五十三話 潜入捜査?

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。そのままで結構ですよ。片付けはこちらでやりますので」

「そう? じゃ、お願い~」

「紫音ちゃん、ごちそうになったんだから、せめて手伝いくらいはしなさい」

「えぇ~」

「……」


 上達した鈴音の手料理を堪能した睦月達は、腹が膨れた事ですっかり気を良くした紫音を中心として、片付けの事で少々揉めている様子だった。

 さっきとは違い、少しばかり騒がしくなってきた鴻川家ではあったが、そんな空気を心から堪能できない人物が一人、部屋の隅で丸くなって食パンを齧っていた。


「ほら、兄さん。いつまでもいじけてないで下さい。大人気無いですよ」

「べーつにー? いじけてなんか無いですよー?」


 微妙に語尾を上げながら話すそれは、まさしく拗ねた子供のそれとしか言い様が無かった。

 先程と比べて、そのあまりにも大きい温度差に、その姿を茫然と眺めるか、もしくは苦笑いを漏らすしか出来ない。


「兄さん、そんな恥ずかしい姿を他の人に見せないで下さい。流石の私も怒りますよ」

「流石のって……、よく怒ってるじゃん」

「人前でそのような醜態は晒しません。ですが、身内を躾けるのであれば別です」

「俺は畜生扱いか!?」

「動物の方が弁えてますので、兄さんの言う畜生に失礼でしょう」

「むきーーーーーーー!!」


 怒髪天を突く、と言うわけでは無いが、そこまで言われて黙っている和沙でもない。何かを言おうとしたが……その口は閉ざされる。思い直した、というわけではない。もっと別の要因だ。


「うわっとと……、また地震?」

「……」


 もう何度目かすら分からない地震を、特にこれといった反応も見せず、慣れた様子で過ごす一同。ただし、和沙の様子がおかしい事を除いて、だが。


「兄さん?」


 鈴音が声をかけるも、かけられた本人はただ黙って下――床を見つめている。いや、実際はもっと下、地面へと視線を向けているのだろうが、ここからでは流石にそこまで見る事は出来ない。

 周りにいた睦月達も、そんな和沙の様子を不思議そうに眺めていた。

 揺れが完全に収まると、それぞれが再び自分の作業を再開するのだが、何故だか和沙は近くにかけてあった上着へと手を伸ばした。


「どうしたんですか?」

「ん、用事を思い出した。ちょっと出てくる」

「ちょっと待って下さい。用事って何ですか? それに、お昼も……」

「いらん」

「あ、ちょっと! 兄さん!!」


 そう言い放った和沙は、鈴音の制止に一瞥もくれず、そのまま家を出て行ってしまう。豹変、と言えばいいのだろうか? その様子には、流石の睦月達も、あんぐりと口を開けて見送るくらいしか出来なかった。


「……え? あれ何なの?」

「気にするだけ無駄です。突発的なのはいつもの事ですし、思い立ったら吉日とばかりに動くのも普段からよく見る話です」

「あ、いや、そういう事じゃなくて……」

「切り替わりが早い?」

「そう、それ。さっきまでのも演技だってって事?」

「今も言いましたが、気にしないで下さい。あの人、情緒不安定なんです。切り替わりが早いんじゃなくて、興味の無い事に対しては、いつもあんな感じですよ」

「私達に興味無いんだ……」


 どこかがっかりしたような口調の紫音に鈴音が慰めるように話しかける。


「話自体は済んだようですし、あとは好きにしろ、という事でしょう。どうせしばらく帰ってきませんでしょうし、なんならどこかに行きますか?」

「鈴音ちゃんも和沙君に負けず劣らずマイペースよね……」

「はい?」


 鈴音が小首を傾げていると、睦月が少し呆れたような表情を浮かべていた。




 家を抜け出してきた和沙だったが、何故かその身は現在本局の中にあった。とはいえ、関係者ではない以上、正面から入ろうとしても門前払いを食らうのがオチだ。だからこそ、和沙は最もシンプルな手段を取る事を選んだ。すなわち、不法侵入である。いや、潜入だ。


