第56話 無比雷光

 その巨体故か、非常に鈍い動きでその場で反転する温羅は、菫達の予想ではそのまま撤退すると思われていたが、予想に反して元来た方向ではなく、凪が今現在戦闘中であろう方向へと進路を向けた。

 先程まで激戦を繰り広げていた相手を、一瞥すらしないその様子からは、どこか機械的なものを感じる。激戦を繰り広げた、とは言っても、温羅にとっては周囲を飛び回る羽虫を叩き落としただけに過ぎないとでも言いたげだ。

 事実、温羅の体には傷一つ付いていない。和沙の戦いは、まさしく悪あがきに過ぎなかったのだ。温羅にしてみれば、うっとおしいハエを叩き落としただけなのだろう。


 その目的などは一切悟らせず、無情に和沙を蹂躙した温羅は、次の標的を撃滅せんとするためにその視線を目的地に向け、ゆっくりと進んでいく。

 今現在、凪達の相手をしている温羅が戻ってこない事を見るに、未だ勝敗は決していないようだ。しかしながら、この温羅がその戦闘に加わる事になれば、凪の勝機、いや生存確率は一気に下がる事だろう。それこそ、一分と持たない可能性もある。

 これまでは、ある程度時間が経つと撤退していた大型が、何故今になってここまで人類側の戦力を削ろうとするのか? そもそも温羅が侵攻する理由すら分かっていない現状、それを考察したところで何かが判明するわけでもない。意思疎通が不可能な時点で、最初から対話や問い詰める行為は無意味なのだから。

 凪はまだ知らない。自身の死神となるべき存在が刻一刻と違づいてきているのを。その死神は、彼女を射程に入れた瞬間に、無慈悲なる杭の一撃を繰り出してくると言う事を。


 その存在そのものが死期となり果てた杭の温羅は、眼前に立ちふさがる瓦礫を次々と押しのけ、確実に凪の元へ進み……


「人の腹に風穴空けておいて凱旋とは、何様のつもりだデカブツ」


 止まった。


 聞こえるはずの無い声が、辺り一面に静かだが、はっきりと響き渡り、それをしかと耳にした温羅の足が止まる。

 それだけではない、まるで周囲の空気が一変したかのような錯覚を覚える程の殺気が、それこそ人が何人集まろうと無慈悲に蹂躙するだけの力を持った温羅に向けられる。

 敵意は無い、悪意も無い。ただ、そこにあるのは純然たる殺意のみだ。奇しくも、それは温羅を一個の生命として見、それを抹殺せんとす、死神の意識でもあった。

 先ほどと同じく、ゆっくりとその場で反転する温羅。しかし、そのスピードは先ほどと比べると少しばかり早いような気がする。焦っているのか、それともえもいわれぬ「感情」を抱いたのか、それは分からないが、少なくとも平静ではない事は明らかだ。


 果たして、振り返った先にそれはいた。


 愛刀を肩に乗せ、蒼く爛々と輝く瞳で自身の体よりも何十倍も大きな相手を見上げている。腹部は、血でどす黒く染まっているものの、何故か血液が滴っている様子は無い。まるで、栓でもして止められているかのようだ。

 和沙は、温羅が完全に自分の方へ向く事を黙って見ていた。ただ、温羅が戦闘形態に入るのを待っているかのように。

 その姿を見て、温羅は戦慄する。いや、しているように見えるだけかもしれない。しかし、動揺を見せているのは確かなようだ。

 やがて、回頭が終了し、再度人と温羅が向かい合う。しかし、両者の雰囲気は、見れば全ての人が口を揃えて言うだろう。先ほどとは、真逆のようだ、と。

 何も言わずに立ち尽くしていた和沙だったが、温羅の戦闘準備が終了したのを見ると、肩に乗せていた刀身を下ろす。そして……


「……はっ」


 笑った。


 首を横に傾げ、笑みを浮かべている。形だけ見るならば、少女の愛嬌を振りまく仕草に見えなくもない。が、その口は半月状に歪んでいた。


「――――――」


 一体、どこから発せられたのだろうか。温羅のトロンボーンのような低い、それでいて凄まじい圧力を伴った咆哮が、周囲の空気を震わせる。それと同時に、温羅の下部が開き、そこから複数の砲門が覗く。近接戦用の砲門だろう。そこから、一斉に小型の杭が発射される。

