四十七話 蒼閃と黒刃
力任せに長刀を押し返し、五メートル程の距離を開けて対峙する。和沙の出現に多少の驚きはあったものの、百鬼のその表情が変わる事はなかった。いや、そもそもあれが百鬼という温羅の顔なのかどうかすらも怪しい。
「……しかし、どうしようか」
かなり颯爽と登場したつもりの和沙だったが、その実結構困っていたりもする。何せ、目の前にいる侍の姿をした温羅の情報が全くと言っていいほど無いのだ。分かっているのは、百鬼という名前と、いかにもそれっぽい刀を持っているという事だけ。あとは踏み込みが尋常ではないくらい速い程度か。
故に、こうして立ちはだかってみたものの、敵がどんな攻撃を繰り出してくるか分からない以上、迂闊には動けない。そう、思っていた時だった。
「せっかちだな!!」
一瞬、百鬼の姿がぶれたと思ったら、瞬きをするその瞬間には既に和沙の目と鼻の先まで迫っていた。しかし、それを簡単に通す程和沙は甘くない。瞬時に体勢を低くし、脇をすり抜けると、背後をとってそのまま脳天へと刀を振り下ろす……が、まるで背後が見えているかのように半身をずらして避けられると、その回転を利用して腹を蹴り飛ばされた。
凄まじい勢いで壁へと吹き飛ばされた和沙は、砂煙を立てながらその場に倒れ込んだのか、ざんっと何かが柱に崩れ落ちでもしたのだろうか、そんな音が煙の中から聞こえて来た。……のだが、何故か百鬼が首を傾げている。まるで、今の一撃による和沙の吹き飛び方を不思議がるような……
『!!』
次の瞬間、砂煙を押しのけその中から飛び出してきた建物の柱を、百鬼が刀を盾にして軌道を逸らそうとする。が、柱の影から出て来た和沙が一気に詰め寄り、防御の構えをとっている百鬼の腹目掛けて十分に勢いを乗せた回し蹴りをお見舞いする。まともに防ぐ事すら出来なかった百鬼は、その蹴りを受け、柱と共にこちらもまた後ろに吹き飛んだ。
「お返しだ。どうだ? いてぇだろ!!」
どうやら先ほどの一発の返礼のようだが、言葉から察するに痛かったらしい。ちなみに、痛いと言いつつもその体にダメージが見受けられない事から、百鬼の蹴りを受けた時、わざと自分から後ろに飛んでダメージを相殺していたようだ。痛いとは言いながら、あの状態でよく咄嗟にそんな行動がとれたものだ。
百鬼は和沙の蹴りと柱の勢いに押され、そのまま壁へとぶつけられた。少なくとも、無傷では済まないだろう。視界の端で受けたダメージに悶えながらも、何とか立ち上がった睦月を確認しながら、和沙はゆっくりと崩れた壁に近寄る。
「っ!?」
が、やはりと言うべきか、百鬼は健在だった。それもご丁寧に、今しがた和沙がぶつけた柱をみじん切りにして、その中から姿を現すという演出付きだ。
「芝居がかってるじゃないか……、嫌いじゃないぜ、そういうの」
暢気にそんな事を口にしているが、目の前の敵はそれどころではないようだ。先ほどまでとは様子が異なり、体に走った亀裂から洩れていた赤い線が、徐々に紫へと変化していく。
「
佐曇に現れた温羅は、ところどころ赤が漏れていたものの、基本的には青い線がメインだった。しかし、こちらの温羅は基本的に赤がメイン。そしてそれに被せるように青い線が走っているせいか、紫色に見える部分が結構ある。
とまぁ、そんな風に冷静に観察していたものの、尋常ではない状態に流石の和沙も表情を引き攣らせる。が、その頭には逃げるという選択肢は無い。どうやってこの温羅を倒すか、その答えを探す思考が常に巡っている。
『――――――』
そんな状態の和沙を待つはずもなく、百鬼が吼える。少し離れた場所にいた紫音でさえ、両耳を強く押さえなければならない程の大音量にも関わらず、和沙は耳に手を当ててすらいなかった。
嗤っていたのだ。
「上等!! 後で尻尾撒いて逃げんなよ!!」
蒼い閃光と、黒い軌跡がぶつかった。
刀を打ち合う音が響く。それも一か所ではない、あらゆる場所に常に移動しながら鳴り続けているのだ。それは地上だけに留まらず、時に壁で、時に空中でと凄まじい速度で飛び移りながら剣戟の応酬が続けられている。
縦横無尽に飛び回る蒼い軌跡は当然、和沙だ。そしてそれに追い縋るのは同じように紫の軌跡を残しながら付いて来る黒い侍。先ほどまで睦月と地上で打ち合っていた相手とは思えない動きを見せている。あれは本気ではなかった、という事か。
「チッ……、よくもまぁ、その体で付いて来る……!!」
『――――――』
兜の下、祭事に使う面のような顔の口の部分が開き、まるで威嚇するような形で和沙へと向けられている。