「よっ、と……。右よし、左よし。さて、目的の物はどこかなぁ、っと」


 リスクを冒してまでここに潜入した和沙の目的はただ一つ、先の地震の原因を探る事だ。しかし、地震の原因を探るのであれば、祭祀局ではなく気象庁に潜り込むのが妥当だと普通なら思うだろう。確かに、和沙自身も最初はそう思っていた。

 しかし、井坂と長山を使いっ走りにして調べたところ、この地震はここ最近唐突に起き始めた事と、その頻度があまりにも多いにも関わらず、規模が小さすぎる事が挙げられた。

 そこで、和沙は一つの仮説を立てた。この地震は自然災害ではなく、人為的なものではないか、と。もしそうなのであれば、そんな事をして一番得をするのは誰か、という問題が浮上してくる。しかし、この問題に関してはすぐに解決する。都市のインフラを管理し、修復するだけであれば、それこそ民間業者でも事足りる。だが、地震によって発生する二次災害に関してはどうだ? それに対する救助は誰が行う? 真っ先に浮かんでくるのは自衛軍だが、この街から自衛軍の駐屯地はそれなりに距離がある。なぜなら――この街には日本最大級の武力組織である、巫女隊と守護隊が存在しているからだ。

 そこまで考えると、所詮個人の推測でしかないが、おのずと誰が何を画策しているのかが見えてくるだろう。そう、もし人為的に地震を起こすのであれば、その可能性が最も高いのは祭祀局によるマッチポンプだ。昨日のような事を、別の誰かが考えていないとも限らない。いや、別だからこそその可能性は十分にあり得る。


「さて、と」


 和沙がデスクの上にあったコンソールを叩く。ここは祭祀局の中でもかなり奥に位置する場所、局長室だ。ここを最も使うであろう人物である長尾は、紫音をけしかけた前科もある。故に、可能性があるとするならば、ここが最も有力なのだが……


「…………無いな。本当にこれっぽっちもそれらしき資料が見当たらない」


 もしかしたら隠しフォルダの一つや二つでもあるのではないかと探ってみても、それらしきものは見当たらない。

 和沙もそこまでこういった先進機器に明るいとは言い難いが、それでも佐曇にいる時はそれなりに触る時間があった。最先端の技術に興味があった和沙は、当然弄繰り回していた結果、時彦に叱られる、なんて微笑ましい光景も見られた。高度なハッキング技術などは無いが、一般的な操作と、多少踏み込んだ事くらいは出来る。それらを用いて、こうして探ってはいるのだが、情報らしい情報が一切出てこない。

 最も可能性のあった人物が外れである事にも驚いたが、そうなると一体誰が、そして何が原因なのか、それらが一切不明の状態のまま、調査が見えぬ暗礁に乗り上げてしまった。

 さて、どうしたのものか、と考え込む和沙。先ほど、通りがかりついでに聞いた事によると、まだ長尾はデスクには戻らないとのこと。であれば、もう少しここにいても見つかる事は無い。そう、思っていた。


「随分とお困りのようですね」

「ッ!?」


 背後から聞こえてきた声によって、その思考は制止をかけられる。以前にも耳にした、どこか透き通るようなその声に、思わず和沙の体は硬直する。ゆっくりと振り返った先には、いつの間にそこにいたのか、織枝が薄く笑みを浮かべて立っていた。


「珍しいお客様ですね。何か御用でも?」

「あぁ……、いえ、ちょっと道に迷いまして……」


 誰が聞いても苦しいと答えるであろう返答にも関わらず、織枝の態度は変わらない。あくまで和沙に向ける顔は、客人に対するものだ。彼女とて、和沙がここにいる理由は分からないまでも、正しい入り方で来たわけでは無い事を分かっているだろうに。何故か、敵対の姿勢は取らず、あくまでも客……いや、どこか敬っているようにも見える。


