四十三話 危険極まりない逃走

 辰巳の目が睦月へと釘付けになっている。しかし、その目からは戸惑いと絶望感に染まっているのが見て取れた。


「私達が先に百鬼を補足し、引き付けが完了次第、立花君には和沙君を連れてこの一帯から離脱してもらいます。ただ、さっき紫音ちゃんが言ってた小型がまだ残ってる可能性も考慮すると、危険性がゼロとはとてもではないけど言えないの。だから、いざ敵に見つかった場合には、全力で逃げてもらう事になるわ」

「……」


 辰巳の額から大量の汗が流れ出ている。もしかしなくても、冷や汗だろう。電波が遮断されている以上GPSは使用出来ない。となると、この辺りの地形を多少なりとも把握している辰巳が主導するのは当然の話ではあるが、いかんせん彼は非戦闘要員だ。もし、万が一にも小型と遭遇したら、逃げる以外の事は出来ない。そんな時、最悪体を張ってでも和沙を逃がせ、と睦月は言っているのだ。


「お、俺は祭祀局とは関係無いんですけど……」

「先日起こした騒動のお詫びとでも思っておきなさい。謝るのは大事だけど、時として罰を受けるのはそれ以上に大事な事よ」

「……にしては少々重すぎませんか?」

「大丈夫よ。いてもせいぜい小型だから、即死はしないと思うし。逃げようと思えば逃げられるでしょ?」

「……」


 取り付く島もないとはこの事か。まるで縋るように和沙を見る辰巳だったが、守られる側の和沙としては、ただ首を横に振る以外出来る事は無かった。


「あの……、私はどうすれば」


 そんな中、おずおずといった様子で手を上げたのは琴葉だ。先程から巫女と非戦闘要員の話はしていたが、彼女の事は一切触れていなかった。


「あぁ、ごめんなさい。貴女にもこちらを手伝ってもらう事になるわ。ただ、正面から一緒に戦うのではなく、あくまで援護のみという形にはなるけれど……」

「いえ……、いえ! ぜひ戦わせて下さい! 巫女と共に温羅に立ち向かうのが私達の役目です! 例え力及ばずとも、せめて一矢報いてはやりますとも!!」

「それだと玉砕になっちゃうんだけど……。流石にそこまでやる必要は無いかな? 一先ずは以上が私の作戦。何か質問とか不満点とかある?」


 睦月が一同を見渡す。琴葉は言わずもがな、辰巳は和沙を守るという事をようやく自覚し、尚且つ覚悟を決めたのか、しっかりとした面持ちで睦月へと目線を返す。和沙はそもそも何か役割があるわけではなく、ただ逃げるだけなので気楽なものだ。残る一人は……


「……先輩はそれでいいの?」

「どういう事?」


 俯いた紫音が絞り出すように漏らした声には、どこか悲哀のようなものが混じっていた。


「……だって、その作戦で一番危険なのって先輩じゃん! 私は遠距離攻撃、琴葉さんは近くに寄れない。となると、一番温羅に近いのって先輩でしょ? 一番危険で、絶対に逃げられないのに、なんでそんなに人の事ばかり気にする事が出来んのよ……」

「……」


 そう、睦月の武器は薙刀で、いまここにいる面子の中では最も位置的に温羅に近い場所で戦う事になる。必然、受ける攻撃量も、ダメージも多くなるだろう。にも関わらず、彼女の口から出るのは他のメンバーの事ばかり。自身が請け負う負担等、これっぽっちも口には出していない。


「そもそも、今回の件だって、もともとは私が招いた事なんだし、私を囮にするってくらいの事、言うくらいはいいんじゃないの!?」


 その言葉に籠められているのは、決して食材の為にそうしろ、という意味ではない。

 紫音は辛いのだろう。こんな状況になっても、睦月は一切自分を責めない。それどころか、これを祭祀局に所属する者全ての責任と言い、自分から危険な役目を負おうとしている。そんな光景を見せられれば、誰だって罪悪感の一つや二つは湧いてくる。


