれは強い意思と言ってもいいのだろうか? むしろ、温羅が体が欠損してもなお襲い掛かろうとしてくるそれに近いのではないか、和沙達はそう思わずにはいられない。

 和沙自身も、以前左腕を犠牲にした事はあるが、あれはそれしか方法が無かったからだ。当然、無くなった腕に対する未練は消えなかったし、痛みも当然あった。

 だが、智里のそれは和沙とは違う。必要だからでは無く、無くなったとしても問題が無い、といった様子だ。少なくとも、人間の反応ではない。


「……脳まで温羅化したか。もう炉心破壊しなきゃ止まんねぇな」


 その言葉に絶望したのは、言葉を発した和沙だけではなかった……。

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