第2話 少年の名

 温羅おんら


 元はとある地方に伝わる伝承上の生物の名で、鬼などを呼ぶ時に使われる事が多い。

 しかし、現在日本ではこの名は別のモノを指す言葉として使用されている。

 それが、二百年ほど前に出現し、それ以来日本に各地に脅威として認識されている異形である。


 温羅は様々な姿形を持ち、人型で現れるものもあれば、まるで生物とは思えないような無機物の形をとることもあり、非常に多種多様な見た目を持つ生物だ。更に、厄介な事に知能が高く、徒党を組むだけではなく、独自に戦術を駆使して襲い来る事も多々あり、日本の住む人々は二百年間常に戦い続けてきた。

 ……戦い続けてきたが、人間の攻撃手段では温羅に真っ当なダメージを与える事が出来るものが少なすぎた。

 小型の温羅に対しては、人間の銃火器でもどうにかなったものの、中型以上となると、まともにダメージを与えられないどころか、一方的に被害を被る事が多かった。そうなると、人の抵抗など一時しのぎにすらならなくなった。


 そうして、破壊され、廃墟群となった街も片手で数えきれなくなった時、一人の人物が温羅の前に立ちふさがる。その人物は、女性のみが持つ特殊な力を利用して温羅を次々と討伐していき、やがてその力は「神奈備かんなび巫女みこ」として選ばれた一部の少女達に受け継がれていくことになる。

そして今、その力を以って、かつて温羅の猛攻を防いだ人物は「ミカナギ様」と呼ばれ、民間信仰の一つにまでなった。



「ミカナギ様が伝えた力、つまりは「洸力」をエネルギーとして利用する事で、内包された力を発揮することができるのが、この洸珠こうじゅなんだけど……」


 本来この力を使用する事が出来るのは女性のみ。にも関わらず、現在少女の手に握られているこの洸珠は、あの少年が持っていた。


「本人に直接聞くのが一番だとは思うけれど、あの様子では……」


 手に持った洸珠を色んな角度から観察している少女の前で、黒髪長髪で眼鏡のスーツ姿の女性が呟く。

 あの少年の容態は安定している。が、未だに意識は戻らない。体に負った傷も、浅いものから深いものまであったが、それが原因ではないらしい。医者によれば、たとえ目が覚めても何かしら障害が残る可能性があるとのこと。


「とはいえ、これだけじゃあ何も分からないですよ。なんて言うか、この洸珠自体も私たちが使っているモノとは随分違うみたいだし」

「そうね……。やっぱり本人に聞くしかないわね。私は一度支部に戻るから、あなたは……」


 女性がそこまで言ったところで、横から看護師が声をかけてくる。


「すみません、例の少年が目を覚ましました」

「……! 行くわよ」

「タイミングドンピシャ」


 看護師に連れられてきた病室は、関係者以外面会謝絶の個室だった。とはいえ、少年の身元が分からない以上関係者も何もないのだが……。

 ベッドの上で上半身を立たせ、窓の外を見ているのは、昨夜は暗闇の中でよく見えなかったが、肩甲骨の上辺りまで髪の毛を伸ばしている事以外は特に目立った容姿には見えない少年だ。また、髪の毛自体もこだわっている、というものではなく、まともな手入れなどされているとは思えない状態だ。


「こんにちは。意識ははっきりしているかしら?」


 女性が少年に声をかける。ゆっくりと首を女性の方へと向けるも、その口からは何も発さない。


「いきなりでごめんなさい。私は祭祀局佐曇支部実働支援課さいしきょくさぐもしぶじつどうしえんか所属の川根菫かわねすみれよ。こっちは佐曇巫女隊さぐもみこたい隊長の藤枝凪ふじえだなぎさん」

「よろしくね~」


 紹介された少女、藤枝凪が手をひらひらとさせながら砕けた口調で言う。


「さて、あなたは昨夜、温羅との戦闘区域内で意識を失っていたところを藤枝さん率いる巫女隊が保護しました。起きたばかりで申し訳ないけど、あの場所で何をしていたのか、あなたが誰なのか、何より何故あなたが洸珠を持っていたのかを教えてもらえるかしら?」

「……」


 返事がない。少年は菫の問いかけに二度三度目を瞬きさせるものの、口を開く様子は見られない。が、混乱しているといった様子でもない。


「あ~……ごめんね、この人ちょっと事務的な人でさぁ、よくこういう態度取って怖がられるのよ。……ちょっと、もうちょっと優しくしないと」


 どうやら凪は、少年が菫に圧倒されて口が開けないと解釈したようだ。脇腹を肘で突きながら小さな声で菫をたしなめる。


「優しくって、こういう聞き取りは単刀直入の方が分かりやすく……、あぁもう分かったわよ。ごめんなさい、いきなりいくつも問いかけられるのは困るわよね。それじゃあ、まずはあなたの名前を教えてくれないかしら」