その顔の下、繰り出される剣の速さは先程の比ではない。もはや目で追えるものではなく、和沙自身もほとんど予測で動いている。しかし、避けさえ出来れば食らう事は無い。それを証明するかのように、幾度となく刀が交じりあっているが、和沙の体に傷らしき物は見られない。避け、払い、受け、そして流す、そういった一連の防御を体に刻み付けているからこそ出来る芸当だろう。少なくとも、真っ当な人間に出来るような事ではない。
とはいえ、防御に回り続けていては、勝てるものも勝てず、更に言うとこの戦いは時限制で、増援が来るまでに決める必要がある。そうなれば、手段を選んでなどいられない。
「あんまりちんたらやるわけにはいかない……、ならっ!!」
恐るべき速度で繰り出された突きを膝を折り、体を沈める事で避けると、その腕を取って投げ飛ばす。鈴音の剣の師匠である片倉すらをも投げた一本背負い。剣技は数多く習得していれど、流石に投げ技には対応出来なかったのか、面白いように吹き飛んだ。
そして、その隙を逃す和沙ではなく、すぐさま起き上がろうとする百鬼に肉薄すると、剣先が地面を擦り、火花を散らしながら思いっきり長刀を斬り上げた。が……
「チッ、浅い……!」
外殻ごと胴体を逆袈裟に斬ったものの、致命傷という程ではない。しかも、その傷は少し時間が経っただけでみるみるうちに元に戻っていく。
「小型にしては強い再生能力だ事で……。お前、ホントは大型じゃないの?」
『……』
百鬼は答えない。当然だ。そもそも和沙の言葉を理解しているどうかさえ怪しい。
多少斬った程度では動きに精細を欠く事すらしない。そもそも影響が出る程、傷が残らないと言った方が正しい。なら……
「やっぱり、直接炉心を叩くしかないか!」
再び前へと踏み込む。その速度は百鬼のそれにも劣らない。和沙の神立を利用した高速移動は、地上においてならば縮地とでも呼ぶべき速さで敵の懐へと潜り込む。その速度に対応出来る温羅はそうそういないのだが、この百鬼は違った。
百鬼もまた、慣れたと言わんばかりに、和沙の動きに刀を合わせてくる。再び激しく交わされる刀に、睦月達はただ見ているだけしか出来ない。
……しかし、そこである事に気付く。気づいてしまう。
今の百鬼は、和沙しか見えていない。ならば、不意さえ突ければ、もしかすると今の睦月でもどうにかなるのではないか、と。
そう考えた睦月は、背に庇い、守る様にしていた辰巳と琴葉の元から離れ、激戦のすぐ目の前までやってくる。一見すれば、彼女が入る余地など無いようにも思える。だが、それでも一点の隙さえ突ければ、少しでも勝ちに繋がると信じ、その戦いを観察していた。
激しく動く一人と一体の隙を伺い、その一瞬を見極める。正直、目が付いて行っているかすらも分からない睦月ではあったが、それでも見逃す訳にはいかない。
そして、その時はやって来た。
「ここっ!!」
一瞬の隙だった。百鬼の攻撃を受け流した和沙による連撃を凌ぎ、少し後ろに下がった瞬間、その体幹がぶれた気がした。それを隙と捉えたのか、睦月が勢いよく踏み出した。
先ほどのダメージを感じさせない程の鋭い突き。この一撃に全てを賭けんと言うような一撃に、さしもの百鬼も受けざるを得ない。そう、誰もが思っていた。
「なっ……!?」
攻撃は当たった、確かにその身に届いた。
だが、当たったのはほんの切っ先数ミリで、遠目からは刺さっているかどうかすらも分からない状態で柄の部分を掴まれ、完全にその動きを止めていた。
誰が見てもあの瞬間は隙だと思うだろう。そう、それは百鬼にとっても同じ事だ。隙だと分かっていれば、そこを突いて来るのは当然の話。詰まるところ、誘われた、という事だ。
「……!!」
睦月が咄嗟に左手で持っていた場所を捻る。すると、ガキンと何かが外れる音が連続で鳴り、わずかに薙刀が曲がったように見えたが、時既に遅し。薙刀を手繰り寄せ、すぐ目の前まで詰め寄った百鬼の姿に、思わず体が硬直する。
居合のような構えをとっている百鬼を前に、思わずやられると思い、その目を閉じた睦月。だが、次の瞬間彼女を襲ったのは、想定外の衝撃だった。
「邪魔」
「きゃっ!!」
まるで百鬼から引き剥がされるように吹き飛ばされる睦月。その原因は、横凪に振るわれる刀が睦月に届く寸前に、彼女の体を蹴り飛ばした和沙だ。しかし、十分に勢いの乗ったその一撃を完全に殺す事は出来ず、腕が上がって完全に胴がノーガードの状態になる。
そして、その隙を見逃す程、甘い相手ではなかった。
ドス、と鈍い音が響き渡る。
赤い液体が、周囲にまき散らされる。
百鬼が伸ばした腕の先、そこから更に伸びる黒い刀の刀身が、和沙の胴を刺し貫いていた――
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