第20話 明るくも憂鬱な休暇日和 前

 大型の件から数日が経った。

 各々の怪我も大したことはない、ということで普段通りの訓練やボランティア活動に勤しんでいた和佐達。

 そんなある日、訓練後に菫からとある衝撃の一言が告げられた。


「巫女たる者、時には休養も必要です。というわけで、しばらく訓練やボランティア……、言ってしまえば巫女隊の活動をお休みします。その間に、各々しっかりと体を休めておくように」


 それだけ言うと、菫は先に訓練所を後にする。残された一同は、久方ぶりの休養期間に嬉しさを噛みしめながら、休養期間に何をするのかを話し合っていた。……約一名を除いて。


「……お疲れ様で~す」


 抜き足差し足、更には話し合っている凪達に聞こえるか否かの小さな声で挨拶をすると、そそくさと逃げ出すように出ていく和沙。が、


「どこ行くのかな? 和佐く~ん?」


 捕まった。

 和佐の背後には、これでもかというほどの満面の笑みを浮かべた凪がいる。


「和佐せんぱーい、どこ行くの?」


 そこに足される小さな暴虐。この二人に目をつけられただけならまだいいが、物理的に捕まった時点でアウトだ。


「やめろ! 離せ! どうせまたロクでもない事に巻き込まれるんだ! 今回はさっさと逃げさせて……、あぁ?」


 最初はもがいて抵抗するも、この面子の中で最も腕っ節の強い凪に敵う筈もなく、すぐに力無く引っ張られて行く。


「はいはい、これも部隊の行事の一環よ。あんたも観念して参加しなさい」

「ご無体な……」


 抵抗すら許されずに引きずられるその姿は、まるでどこぞの民謡のように無力な仔牛が売られて行く姿のようにも見えた。


「……やっぱり、定番は海だと思うんです」

「いえ、山でゆっくりする、というのも十分有りだと思いますよ?」


 一悶着があった和佐達には目もくれず、七瀬や仍美が何やら激論を繰り広げている。内容としては、おそらく夏季休暇に旅行の行き先だろう。


「和佐君はどちらが良いと思います?」

「和佐先輩はどっちだと思いますか?」


 蚊帳の外を決め込むつもりだったのが、早速打ち破られた和佐は、唐突に振られる話題に対し、ちょっとした疑問を投げ返す。


「いやまぁ、どっちでもいいんだけど、俺らが貰ったのって今の時期の休養であって、夏に改めて旅行に行けるような休暇って貰えるの?」

「そこは安心しなさい。毎年きっちり休みはあるわよ。周りが休みで、私達が休みじゃなかったら士気に関わるからね。その辺はキッチリ理解してるわよ」


 凪曰く、巫女隊のパフォーマンスを高く保つ為ならどんな事も厭わないとの事。


「それで」

「和佐先輩は」

「どちらが」

「いいんですか!?」

 何が彼女らをここまでさせるのか。これ以上振られても面倒だと考えたのか、和佐は忌憚の無い意見を彼女達に告げる


「どっちも嫌だ」

『ッ!?』


 二人同時にショックを受けたような表情になるが、すぐに目の前の人物を理解出来ない、とでも言いたげなものに変わる。


「だってそうだろ、あくまで休養なんだから、無駄に体力を使う必要なんてない。何より、俺は外に出るのが嫌いだ。暑いし」

「はぁ、あんたねぇ……」


 心底呆れた凪の視線が、和佐を責める。


「自分の事、男だと強調する癖に、そう言う事言いますか……。ここは男らしくどちらかの提案に乗って、尚且つもう片方にもフォローを入れるところですよ? 少なくとも、同じクラスの新宮君ならそうしてます」


「にいみ……、誰それ?」

「クラスメイトの名前すら覚えてないんですか……」


 衝撃の事実が発覚した。いくら高校になってから入学したとはいえ、既に今にクラスになってから三ヶ月が経とうとしている。にも関わらず、和佐はクラスメイト全員の名前を覚えていない。

 いや、七瀬が挙げた新宮君は、クラスの中でも比較的目立つ人物だ。何事も自分から行動し、困っている人がいるなら男女構わず手助けをする。その人柄の良さから、クラスでは人気者と言ってもいい。

 それを、知らない!!


「いや、まぁ……、人の名前ってなかなか覚えられなくて……」

「アルツハイマーにでも罹ってるんですか? もういいです、分かりました」

「……何が?」


 嫌な予感でもするのか、和佐の表情が引き攣っている。視線の先には、何かを決心した様子の七瀬がいる。


「仍美さん、今年の夏は海にしましょう。そして、あの出不精を陽の光が燦々と降り注ぐ真っ白なビーチに引き摺り出しましょう」

「いいですね!! 是非そうしましょう!!」


 七瀬が、満面の笑みでとんでもない事を言い出した。当然ではあるが、その選択肢を用意していた仍美は全面的に賛成している。

 マズイ、と和佐の口から小さく漏れたのを誰が聞いただろうか。ただでさえ、日頃から屋外に出ることはあっても、大体が屋敷の敷地内で事足りている。必然的に、休みの日はほとんど引きこもり状態の和佐が、海なんて行こう者ならどうなるか分かったものではない。