 ゆっくりと、分かりやすく、聞き取りやすいように話す。そのかいあってか、少年の口がゆっくりと開きだした。


「名前……、名前……、名前……?」

「??」

「俺の名前って、なんですか……?」

「……」


 開いた口からはこの場で最も聞きたくないであろう言葉が発された。


「ナンさん? いやぁ、変わった名前だよねぇ~。どこの出身かな? もしかして海外とか?」

「そう言いたくなる気持ちも分からないでもないけど、とりあえず落ち着きなさい。とはいえ、名前が分からないというのはちょっとね……」


 少なくとも、この場を凌ぐ為の嘘というのは考えにくい。少年の反応は何かを隠そうとはしておらず、まるで縋るかのように菫の方を見ている。


「もしかして、名前が分からないってことは、出身地なんかも分からないってこと?」


 凪の質問に少年は小さく頷く。典型的な記憶喪失だ。


「何か覚えているものはない? 小さい頃の事とか、すごく印象に残った物とか」

「……全く」


 掌で顔を覆う菫。当人も困惑しているだろうが、それ以上に困っているのは彼女達だろう。結局、洸珠の事はおろか、少年の情報が一切分からないのだから。


「この子の持ち物はどう? 何か身分を示す物は無かった?」


 そう聞かれるも、凪は首を横に振って右手に持った洸珠を差し出す。


「これ以外は何にも。ほんとに、財布すら持ってなかったわよ」

「そう、そう……」


 差し出された洸珠をジッと見つめていると、不意に少年が口を開いた。


「なんです? それ」


 ……と思いきや、ただの好奇心だったのか、少なくとも情報になるものではなかった。


「そうね、イチかバチかってところかしら……。これ、持ってくれる?」


 そう言って菫は少年に洸珠を差し出す。最初、少年は物珍しそうに眺めているだけだったが、やがて洸珠に右手で触れる。すると……


「っ!?」

「光った!!」


 洸珠の中心部、銀色の玉部分が鈍い光を発しだした。これが示す事はつまり……


「記憶喪失のうえ巫女適合者……、片方だけでもお腹いっぱいなのにダブルで来られたらお腹壊しそうね!」

「意味の分からない事を楽しそうに言って混乱させないで。とはいえ、厄介な事になったわね」


 記憶喪失だけでも問題なのに、それに加えて歴史上初の男性巫女ときた。これ以上は菫一人で対処するにはあまりにも事が大きすぎる。


「ひとまず、一度この事を支部に連絡して、そこから本部に指示を仰ぐしかないわね。すみませんが、本日はこれで失礼させていただきたいのですが、彼の事を頼んでもよろしいでしょうか?」

「え、あ、はい。かしこまりました」


 これまで完全に蚊帳の外状態だった看護師に少年の事を頼むと、挨拶をする間もなく部屋から出ていく菫。いきなりの事で追いつかないのか、その後ろ姿を茫然と眺めていた凪だが、やがて自分が置いていかれた事に気づく。


「あ、ちょ、待ってよ。って、ごめんね。今日はこれくらいで失礼するわ。じゃあねぇ~」


 片手を振りながら部屋を出ていく凪。その姿を少年も看護師もただジッと見ているしかなかった。


「なんだったのかしら……」


 看護師が小さくつぶやいた。全くである。



 再会は思いのほか早かった。


 疾風怒濤の如くやってきては去っていた凪と菫の二人は、その二日後、再度少年の元へとやってきた。が、今度は二人だけではなかった。


「やっほ~、また来たよ~」


 凪が先日と同じように軽いノリを見せながら病室に入ってくる。対して菫はどこか表情が固い。そして二人の後ろにいるもう一人は、グレーの髪を一部以外オールバックにしてスーツを着た男性だ。目つきが鋭く、視線を向けられた少年は思わず身を竦める。


「あぁ、すまない。そんなに固くならないでくれ。……私は鴻川時彦こうがわときひこ。祭祀局佐曇支部の支部長を務めている」


 手を差し出してきたが、少年はその動作がイマイチよく分かっていないようにも思える。少し考えたところでようやく意味が分かったのか、自らも右手を差し出して握り合う。


「よろしく、お願いします……。自分が誰かも分からないですが」

「の、ようだね」


 おおよその話は菫から聞いているのだろう。少なくとも問い詰めようといった雰囲気は感じられない。


「君の素性に関してだが、現時点でこちらでも分かっていなくてね。出されている捜索願いの中に君が該当するものは一切なし。また、あの海岸に流れ着くルートの潮の流れを追って、どこから来たかも現在調査中だが、そちらでも良い結果報告は今のところ届いていない。更に言うと、君の身分を証明するものが一切無いせいで、こちらとしてはどう扱っていいのか決めあぐねているところだ」

「……すみません」

「責めているわけではないんだ。ただ一つ、分かっている事が……これだ」


 そう言って差し出すのは、少年が所持していたと思われる洸珠。


「我々はこれを洸珠と呼んでいてね、本来は女性にしか反応を示さないんだ。しかし、これは昨日、君が触れたときに反応した。つまり、適合している、ということになる」

「それは、俺が女性だ、ということですか?」

「……、ふ、ふはははははははは! いやいやそういうことではないんだ。検査の結果、君は確かに男性だ。生物学的にも、心理学的にもね。そうではなく、我々にはこれが何故君に反応したのかは分からないが、反応した以上、こちらは”そう”だとしか判断が出来ない」

