四十八話 苦戦、そして……

「和沙君!!」


 睦月の悲痛な叫びが辺り一帯に響く。自身を庇い、貫かれた腹部から血を滴らせているその姿に、思わず悲鳴を上げたくなるのをぐっと堪え、ただ呼びかけていた。しかし、その声がショックからか、上手く出ていなかった事に気付いたのは、百鬼が和沙の体から刀を抜こうとした時だった。


「…………ふ」


 一瞬、ほんの一瞬だったが、和沙の口が歪んだ気がした。それは、彼が最初に百鬼と対峙した時に見せた、あの歪な笑み。


 そう、嗤っていたのだ。


『――――ッ!!』


 それを見た瞬間、百鬼が刀を引き抜こうとするが、それよりも和沙が長刀を振るう方が速かった。

 黒い粒子が辺りに飛散し、それと同時に百鬼が後ろに二歩、三歩と下がる。その体に、右腕は付いていなかった。


「……ざまぁみろ」


 振り上げた長刀と地面に突き刺す和沙。腹部に刺さった刀はそのままだが、その顔には苦悶の表情など一つも浮かんでいない。

 打ち合っているだけでは捉えきれないと判断したのだろう。これが和沙にとっての手段を選ばない、というやつだ。自分の体を犠牲にしてでも、相手の隙を作る。こうして強引にでも勝ち筋を作らなければ、今の百鬼にはそう簡単に勝つ事は出来ないのだ。

 おもむろに腹に刺さった刀を両手で挟み込むと、そのまま力を入れる。


「何を……」


 その背後で心配そうな睦月の声も聞かず、両腕に思いっきり力を入れる。すると、両手で挟み込んだ刀は、あっけなくその半ばから折れてしまった。

 未だ柄を握る手ごと捨てると、残った刀身も引き抜く和沙。そう、これが彼の狙い。武器を使って猛攻撃を行うのであれば、その武器を奪ってしまえばいい。もはや正気の沙汰とは思えないような手段ではあったが、確かに効果はあった。

 黒い刀身が地面に転がり、甲高い音を立てる。こういった場合、安易に体から異物を取り除くのは悪手となりえるのだが、今の和沙にはそんな事は関係なかった。


「自己再生能力はお宅らの専売特許じゃないんだよ」


 紅い雷が、二度、三度と患部に迸る。すると、みるみる内に、百鬼によって付けられた傷が塞がっていくではないか。離れた場所から見ていた睦月達も、そして目の前の百鬼ですら驚愕を隠しきれていない。


 神立かんだち紅命こうみょう―。


 それはかつて、和沙……御巫千里の妹である御巫茜に宿っていた一族伝来の力の一つ。主な効果は、あらゆる傷、あらゆる病の治療、元の命の形に戻す、というもの。

 この力の対象は所有者のみ。つまり今は和沙だが、当時は茜だった。

 ……そうだ、皮肉にも、この力は茜の病をも治す力を持っていた。にも関わらず、何故彼女の体は病に蝕まれていったのか。簡単な話だ。あくまでこの力は自己治癒を活性化させ、傷を塞ぎ、病の元を駆逐するというもの。茜の自己治癒能力はたかが知れており、そのうえこの力を使う程の体力すら残っていなかった。

 自らを直す可能性を持つ力を持っていながら、使う事すら出来なかった、という事だ。

 しかし、和沙ならば別だ。母から受け継いだ蒼脈を問題無く操る和沙であれば、体力的にも身体的な治癒能力的にも使用に制限はかからない。無限に……ではないが、多少の無茶はこの力で押し切る事が可能となった。

 これまで以上にごり押しが増える。鈴音辺りが聞けば、頭でも抱えそうな話だ。


「武器は破壊した、腕も奪った……さて、どうする?」


 ニヤリ、と笑みを浮かべながら和沙は問いかける。その問いに返答が出来ない事を分かっていながら、なんとも意地の悪い話だ。と、普段であればそう思うところだが、どうやら事はそう簡単にはいかないようだ。


「……うそん」


 斬り落とされた右腕、その元の場所が内側から盛り上がり、そして徐々に形作っていく。すなわち、腕の形へと。

 再生、だ。もう既に目にした光景であったが、和沙のその情けない声は、別に今斬り落としたはずの腕が再生したから漏れたもの、ではなかった。

 再生しきったその右手には、今しがた確かにへし折ったはずの刀が握られていた。


「いやいやいやいやいやいや、百歩譲って腕が再生するのは、まぁいいんだよ。そういう生き物? だしな。別に今更見せられても驚きもしなけりゃ、どうとも思わないさ。でもな、ソレは無しだろ!?」


 和沙の絶叫を前に、再生した腕を確かめるように何度か動かすと、百鬼の顔が和沙へと向けられた。心無しか、笑っているようにも見える。


「あぁクソ……、めんどくせぇ……」


 あの楽しそうな表情や、鈍った体をほぐすのに付き合ってくれ、と言っていた和沙はどこに行ったのか。そこには、目の前で行われた無慈悲な光景にウンザリとした表情を浮かべる少年がいた。

