第57話 一陣刀嵐

「あ゛ぁ……、もう無理……」


 大の字、五体投地の状態で地面に仰向けに転がった凪の口からは、疲労とあまりにも見えない先の混迷さに、諦めの言葉が漏れ出していた。

 盾は未だ健在だ。しかし、それを支える凪の方が限界を迎えており、このまま続けても、いや、もう続けられまい。

 海上で戦った時は六人全員が揃っていた事もあり、多少ならば押し返す事が出来たが、一人だとそれも難しい。


「そもそも、こっちは腕が二本しかないのに、向こうは何十本もあるって、おかしくない!?」


 一種の数の暴力に対し、不平不満を口にするものの、それで現状が改善するわけでもない。結局、無理なものは無理なのだ。

 足止めとして、凪はこの小一時間程ずっと戦って来たが、温羅が撤退する様子は無い。今もまた、強者の余裕を見せるかの如く、その場で触手を揺らめかせている。先程までの凪ならば、その態度に青筋の一つでも浮かばせていただろうが、今はそんな体力も残っていない。

 この温羅との戦いでは、攻撃に転じる事はほとんど出来ず、常に防御の姿勢を見せていた凪だが、勝算が無かった訳ではない。懐に潜り込み、炉心付近を一気に盾に内蔵された杭で撃ち抜ければ、万が一にも勝つ可能性はある。のだが、いかんせん温羅の外殻らしき皮膜が厚すぎる。それに加えて、常に防御が必要な状況に陥り、まともに攻撃など出来ようもない。

 結果、こうして諦観に暮れ、五体投地に状態で地面に転がっている。

 今更ではあるが、やはり七瀬にはいて欲しかった、などと考えるも、それはそれでまた新たな問題が生まれる為、結果的に正しい判断ではあっただろう。


「……」


 見上げた空には何も映ってはいない。ただ、真っ暗闇がどこまでも続いているだけだ。それを照らす無数の星を除いて。

 温羅が蠢く音がした。おそらく、いつまでも動こうとしない凪にしびれを切らしたのだろう。生きているのは分かっており、後はトドメを刺すだけだ、と言わんばかりに巨大な触手をいくつも持ち上げる。


「うへぇ……、どうせ死ぬなら、もっとマシな死に方がいいなぁ」


 押し潰されているであろう自身の数分先の未来を予想しながら、そんな呑気な事を呟いている。

 人は、死を確信した時、見えている物がスローモーションになると言うが、彼女の目は、自身じ迫り来ようとしている触手がスローに見えているのだろうか? その目がゆっくりと閉じられ、もはやそれを知る方法は無い。

 瞼の裏の暗闇の中、凪は一体何を思うのか。彼女の事だから、辞世の句でも読んでいるのかもしれない。

 しかしながら、目を瞑り続けている凪は、一向に自身の体を押し潰しに来ない触手に疑問を浮かべる。

 まさか、人が死の際で色々考えているのを見て、楽しんでいるのか? もしそうならば、文句の一つでみ言ってやらねば、彼女的としては気が済まないだろう。

 凪が、そんな事を、考えていた時だった。


「いったぁい!?」

 突如として、凪の頭に子気味の良い音と共に鈍痛が走る。

 温羅の攻撃か、とも一瞬思ったが、それにしてはあまりにも優しすぎる。更に言うと、あの温羅は全体的に柔らかい体をしている。年頃の女子風に言うと、マシュマロ系、と言うやつだ。流石にマシュマロに並ぶレベルではないが、少なくとも、少し小突いただけで、コブが出来そうな程固くはなかったはずだ。