「……確かに、私の役目は危険且つ責任重大よ。でもね、だからって投げ出す訳にはいかないの。こんな事に陥った原因が貴女にあったとしても、元凶はもっと別のもの。もしかしたら、その中には私が関わってる事もあるかもしれない。なら、ここは誰かの責任、と言って押し付け合うのではなく、適材適所で動いていくべきよ。むしろ、そうしないと全然もたないと思うしね」

「……分かった。なら、全部先輩に任せる。その代わり、やられっぱなしは嫌だから、やられないでよね」

「努力するわ」


 そう言いながらウインクをする睦月に、その場にいたほぼ全員が安心感を覚えた。彼女がここまで言うのならば、万が一は無いだろう。そう、思わせる程の説得感が、睦月にはあった。


「……」


 そのやり取りを黙って見ていた和沙を除いて、だが。




「それじゃ、作戦通りにね。端末の通信モードが使えないから、意思疎通は声を張るかハンドサインか……難しいなら難しいで現状維持。応援が駆け付けるまでの間、耐えるしか無いわね。立花君、さっき言った通り、避難が完了次第、本局に報告をお願い。出来れば、私達の居場所を正確に伝えて頂戴」

「……分かりました」


 神妙な面持ちの辰巳が頷く。緊張は……せざるを得ないだろう。直接戦うわけではないが、彼もまた重要な役目を背負っている。ここから確実に逃げ出せなければ、最悪、睦月達の命は無い。

 強張った表情をしているのは辰巳だけではない。大型のライフルを抱える紫音と、梢や玲が持っていたのと同型機のアサルトライフルを持つ琴葉。二人の表情もまた、緊張感で彩られていた。


「そこまで難しく考える必要は無いわ。貴女達はただ、私が言ったように動けばそれでいいの。無理だと思ったら見捨ててくれてもいいし、いけると思ったらそこに撃ち込んでくれればいい。遅滞戦闘は私の得意分野よ、前は任せて頂戴」


 不安そうな彼女達を安心させるべくそう言う睦月だが、別に彼女も平気というわけではない。薙刀を握っている手は、あまりにも強く握られているのか、少し白く変色していた。緊張を紛らわす為だろう。この中で最も年長であり、その責任感の強さからか、決して弱いところを見せようとしない気丈な面が目立つ。

 とはいえ、彼女のそんな姿勢を煽り立てるかのように、少し前にも耳にした、あの独特な金属音響き渡る。


「来た……」

「探す手間が省けたというものよ。全員準備はいい? 行くわよ!!」


 無言ではあるが、しっかりと頷き返すと、睦月が建物の影から飛び出した。一拍遅れて、次は琴葉、そして最後は紫音がその後に続く。

 その姿を見送りながら、辰巳はタイミングを窺っていた。予定では、完全に睦月達に気をとられるまで外には出ない事になっていた。しかし、持ち前の正義感からか、どんどん前のめりになっていく体を、後ろにいた和沙へと引っ張り戻され我に返る。


「俺らの役目は何?」

「……ここから逃げる事だよ」

「分かってるならそれをやる。あの三人の覚悟を無駄にすんな」

「分かってる、分かってるけど……」


 その視線は既に激しい戦闘を始めている睦月達へと向けられている。ここでこうしているのが口惜しい、自身に戦う力が無いのがこうも悩ましい事だとは思わなかったようだ。こうしている間にも、睦月達の攻防は激しさを増していく。そして……


「こっちを見たな」

「……今だ!!


 一瞬躊躇ったものの、課せられた役目を果たす為、辰巳は和沙を伴って温羅とは逆の方向へと飛び出した。

 刹那、温羅の意識が和沙達を向いたものの、その気を引く為、全力で攻撃を繰り出していた睦月に意識を引き戻される。そして、逃走する和沙と辰巳をその背に守るかのように立ちはだかると、一度だけその目を背後の二人へと向けた。


「頼んだわよ、和佐君、立花君」


 再び振るわれる凶刃を防ぎながら、小さくそう呟いた。

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