 ……しかし、こうやって茶番を挟むのもいいが、和沙の頭には一つの懸念が過ぎる。時間だ。

 別に三分立てばカラータイマーが鳴るとかそういったものは無い。無いのだが、和沙自身、あまり百鬼を相手に戦いを長引かせるわけにはいかない理由があった。


「さっさと決めにゃ、誰か来るぞ……」


 和沙がここでこうして戦っている事を知っているのは、ここにいる四人以外は誰も知りえない情報だ。そもそも、和沙のここでの認識は、あくまで鈴音の保護者……と言うよりもおまけに過ぎない。まさか神奈備の巫女で、更には百鬼とここまでやりあえる程の実力を持つ、なんてのは妹である鈴音以外には認識されていない。故に、巫女だけではなく、守護隊の人間ですら、誰かが来る前に百鬼を倒さなければ、非常に面倒な事態になりかねない。


 だが、それが出来るのなら苦労はしていない。実のところ、ごり押しでも問題無いのであれば、この百鬼を倒す事事態はそこまで苦労しない。大型クラスの力があるとはいえ、あの黒鯨の中で戦った温羅よりかはかなりマシだ。速度はかなりのものだが、膂力もあれほどではなく、特殊な攻撃手段も持たない。片腕からは高圧ジェット、もう片方からは火炎放射を出すあの敵とは比べるべくもない。


 では、何故ここまで苦戦しているのか。答えは簡単だ、炉心が見つからないのだ。


 この敵が、滅多に出てこず、しかも確認されているのがこの一体だけであれば、和沙も即座に戦いを終わらせていただろう。しかし、睦月の言葉では、過去に何度も出現した記録があり、そのどれもが撃退、つまり倒すに至っていないとの事。

 つまり、現状では小型と同様の倒し方は不可能で、おそらくはどこかにある炉心を破壊しなければならないのだろうが、その炉心がどこにあるのかが分からない。それを探り探りで戦っていたため、ここまで苦戦している、というわけだ。

 とはいえ、これ以上長丁場になるのは和沙も避けたいはずだ。場合によっては、蒼脈でどこにあるか分からない炉心を運で破壊するしかないという事になる。今はそれでいいだろうが、後々また戦う事になれば、それが仇となりかねない。


「しゃーない。少しばかり強引に行くか……」


 であるならば、やる事は一つだけ。


「腕は……無い。狙っても庇おうとしなかった。足も同じ、むしろ餌にさえしようとした。なら……頭か、胴か……博打だな」


 二か所を同時に狙う事は出来ない。だったら、どちらかに絞るしかないのだが……。

 カチン、と長刀の剣先が軽く地面を叩く。その音に引き付けられ、百鬼の目が和沙ではなく、刀の先へと吸い寄せられた……次の瞬間

 ドン、と凄まじい音が周囲に響く。それは、和沙が地面を踏み割る音だった。凄まじい勢いで踏みつけられ、敷かれていたタイルが一斉にひび割れ、そして宙に舞う。しかし、和沙の狙いは、別に周囲の破壊ではない。

 だらんと下がっていた腕が、その先が揺らめていた長刀が、和沙の手首、そのスナップだけで投擲され、百鬼の目と鼻の先まで、一瞬で到達する。しかし、それを読んでいたのか、それとも単に恐ろしい反応速度なだけなのかは分からないが、頭を少し横に逸らすだけでその攻撃を避ける百鬼。完璧な不意打ちが破れた、傍目にはそうとしか見えなかった。……和沙の力を知らなければ、の話だが。


『――!?』


 一瞬、ほんの一瞬だった。百鬼が長刀に目をやり、それを回避しようと首を動かしたその時には、和沙の体は既に百鬼の目の前まで迫っていた。

 蒼脈による高速移動。長刀をアンカーとし、そこに目掛けて自身を雷として事で超高速で移動する技法。

 目にも止まらぬ、とはまさにこの事。一瞬で敵の眼前に到達した和沙は、その勢いを殺さず、百鬼の頭目掛けて掌底のように腕を突き出した。手が、指先が、百鬼の頭に触れる。その瞬間、躊躇う事なくその頭に、たった一瞬、それこそコンマ数秒の間だが、蒼脈を通す事に成功した。のだが……


「クソ、はずれ……うおっ!?」


 触れた、という事はその体は百鬼の間合いの中にあった。しかし、容易に刀で迎撃出来るような距離ではない。そう高を括っていたのだが……まさかの一本背負いだ。先ほど和沙が温羅にしたのと全く同じ状態で投げ飛ばされ、地面に叩きつけられる……直前で体勢を立て直し、受け身によってダメージを分散はさせたものの、それでも地面に伏せているわけにはいかない。

 即座にその場を離脱すると、投擲された長刀を手元に引き戻す。パシン、と子気味の良い音を立ててその手に収まった長刀を構え、今一度百鬼の全身に視線を巡らせる和沙……だったが、とある一点に目が止まった。

 胸の中心、和沙から見てその少し右側の場所。そこは人間で言う、心臓のある場所なのだが、そこが少しばかり光を放っている事に気が付いた。


「そういう事か」


 和沙の今の攻撃は決して無駄ではなかった。あの蒼脈は、ほんの少しではあるが、百鬼の体を確実に焼いていたのだ。

 先の腕は、外傷だった為か体全体が輝き、イマイチどこが一番強く光っているか分からなかったが、体内であれば、どこから一番光が漏れるかでその場所が特定出来る。今、奴は自身の受けた体内のダメージを再生中だ。そして、そこにエネルギーを注ぐ為、最も強く輝く場所、左胸が百鬼の炉心の場所という事が判明した。

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