「すみません、元々頭が良くないのか、それとも何か障害でも残ったせいなのかちょっと理解が難しいのでシンプルにお願いします」


 頭を押さえながら少年は言う。確かに、時彦の言い方は少々回りくどい。


「あぁ、すまない。では単刀直入に言おう。君は、現在日本を脅威に晒している侵略者、”温羅”に唯一対抗できる”神奈備かんなび巫女みこ”として選ばれた」

「”巫女”? 男なのに”巫女”なんですか?」

「反応するところはそこなのか……。もしくは元々関連したお役目についてたおかげで特に疑問には思わないのかな? まぁ、それに関してはおいおい判明していくことだ」


 時彦は何かの書類を菫から受け取り、それを少年へと渡す。


「君の身分は現在も不明のままだ。が、正直なところそれを無視しても有り余るほどの価値が君にはある。そこで、だ。こちらで仮の身分を用意した。しばらくはそれを使ってもらえるかな?」


 渡された書類には戸籍謄本を初めとした個人の身分を証明するものが入っている。たった二日でこれだけの物をどうやって用意したというのか。


「名前に関するクレームは無しだ。いかんせん祭祀局があらかじめ用意してあるストックの中の一つでね。基本的には男性女性どちらも名乗っていておかしくないものしかないんだ。非常事態用でね」


 どうやらこれらのものは少年の為に急遽用意したものではなく、あらかじめストックとして作成されているものらしい。とはいえ、対象の見た目によっては生年月日が左右されるので、少なくとも国のデータベースには何らかの干渉を行ったようだ。


「では、ここまでで何か質問はあるかな?」

「一つだけ」

「おや、何かね?」

「苗字が鴻川とありますが、これはもしかして……」


 少年がそう聞くと、時彦の目が不敵に輝く。


「ご名答! 君は今日から私の息子となる!」


 だんだんと抱いていた印象が崩れ去っていっているのか、少年の目はもはや最初に見せていた竦むようなものではなく、得体の知れないものを見る目となっている。

 支部長、ということで普通ではないとは思っていたが、今日初めて会った少年を息子にするような人物とは思わなかった、といったところだろうか。

 実際のところ少年の存在は今の日本にとっては非常に貴重なものである。それこそ、色んな名家が彼の出自を無視して養子に向かえようとするくらいには。

 

「いやね、我が家は私と妻、そして娘が一人いるのだが、最近その娘が弟がほしい弟がほしいというので……」

「そこで俺を養子にしたら弟になると?」

「いや、兄だ」


 時彦の背後に控えている凪が今にも突っ込みを入れそうな表情をしている。心なしか、菫も少し疲れた顔をしている。


「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。ともあれ、君を我が家に歓迎する準備が出来ている事だけは伝えておこう。記憶が戻り、帰る家を思い出すまで、我が家の一員になるといい」

「ありがとう……ございます?」


 気圧されたのか、少年の返事がおかしなものになっている。少しひきつった笑みを浮かべている少年に気づいたのか、時彦は咳払いをして向き直る。

 少年は手元の資料にもう一度目を向ける。そこにはこう書いてあった。


 ―氏名 鴻川和佐こうがわかずさ


 ご丁寧に学籍まで用意したようだ。戸籍のストックやらはどれだけあるのか。突っ込むのは少し怖いのか、そこには口を出さなかった。


「検査もあるのでもう数日はこの病院で過ごしてもらうことになるが……、まぁ、一週間もかからんだろう。その時になったらまた来させてもらう。それでは、私はこれで失礼させてもらうよ」


 腰を上げた時彦は、そのまま後ろ手に手を振りながら病室を出ていくき、その後に菫が続く。その姿が完全に見えなくなったところで、和佐の口からため息を漏れる。短い面会だったが、得たものは多く、大きい。


「あのキャラについていくのは大変だよねぇ。かくいう私もまだ慣れてないのよね」


 相も変わらず軽いノリを見せる凪。慣れていない、とは言うがどことなく同族の匂いがする。


「ま、なにはともあれ、アンタの処遇はこれで決定。ちなみに、編入予定の学校じゃ私の方が学年上なんだから敬いなさいよ。ほら、先輩って言ってみ」

「ソーデスネー」

「あ、ちょっと! 何その態度!? 隊長権限でアンタを鉄砲玉に任命してもいいのよ!」

「病院では静かにしなさい」


 時彦の見送りから帰ってきた菫が冷たく言い放つ。


「だってぇ~、この新入りがぁ~」

「新入りに対する態度というものがあるでしょう。あなたは教える側であってもまだ敬われる段階ではないの。隊長という職務をはき違えないで」

「はぁい」


 肩を落としてとぼとぼと出口に向かう凪。菫もその後に続く。


「それじゃあ、次は検査後にまた来ます。それまでには何か思い出してるといいわね」

「次は絶対先輩って言わせてやるぅぅぅ!!」

「静かになさい!」


 閉まった扉の向こうではまた凪が菫に叱られていた。


「……もう、なんかドッと疲れた……」


 前途多難である。

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