 だとするなら、一体何が……。と、凪が目を開けて確認しようとするよりも早く、頭上が心底呆れているような声が降り注いで来た。


「さっさと起きろノロマ。いつまで呑気に寝てるつもりだ」


 その声に、思わずこれ以上無いほど大きく目を開いた凪は、目の前に立つ人物を見て、呆然とするしかなかった。


「……なんだ、そのアホ面。いつも間抜け面晒しているとは思ってたが、こんな時までそれだと、逆に感心する」

「……」

「なんだ? 今度は陸に上がった魚の真似か? なら、目はもっと死んでないとな。後は、喘ぎ方が足りない。そもそも、コントがやりたいなら他所でやれ。邪魔だ」

「……黙って聞いてたら、随分好き勝手言ってくれるじゃない」

「好き勝手言われるような事をしている方が悪い。そら、さっさと構えろ」


 和佐の言葉に、これまた渋々と言った様子で、盾を支えになんとか立ち上がった凪。前方を見ると、依然温羅は健在なものの、何やら様子がおかしい。

 その理由はすぐさま判明した。足が斬り落とされているのだ。それも一本や二本ではない、複数だ。


「あいつに叩き起こさせるのも一瞬考えたんだがな。逆に寝そうだったからやめた」

「あんたねぇ……」


 冗談にしては笑えない……、いや、果たして本当に冗談だろうか? それにしては、和佐の目が笑っていない。


「そういえばあんた、もう一体はどうしたのよ? 七瀬が言ってたわよ、和佐君が足止めしてるって」

「足止めなんてケチな真似で済ますか。きっちりと落とし前を付けて来た。今までの借りを全部乗せてな」

「……倒したって事? そんな、冗談でしょ!? いや、でも……あんた、なんか雰囲気が……」

「口ばかり動かしてないでとっとと構えな。奴さん、怒り狂ってるおかげで、そのまま茹でダゴにでもなりそうだ。……いや、イカだったか? まぁ、どっちでもいいがな」


 和佐の持つ長刀に蒼雷が迸る。凪にあれこれ言うだけあって、準備は万端のようだ。


「やるのはいいけど、どうすんのよ。私の一発が通れば炉心を破壊出来ると思うけど、そもそもあいつの外殻が分厚過ぎるし、何より触手のせいでロクに近づけやしないわよ」

「そうだな……、正直なところ、俺もあいつにトドメを刺せる程体力が残ってない。と言うか、ぶっちゃけ今にも倒れそうだ」


 よくよく見ると、その足下が若干ふらついている。その原因となっているのは、やはりその腹部に空いた穴だろう。臓器はとうぜんの事、下手をすれば重要な血管の一本二本は貫通している可能性がある。


「今は洸力で塞いじゃいるが、逆言えば洸力が切れた途端アウトだ。あまり時間はかけられん」

「……分かった。んで、どうすんの?」

「触手に関しては俺がやる。流石に達磨にされりゃあ防ぐも攻めるも出来ん。外殻は、そうだなぁ……、蒼脈でぶち抜いてもいいが、洸力で塞いでる以上は、こっちを強化に使いたいし……。仕方ない、削ぐぞ」

「そ、削ぐって……」

「言葉通りの意味だ。奴の皮膜を削ぐ。炉心に攻撃が届くまでな」

「滅茶苦茶ね……」

「何を今更。俺はいつだってこうして来た。……ほら、来るぞ」

「あぁ、もう!!」


 先程斬り落とされたものはどこへ行ったのか? いつの間にか、新しい触手が振り上げられ、二人へと迫る。

 その場で迎え撃つ体勢の凪に対し、和佐は前へと踏み込んだ。無数の触手を、まるで先が見えているかのように悠々と躱しながら、隙が生じれば、その部分に刃を突き立てる。否、斬り飛ばしていった。

 頭上から、まるで逃げ道を潰すかのような一纏めにされた触手が降り注ぐ。まともに受ければ、もれなくミンチにでもなりそうな一撃だが、和佐は避けない。……正確には、受ける瞬間までそこを動かなかった。

 刹那、蒼い閃光が走る。それも、和佐を中心として縦横無尽に。次の瞬間には、先程の触手と和佐の構図が入れ替わっており、上空に飛び上がった和佐の眼下では、纏められた本数よりも遥かに多い数触手が宙を舞っている。巨大イカの解体ショー、とでも呼ぶべきか。


「これで半分くらいか?」


 目の前の温羅の残骸を見て呟くも、明確な答えを持つ者はいない。いるとすれば、眼前で悶え苦しんでいる当事者だが、海産物に言葉など通じるのか?


「……あと二、三本やっとくか」


 ついでにやる、くらいの軽い気持ちで触手を見下ろしている和佐だが、存外敵の抵抗が激しい。まぁ、激しくしたのは、ここで物騒な事を呟いている本人なのだが。

 もはや温羅の目には凪は写っていない。ただ、自身を追い詰める可能性を持つ和佐だけをターゲットに絞り込んだのか、動かせる触手を全て動員し、未だ空中にいる和佐を叩き落としにかかる。


「脅威と感じれば、優先的に排除にかかる……。考え方としちゃあ間違っちゃいないんだが、それなら逃げた方が動物的だと思うんだがなぁ……。ま、下手に知性を持った結果というやつか」


 呑気にそんな事を呟いていたが、触手は襲いかかるよりも早く、その姿が消える。いや、消えたと言っても、その直後に発生した蒼い軌跡を見れば、和佐の移動先を追える。しかし、スピードがあまりにも違い過ぎた。


「予定変更だ。その見てるだけで喧しい足、全部斬り落としてくれる!」


 蒼雷を纏いながら吼える。纏った雷が周囲に伝播し、和佐を灼いていく。その姿は、もはや人などとは呼べない。むしろ、温羅よりも怪物らしい。

 地面が破裂する程の膂力で踏み込み、蒼い軌跡を描きながら、縦横無尽に動き回る。温羅の触手がそれを捉えようとするも、そもそもその質量に相応しい動きしか出来ない触手では、あまりにも相性が悪過ぎた。

