第80話 天に至る

 何かが、響いた。

 それも、今和佐達がいる廃墟群に、ではない。温羅が襲来した時に鳴らされるサイレンのように、この街全体、いや、空全体に響き渡るものだ。


「……何、今の」

「わ、分かりません……。もしかして、新手が……」

「何だか、嫌な音だったね」

「……」

「せ、先輩ぃぃぃ……」


 音が鳴り止み、驚愕の表情を浮かべた一同は各々の反応を見せている。しかし、その中で唯一、その発生源であろう場所を睨みつけている人物がいた。


「……覗きとは、いい趣味じゃないか。あの時もそうやってコソコソと近づいて来たのか?」


そう呟くと、抜き放った長刀を逆手に持ち替える。その刀身には、今まで見た事が無い程、強力な蒼雷が迸っていた。


「兄さん、何を……!?」


 鈴音が驚くも、そちらには一切気を向けず、槍投げのような形で投擲の構えをとる。だが、定められた狙いの先は、遥か空の彼方。不自然なまでに雲一つ無い快晴の空だ。


「とっとと姿を見せろ、木偶の坊!!」


 全身のバネと、神立によって強化された力で投擲された長刀は十分過ぎるほどの速度を伴って、空を駆け上がる。

 蒼い光の尾を引きながら上昇していったそれだが、300メートルは上がったかと思われた頃、唐突にその動きを止めた。いや、正確には止めたのではない。甲高い音と共に、宙に突き刺さっていた。

 同時に、空にノイズが走る。それはまるで、空の色を貼り付けたテクスチャのようだ。波打つノイズは、長刀が刺さった場所を中心として、円形を描きながら広がっていく。その中心から姿を見せたもの、それを見た瞬間、和佐を除いた全員がその場で驚愕の表情を見せる。

 擬態、と呼ぶにはあまりに大規模で、それでいて雲一つ無い青空を再現した事以外は、完璧に空に溶け込んでいたソレが姿を現わす。


 黒い外殻、不可思議な形、それはまさに同種の特徴を持った、空を覆い尽くす程巨大な温羅だった。


「……黒鯨」


 全員がその姿を目の当たりにし、呆気に取られている中、和佐の口から出た言葉は、一体何を意味するのか。

 一同に見上げられている中、その温羅は動く事もなく、その場に留まっている。何を考えているのかは不明だ。しかし、少なくとも友好的な雰囲気は感じられない。

 長刀は未だ温羅の腹部分だろうか、そこに突き刺さったままだ。先手は打てる、和佐が動こうとした時、それを察知したかのように、温羅が動く。


『――――――』


 今しがた空に響いたものと同じ。それが、温羅が開けた巨大な口のような部分から発せられている。

 その大音量に、思わず耳を塞ごうとするが、その声と共にいくつもの光り輝く魔法陣のような砲門が展開され、脳を揺らすような音に顔を顰めながらも、構えようとする凪達。


「ま……ずい!!」


 しかし、和佐だけは構えず、その砲門を見た瞬間、その顔が目の前に迫っている危機を感じたのか、即座にその場から動いた。


「え、ちょ、兄さん!?」

「きゃっ!!」


 鈴音と葵を引っ張り、自身の傍に寄せる。反対に、七瀬と日向は蹴飛ばし、ちょうど凪の足元に転がした。


「先輩、痛い!!」

「何するんですか!?」

「先輩、盾を構えろ!! 二人を守れ!!」

「え? は?」


 イマイチ状況が飲み込めていない他のメンバーをよそに、和佐は頭上、真上に傍に寄せた二人の頭も覆うほどの大きさの結界を構築する。それを見た凪が、ようやく意図を察したのか、その場で盾を上に持ち上げ、七瀬と日向を守るようにして構えた。

 守られている四人は、未だにその行動の意味が分かっていないのか、しかしながら唐突に移動させられたものだから、その場から上手く動けないでいた。

 だが、今回はそれが功を奏した。

 二人が構え終わった瞬間、遥か頭上に展開されていた砲門が眩い光を放つ。そして、次の瞬間……


『――――――』


 咆哮と共に、大量の光が降り注ぐ。それは、雨のような、などという生温いものではない。一本一本分かたれているものの、少し離れて見れば、一本の巨大な光の柱と見紛う程の密度で彼女達に降り注いだ。


「ぐ……、これ、ヤバ……」


 腕だけでは不可能と判断したのか、凪が盾を背中に乗せ換え、まるで亀のような体勢をとっている。腕力だけなら、そこいらの男にも負けないうえ、今は洸珠のバックアップがある状態でこれだ。その攻撃の重さ、質量は尋常ではない。


「予想はしてたが……、正面からだと、これほどとは……!!」


 もう一方の和佐は、結界を五重に重ねて防いでいる。本来、結界は一枚維持し続けるだけでもかなりの負担が生じる。それはあの海上戦で十分思い知っているはずだ。だが、それを五枚、それもこれだけの攻撃を防ぎ続けているのだ、その体にかかる負担はこれまで戦ってきた敵の比ではないだろう。

 守られている四人は、その光景を茫然とした表情で見ている。一人足りとも、助けようとはしない、いや、出来ない。

 二人の防御に、他のメンバーは一切手が出せない。そもそも、その場から動く事すら難しいのだ。助ける事など到底出来よう筈もない。


 その攻撃が始まって、どれほど経っただろうか? 徐々に弱っていく光に、和佐と凪にかかる負担が弱まっていく。やがて、光の柱が痩せ細っていき、最終的には砲門が光を失い、温羅からの攻撃はそこで終わる。


「はぁ、はぁ……」


 防御に特化している筈の凪が、肩を上下させながら荒い息を吐いている。彼女ですらそうなのだ、防御がそこまで得意でない和佐に至っては、その場で蹲り、大量の汗をかき、乾いた咳を吐いていた。


「ゴホッ、ゲホッ……、カハッ……!!」


 一際大きな咳が出たかと思うと、口を抑えていた手から赤い液体が滴り落ちる。……血だ。


「兄さん!」


 すかさず鈴音が明らかにまともではない様子に気づき、和沙の傍に寄るも、本人によって静止され、上空を指差している。あの温羅を警戒しろ、という意味だろう。しかしながら、彼女もまだこういった状況で正確な判断が常に出来る程経験も年齢も重ねていない。迷った末に、やはり和沙に付くことを優先したのか、その傍から離れる事はなかった。


「なんなのよ、あれ!!」


 凪の視線の先では、悠々と空を泳ぐように浮遊している温羅の姿が見て取れる。距離、高さ共にこちらの攻撃は到底届かない。凪が件の相手に向かって悪態を込めて吠えるのも仕方の無い話だ。

 こちらの攻撃が届かないのだから、向こうはやりたい放題だろう。そう思っていたが、最初の一撃以降、上空を飛行している温羅からの攻撃は無い。むしろ、その姿は空に溶けるように薄くなっていく。

 やがて、彼女達の見ている前で、温羅はその姿を再び青く染め、その姿を空と同化させてしまう。しかし、先程と異なるのは、今度は雲やその向こうを飛ぶ鳥などが映っている事だ。つまるところ、それは擬態や迷彩ではなく、その場から完全に姿を消したことを意味している。


「なんなのよ、それ……」


 まるで台風一過のような惨状を残して消えた温羅を、いつまでも呆気にとられた表情で見上げていた凪達が我に返ったのは、十分程後の事だった。

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