「ッ!!」


 助けを求めて他のメンバーに視線を向ける。

 風見はもともと仍美側だ、期待は出来ない。凪は論外。となると、残りは……。


「日向は山派だったよな!?」


 当初七瀬が山を主張していた時に、彼女を擁護していた日向に助けを請う。彼女に助けてもらっても、結局は外出決定なのだが……、海よりは山の方がまだマシということか。


「んー……、でも、七瀬ちゃんが海にするって言うなら、私も海でいいかな」


 しかしながら、最後の希望も無残に打ち砕かれる。

 結論、海派5名、自宅休養派1名。


「決まりね」

 ポン、と肩に置かれた手は、和佐にとっては地獄への片道切符と同義だった。




「で、だ。どういう状況なの、これ?」


 あの悪魔の裁定から数日、週末の昼下がり、何故か和佐はショッピングモールの中のベンチで自分の置かれた状況を理解出来ず、まるで借りてきた猫状態で座っていた。


「何って……、巫女隊の皆さんが夏に海に行くと言う事で、水着を買いに来たんですよ」

「んー、んー? ちょっと理解が追いつかないなぁ……。なんで俺を連れて来たの?」

「それは勿論、男性の意見を聞きたいからじゃないですか。女同士では結局、自分達の好みに偏りますし、是非兄さんから見た感想を、と」

「帰る」


 和佐の隣で、鈴音が楽しそうな様子で、しかし和佐の腕をガッチリと掴んでいた。

和佐をここまで引き摺り出したのは彼女だ。唐突に用事があるので付き合って欲しい、と頼まれ、暇だからとホイホイついて行ったのが運のツキ。いつの間にやら、こんな場所まで連れて来られた。


「ダメですよ、兄さん。たまにはこうして外に出ないと。休みだからってずっと家の中にいると、出不精とか言われますよ」


 もう遅い、とでも言いたげな口を強引に閉じる。


「出不精なんじゃない、インドアなだけだ」

「それは、屋内で何らかの趣味を持っている人に付けられる呼称です。兄さんは、一般的に引きこもりと言われる類の人種かと」

「……」

「否定しないんですね……。まぁ、自己認識が出来ているのは感心です」

「なんでこうチョイチョイ俺の心を抉ってくるの……」

「愛の鞭です♪」

「物は言い様だな……」


 他愛の無い話で時間を潰す二人。待ち合わせ……、と言っても、そもそも和佐はした覚えは無いが、時間まではまだかなりある。


「何でこんな早く来たんだよ……」

「普段休みの日に兄妹二人で出かける事なんて無いから、この機会を活用しただけです」

「二人で出掛けた事あっただろ。ほら、この間」

「一ヶ月前の話をさも先週あったかのように話さないで下さい。そもそも、兄さんは外に出なさ過ぎるんです。休みの日に一緒に遊ぶ友人の一人や二人くらいは……、すみません、失言でした。忘れてください」


 言い掛けてやめた鈴音に対し、和佐は疑問符を浮かべる。が、すぐに何も無かったように振る舞った。

 忘れてはいないだろうが、和佐の周辺関係は、以前鈴音が調べてから少しも変化を見せていない。クラスで浮いているわけではない。ただ、交流を極端に嫌がるのだ。

 鈴音の放った間諜曰く、鴻川の名が発覚した当初はともかく、今の和佐の存在感はほぼゼロに近い。話かけようと思っても、気づけば姿を消している、との事。

 巫女である事を考えれば、存在感が埋もれるなんて事はほぼあり得ないのだが、情報が漏れるのを恐れてか、和佐が神奈備の巫女だという事は隠されている。周囲に渡っている情報としては、せいぜい関係者である、程度だろう。故に、その事を話題にするのは不可能だ。


「しかし、暑い……」


 和佐がポロリと漏らす。そこまで天気が悪くはないとはいえ、今は六月末、つまり梅雨だ。


「蒸し蒸しする?、帰りたい?……」

「そうボヤいていても、涼しくはなりませんよ」

「むしろなんでお前はそんなに涼しげなの?」

「心頭滅却すれば火もまた涼し、と言います。兄さんもたまには座禅でも組んでみてはどうですか?」

「そんなに落ち着きがあるんなら、勉強であんなに苦労しないよ……」


 側から見れば、ダレるというよりも溶けている、といった表現の方がいいだろうか。とにかく、無気力なのは誰がどう見ても伝わってくるだろう。


「ん?、お! いたいた」


 溶けた兄を半目で見下ろす妹。そんな二人の耳に、和佐にとってはこの場で一番会いたくなかったであろう人物の声が届く。


「こんにちは、凪さん」

「ごめんねー、遅れちゃって」

「本当です。全く、直前になっても着ていく服が決まってないって……。おかげでコーディネートに時間がかかりました」

「でも、楽しかったよねー」

「ねー。凪ちゃん着せ替えパーティー」

「はしゃぎ過ぎて、家の人に迷惑かけなかったかな……」


 先頭を歩く暴君の後ろに、いつもの四人もいた。普段は学校だったり、訓練だったりで制服で集まる事が多い面々だが、今日は休日。全員がそれぞれの個性を表に出したような服装で、休日を満喫している。


 ……約一名を除いて。


「んで、そこの溶けてるのが……」

「恥ずかしながら、兄です」

「和佐せんぱい溶けてるよ??」

つついちゃダメだって……」


 暴君二人に絡まれた和佐は、暑さも相まってされるがままになっている。


「ま、それはどうでも良いわ。それじゃ、行きましょうか」

「どうでも良いんですね……。和佐君、行きますよ」

「……」


 返事が無い。ただの屍のようだ。いや、既に溶けているが。



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