 捕捉しようと、鎌首をもたげた触手が、その姿を捉える暇もなく、無惨に両断される。それは一本や二本だけではない。片っ端から、同じ様に斬り落とされていく。

 戦いは数で決まる。かつて戦史に残る程のいずこかの参謀はそう言った。しかし、例外も存在する。どれだけ蟻を集めたところで、象には勝てない。これが軍隊蟻ならば話は別だが、残念ながら、この温羅が操る触手は、クロヤマアリのようだ。

 一本、二本、三本と、次々に触手が半分かそれ以下の長さになって倒れ伏していく。温羅も必死に応戦しているものの、やはり相性が悪い。これが以前戦った中型のように、鋼鉄のような外殻であれば話が違っただろうが、いかんせん、厚くとも柔らかい皮膜だ。重なれば貫くのは難しかろうと、斬撃に対しては耐性などあってないようなもの。

 あれだけ凪達を苦しめたにも関わらず、今はたった一人の人間に苦戦を強いられている。否、それは既に戦いではない。ただ捌かれているだけに過ぎない。


「これで……ラストォ!!」


 無意味な抵抗を続けていた最後の一本が地に落ちる。これで、この温羅は丸裸……達磨状態とも言える。

 しかしながら、この温羅も流石は大型と言える。早くに斬り落とされていた部分が再生しかけている。数十秒も経てば、再び触手を操る事が出来るようになるだろう。しかし……


「あぁ……、鬱陶しい……」

「――――――」


 斬った。まだ再生が終わっていない部分を。それも、包丁の様な引き斬るものではなく、突き刺し、強引に抉り斬った。

 温羅に痛覚があるのかどうかは分からない。が、悲鳴とも怒声ともつかない音を発した事から、感覚が無い訳ではないようだ。

 しかしながら、そんな音を耳にしたところで、和佐は止まらない。それどころか、まるで幽鬼の様に揺らめき、ゆっくりと温羅の顔らしき場所へと歩いていく。

 先程の温羅と同じく、このアンコウもどきも宙に浮いている。故に、地上を歩いたところで、お目当ての場所へ到達するのは不可能なのだが……、そんな事は知った事か、とでも言うように、和佐の体が一瞬ブレ、次の瞬間には温羅の頭上に立っていた。


「あぁ、そうか、なんでこんなに気が立つのかと思ったらそういう事か。……その足も、足が擦れ空気を裂く音も、少しばかり香ってくる海の匂いも、こちらを上から見下ろす小さな目も、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!! 癇に、障る!!」


 暴虐。そう呼ぶ以外に表現のしようがない。

 親の仇、程では無いが、そうと見紛う程の憎悪を向けながら、和佐は刀を振るい続ける。近くで見ていた凪が唖然と絶句する程、その様子は異常だった。

 白刃が縦に走る。すると、まるで輪切りにでもされるかの様に、温羅の体の一部が切り離される。

 まるで、玉ねぎを輪切りにでもしていくかのその動きに、当然の事ながら温羅は抵抗する。しかしながら、再生しようとした部分は、再生が完了する前に両断される。なるほど、削ぐとはこういうことか。

 徐々に、しかし確実にその皮膜が削れていく。それと同時に、炉心と思わしき部分が露呈していく。


 もはや、決着は時間の問題だった。


 炉心の一部が完全に露出したところで、和佐はその手を止め、温羅から離れて凪の元へと向かう。


「炉心が出たぞ、とっととぶち抜いてこい」


 すれ違いざまにそう言うと、既に自分の仕事は終わった、とでも言うかの様に、戦線を離脱する。

 あのまま続けていれば、それだけで終わったのではないか? と思わない事も無いが、実際、和佐の体力は既に限界を迎えていた。その証拠に、少し離れた場所で、鈍い音を立てて、その場に倒れこんだ。


「え、ちょ!?」


 思わず狼狽える凪に、和佐は仰向けに寝転んだまま手を振っている。


「あとは炉心を破壊するだけだ。さっさとやれ、でないと再生するぞ、あれは」


 確かに、既に温羅の体は所々が再生を始めている。早急に終わらせなければ、和佐が倒れた今、今度こそ討伐は不可能になる。


「……よし」


 内部から駆動音が漏れる盾を構え、正面から音羅を見据える。先程の和佐のおかげで、温羅は今、地に伏している。狙うならば、今しかない。


「ふー……」


 深く呼吸を吐き、足に力を入れる。たった一撃でいい。それで確実に粉砕する。

 こちらが攻撃してこないところを見て、一瞬温羅の注意が逸れる。その隙を、凪は見逃さなかった。

 瞬時に足の力を解放し、温羅の体に肉薄する。炉心の中心に、盾の下部から露出した杭の先端を押し当てる。そしてーー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る