 それを見た和沙だが、動かない。すぐ目の前まえ攻撃が迫っているにも関わらず、笑みを浮かべたままその場に立ち尽くし、そして、着弾する。

 小型の杭だった為か、そこまで大仰な轟音はしなかったが、それでもあの数に一気に貫かれれば、ただでは済まないどころか、先程とは異なり、死は確実だろう。そこいらに転がっている瓦礫では盾にすらならない。どうしても防ぎたいのならば、軍用のカーボンファイバーで作られた特殊防壁を持ってくるしかない。そう思っていたのだが……。


「どこ見てる間抜け」


 背後から聞こえた声に、一瞬温羅の反応が遅れる。しかしながら、その一瞬が命取りだった。

 蒼い閃光と共に、長刀が一閃され、小型の杭が装填されている砲門が一気に斬り落とされる。着地と同時に、温羅の残った砲門が和沙を狙う。が、照準が合わさる頃には、既に和沙の姿は無い。

 一瞬にして消えた和沙の姿を探すべく、回頭を試みるが、突如として側面に強い衝撃が走り、その巨体が大きく横に揺れ動く。強い衝撃があった部分を見てみると、そこには長刀が突き立っている。しかし、和佐の姿は無い。どうやら投擲による攻撃のようだ。

 しかしながら、いくら洸力で強化しているとはいえ、大型温羅の巨体が揺らぐ威力の攻撃など可能なのだろうか。ましてや、和佐の腹部には大穴が空いている。例え十全だとしても、いつもの和沙ならば不可能だろう。

 そう、いつもならば。

 またもや蒼い閃光が走る。そう思った瞬間、今度は温羅の頭上から、大きな衝撃が走り、不可思議な力で浮いていた温羅の体を地面へと叩き落とす。

 頭上から叩き落とされた事で、自重に耐えられなかったのか、下部の小型の杭用の砲門が押しつぶされる。


「これで、二つ目」


 大胆にも、和沙が温羅の頭頂で眼前を見下ろしている。その目はこれまで温羅に向けてきたものではない。ただただ冷たく、無機質なものだった。


「……なんだろうな、笑みを作ってはみたものの、お前を見てるとどうも不愉快で仕方が無い。あぁ、なるほど……、俺にも真っ当な情ってのが残ってたんだな」


 地に這いつくばっている温羅から目を離し、その視線を空へと向ける。今までの無機質な目が嘘だったかのように、その目には哀悼の色が浮き出ていた。

 頭上にいる和沙を振り落とす事は、今の温羅には不可能だ。だが、体勢を崩す事くらいは出来る。そう言っているかのように、温羅の体が大きく振動する。どうやら、和佐の体勢を崩すのと同時に、自身も立て直そうとしているようだ。


「……」


 空を見ていた和沙の目が、静かに閉じられる。足下の振動も意に介さず、その目は閉じ続け、一分は経っただろうか、ゆっくりと開いたその目には、哀れみの色は残っていなかった。

 温羅がようやく立て直せる段階に入ったのか、その体が地を離れ、ゆっくりと宙に浮いていく。依然、足下は大きくぐらいついているが、和佐の表情は一切変わらない。


「これ以上遊んでやる義理は無い。……とっとと、落ちろ」


 和沙の足が上がり、まるで踏み潰すかのようにその場――温羅の頭上に足を振り下ろす。足の裏が接地したと同時に、足の周りに蒼い稲妻が迸り、そして……温羅が沈黙する。


 まるでその巨体を貫くようにして、体の表面、その至るところから蒼雷が突き抜けていた。


 一瞬の出来事だった。


 和佐の動きは大仰なものではない。ただ、足を一度踏みしめただけに過ぎない。それだけで、あれだけ苦戦していた大型が完全に動きを止めた。いや、完全に息の根を止めた。

 力を失った温羅の巨体は、ゆっくりと地面に向かって下降していく。そのまま地にぶつかる、と思いきや、ぶつかる寸前の場所から、徐々に塵となっていく。炉心が破壊された温羅の末路だ。どうやら、和佐の蒼雷は炉心を体もろとも貫いていたらしい。でたらめとは、こういう事を言うのか。


「さて……、仇は討った。次は……」


 和沙が視線を向ける先、それは一時間程前に和沙が七瀬の背中を見送った方角。

 耳をすませば聞こえてくる戦闘音が、凪がまだ生きている事を教えてくれる。

 同時に、それはもう一体の大型が健在である証拠とも言えるが。

 引き寄せ、飛んで来た長刀を視線も向けず器用受け止めた和沙は、再び刀を肩に担ぐ。そして一呼吸置いた、と同時に蒼い閃光と共にその場から消えた……。

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