四十四話 帰還
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「……」
和沙と辰巳は、ただ全力で走っていた。
そこそこ複雑な道とはいえ、モールによく来る人間であればそうそう迷う事は無い。それを示すかのように、先程から辰巳が先導しているが、二人は確実にこの一帯から抜け出るルートを辿っていた。
二人の間に会話は無い。そもそも、話すだけの余裕が無い。全力で走っているのだ、こんな状態で口を開ける方が異常と言えよう。
やがて、二人は大きな通りへと差し掛かる。大通りとは言っても、それはあくまでモールの中での話だ。外に出たわけでは無い。しかし、和沙の記憶が正しければこの通りの先はモールの出口に繋がっており、おそらくそこが避難区域の外のはずだった。
「……」
「立花? どうした、いきなり立ち止まって」
しかし、出口を前にして唐突にその場に立ち止まった立花に、和沙が問いかける。しかし返事は無く、その目は今来たばかりの方角へ向けられている。……この先の事が容易に想像できるのは、和沙だけでは無いだろう。
「すまない鴻川、ここから先は鴻川一人で行ってくれ」
「……一応聞いておこう、何するつもりだ?」
「俺はやっぱり彼女達を見捨てられない。戻って、俺も一緒に戦ってくるんだ!」
「はぁ……」
やはりと言うべきか、その口から出た言葉が想定通り過ぎて思わずここ最近で一番大きな溜息を吐く和沙。その様子を見て、辰巳は眉を顰める。
「そんなリアクションしなくたっていいだろ? 戦う戦わないは個人の自由だ。それに、ここから先はあとは一直線に行くだけだ。俺の案内なんて必要無いし、迷う事は絶対に無い」
「そういうこっちゃねぇんだよなぁ……」
どうやら辰巳は和沙の言いたい事を察してくれないらしい。ここから先の行き方なんぞ、相当方向音痴でなければ幼稚園児でも迷う事なんて無いだろう。和沙が言いたいのはそういう事ではない。
「行って、どうすんだよ?」
「どうするって、戦うに決まってるだろ!」
「で、どうやって戦う? 殴んのか? それとも蹴んのか? どちらにしろ、アレには効かんだろうし、そもそも間合いに近づいただけで首が飛びかねない。お前が行っても出来る事なんてなんも無いだろうに」
「……だったら、俺にしか出来ない事を見つける。見つけてみせる! 例えあの温羅がどれだけ強くても、俺にも出来る事の一つや二つあるはずだ!!」
「その一つや二つが今こうして逃げてる事じゃないのか? ぶっちゃけて言うと、お前が戻ってもお荷物になるか、邪魔になるだけだ。負担が増える事はあれど、あいつらが助かる事なんて一切無い」
「……」
和沙のそれは正論だ。確かに、ここで辰巳があの戦場に戻ったとしても、出来る事なんてせいぜい囮になるか、そのまま肉の壁となって斬られるくらいしか無いだろう。
しかし、ここまで無力である事を思い知らされて、彼の中にあるプライドではない何か、それこそ強すぎる正義感や責任感が刺激されたのだろう。睦月が見せたあの姿勢も原因の一つかもしれない。その結果、彼女達を置いて自分だけが逃げるというこの現実に嫌気が刺し、こうして戻ろうと言っているのだ。
「……だとしても、俺は戻る」
「いや、だから……」
「やるべき事がある、為すべき事がある、そして守りたい人達がいる! 俺にはそれしか無い。でも、それがある! なら、それが俺の戦う理由だ!!」
「あぁクソ、めんどくせぇ……」
正義感と責任感を強く感じ過ぎたせいで、どうやら和沙の話が上手く伝わっていない様子だ。その証拠に、イマイチ二人の会話は噛み合っていない。アドレナリンが過剰分泌されているせいかも知れない。
「だから、悪いがここからは一人で行ってくれ。俺は戻って彼女達の援護をする。絶対に、絶対にこのまま終わらせたりはしない!!」
「……」
どこか遠い目で見つめる和沙からは諦観の色が見て取れる。これはもう、説得したところで都合の良いように解釈するだけだろう。なら、行きたい所に行かせばいい。痛い目を見なければ、目が覚める事は無いように思えた。
「だからすまない、鴻川。後はよろしく頼んだ」
軽く手を上げた辰巳は、そのまま踵を返すと、一度も振り返る事無くモールの中へと消えて行った。その後ろ姿をしばらく見ていた和沙だったが、完全に消え去ったところを見ると、まるで頭痛でも押さえるかのように頭に手を当てる。
「頭痛ぇ……」
前言撤回。本当に痛かったようだ。しばらくそうしてその場に留まっていた和沙だったが、睦月に本局への報告を頼まれていた事を思い出し、振り返って出口へと向かおうとした……が、直後に足が止まる。
「待てよ、このまま俺一人で帰ったら、非常に体裁が悪いんじゃないか? あいつらの手にも余るみたいだし、一人で帰ったところを責められかねない……」
更に言えば、非戦闘員とはいえ、勇敢に戦いを挑んだ辰巳と比べられ、和沙の評価はそれこそ地の底にまで落ちる可能性すらある。彼女らが無事に戻れば、危険の中増援を呼んだ英雄の一人として数えられるかもしれないが、どちらにしろ今の和沙にとっては非常にまずい。
評価されようがされまいが都合が悪いと言うのならば、いっその事いなかったという事にしてしまえばいい。
端末を握りしめる手に力が籠められる。その中には、とある音声データが入っており、これを活用すれば和沙に向けられるであろう目を逸らす事も可能だ。
「……めんどくさいけど、やるしかないか。ここ最近溜まってたフラストレーションを解消する為とでも思っておけばいいし」
半ば強引に自分を納得させるようにそう呟くと、目の前の出口には目もくれず、ここまで走ってきた路地を引き返す。
その足に、一切の迷いは見られなかった。
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