「迷って、ですか……。しかし、ここには貴方の求める物は無いと思いますよ」

「さ、探し物なんてそんな……。そろそろ出ていきます。すみません、お仕事の邪魔を……」

「そうそう、琴葉を助けていただいたようですね、お礼を言わせていただけませんか?」


 和沙の表情が、凍り付いた。


 部屋から出て行こうとしたその足が止まり、その場で微動だにもしない。その反応だけで、織枝の言葉が事実である事を自ら明かしているようなものだった。


「……ちょっと意味が分かりません」

「そうですか? 言葉通りの意味ですよ。百鬼との闘いの最中、貴方が助太刀に入り、最終的には百鬼を倒してしまった、そう報告を受けています」

「――」


 報告を受けた、すなわちあの場にいた誰かしらが話した、という事だ。誰か、などと考える必要は無いだろう。織枝に直接報告できる人物など、一人しかいない。


「なるほど、どうやら貴女の妹さんは人の言葉を理解出来なかったようだ。それとも、それが最善、とでも思ったのでしょうかね」


 そう言いながら振り返った和沙の口が半月状に歪んでいる。しかし、その目は一切笑っていない。彼を知る者が見れば、その表情に恐怖を感じるだろうが、織枝はそういった様子を見せる事は無い。余裕か、もしくは和沙を過小評価しているのか。どちらにしろ、ここで和沙が取れる手段は多くない。


「その言い草だと、事前に口止めはしていたようですね。しかし、あの子が報告で本当の事を言ってしまったと。なるほど、道理で彼女達の言い分と食い違うわけです。安心して下さい、あの子が話したのは私だけ。他の者達にこの情報が渡っている、なんて事はありませんので」

「……そうだと言う証拠は?」

「残念ながら、それを示す事は出来ません。ですが、真っ先に私に報告をしに来た、という事が、今のところ私に提示できる根拠です」

「……」


 信用出来ない。そんな表情を隠そうともしない和沙に、織枝は少し困ったように苦笑いを浮かべる。しかし、よくよく考えてみると、今のところこの祭祀局中には和沙のものと思われる情報は出回っていない。明らかに巫女という存在の根底を覆しかねない情報が蔓延する中で、これほどまでに表に出ていないというのは非常に奇妙な話だ。そうなると、やはり織枝の言う通り、琴葉は実の姉にしかこの事を話していないのだろう。

 話したとはいえ、信用に足る人物一人に留めた彼女を褒めるべきか。いや、そもそも話せばどうなるか、事前に脅しておいたにも関わらず、こうも簡単に漏らした所を見ると、やはり糾弾はするべきだろう。

 しかし、今は鴻川家にいるであろう琴葉の事よりも、この場をどうにかする事を考えなければならない。人を呼ばれる前に織枝を無力化するのが最善策だが、そもそも彼女は武力行使が可能なのだろうか?


「そう構えないで下さい。私にも巫女の適性はありましたが、それはもう過去の話です。今の私には、貴方に対抗できるだけの力はありませんし、そもそも人を呼ぶ気もありません」

「なら、どうする気だ? まさかこのままさようなら、なんてつもりは無いだろ」

「当然です。せっかくここまで足を運んでいただいたのですから。色々とお話ししたい事もありますし」


 そう言うと、織枝はゆっくりとデスクの向こう側へと回り、そのまま椅子に腰かける。何故かその姿が妙にしっくりと来る事に疑問を覚え、和沙が問いかける。


「ここって局長室じゃないのか?」

「局長室ですよ? ただし、この部屋の本来の主がここに来る事はありません。彼は自身の腹心が所属する部署に専用のオフィスを構えています。ですので、ここには滅多にどころか、全く寄り付きもしませんよ」


 どうやら、この部屋の本来の持ち主である長尾は、ここではない別の場所を根城としているようだ。ここに帰って来る事はおろか、近づきもしないらしい。道理で真っ当な資料ばかりで、汚職関連の物が出てこないはずだ。


「さて……、そういえばここに来られた目的を聞いておりませんでしたね。もし差支えが無ければ、お聞きしてもよろしいでしょうか? 悪いようには致しませんので」

「……」


 胡散臭い物を見るような目で織枝に視線を向ける和沙。しかし、この場ではどちらかと言うと和沙の方が不審者になる。ここは大人しく話しておくのが無難だろう。もしかすると協力を得られるかもしれない。


「……」


 少し逡巡する様子を見せたものの、最後には口を開く和沙。その口から語られたものに、織枝は目を見開かずにはいられなかった。

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