三十二話 立花家

「着いたぞ。ここが立花家……つまりは俺の実家だ」

「……」


 連れてこられたのは、昔からこの地に建ち、歴史を感じさせる意匠や建築様式をところどころに見て取れる古き良き日本家屋だ。しかしなが、その大きさは周囲に建つ家屋とは比べ物にならない程デカい。


「……ん?」


 唖然とした表情で目の前の家を眺めていた和沙だったが、その目が何やら細められている。視線の先には、おそらく家紋であろう、複雑な意匠の紋が彫り込まれている。それだけならば、職人の技術の高さを感じられる程度なのだが、和沙はこの紋をどこかで見た覚えがあるようだ。


「ん~……?」

「どうかしたかい?」

「ん? あぁいや……大した事じゃないよ」

「そうか? それじゃあ、さっそく中に入ってくれ」


 立花が近づくと、巨大な門がゆっくりと左右に分かれ、開いていく。こういう古い様式の門は、こうやった大々的に開くのではなく、人が通る小さな穴があったはずなのだが……どうやらこの家の人間は派手好きらしい。いちいち、家長の息子が帰る度にこんな巨大な門を動かしていては、色々と不便だろうに。

 そんな事を考えていた和沙だったが、たまたま門の裏に目をやると、そこには人はおらず、代わりにこの門が実は自動ドアだったという事実を知らせてくれる機構が露出していたのだが、和佐はこれを見ないふりをしていた。


「辰巳ぼっちゃま、お帰りなさいませ。……そちらの方は?」

「あぁ、彼は学校の友人だよ。父さんに紹介しておこうかと思ってね」

「旦那様に……ですか? 左様で。お伝えして参りますので、客間でお待ち下さい」


 丁寧な物腰で和沙に上がるように促す男性。これが初老の執事風の男性であれば、和洋折衷で済まされたのだが、あいにくと、立花――辰巳と和沙を迎えたのは、和沙よりも二回りほど大きな黒いスーツを身にまとった強面の男だった。そう、この家は、所謂極道と呼ばれる家だ。

 さて、この事実を目にし、今一番後悔しているのは誰であろう和沙自身だろう。人当たりの良い性格から、辰巳から紹介される人物も彼の性格に沿った人物だと思っていたのだろうが、まさかのこれである。今更帰ると口にしても、そう簡単に帰してくれるとは思えないし、ここまで来た以上、今後目を付けられる可能性も考えると、迂闊な事を口に出来ない。

 時には温羅すら震え上がらせる和沙だったが、今はその身が別の意味で震えあがっていた。

 出されたお茶にも、茶菓子にも目もくれず、ただジッと身を縮こまらせている。その姿を見て、自身が元凶であるにも関わらず、笑みを浮かべる辰巳に、和佐は小さく殺意すら覚えている。誰のせいでこうなったのか、分からせるべきか、などと思っていた頃、先程奥に消えていった黒服の男性が戻って来る。


「お待たせしました。奥で旦那様がお待ちです」


 男性は恭しく頭を下げながら、和佐に奥へ行くよう促すが、その目は決して歓迎をしているようなものではない。そんな男性を横目で見ながら、和沙は促されるままに置くへと向かう。道中、何やら高価そうな壺や掛け軸が見られたが、そういった物には触れず、ただ黙って奥へと進んでいく。

 長い廊下ではあったが、流石にそう何分もかかるようなものではない。辰巳と共に黙々と歩を進めていた和沙だったが、その足も突き当りに到達し、ようやくその場で停止の姿勢を見せる。

 大仰な襖の前に立った辰巳は、その襖を三度叩く、すると、五秒もせずに襖が横に開き、部屋へと招き入れられる。中は日本家屋としてさほど珍しいものではないが、それでもところどころ見られる調度品には相当な金額がかけられているのが見て取れる。しかしながら、その数は少なく、むしろ途中の廊下の方がよっぽど多い印象だった。


「お前が辰巳の学友か?」


 その部屋の奥、上座と思われる壇上に座った男性が辰巳に向けてそう言い放つ。その男性は、目を細め、まるで睨みつけるかのように辰巳を見て、その次に和沙へと視線を向ける。おそらく普通の人であれば、その目で見られた瞬間、萎縮し、その身を縮こまらせるしか出来ないだろう。しかし、何故か和沙はいつもと変わらぬ表情で男性を見つめている。


「あぁ、そうだよ父さん。彼が、鴻川和沙、あの佐曇から来た鴻川鈴音の兄だ」


 実のところ、和佐はこの男性の正体について薄々感じていた事があった。それは、井坂から聞いた例の三つの派閥の一つ、照洸会の説明を受けた時に見た紋の事を思い出していたからだ。その紋が、この家の門の上にあったマークと一致する。つまり、この家は洸照会に何らかの関係があるという事、そして今、辰巳が和沙を紹介する時に口にした鈴音の名前、これが和沙に目の前の人物が洸照会でかなり上の立場にある人物である事を確信させた。


「おう、そうか。俺ぁ、立花たちばな辰信たつのぶ。この立花家の当主であり、『照洸会』の教祖もやってる。これから長い付き合いになると思うが、よろしく頼むぞ」

「長い付き合い……?」


 和沙が訝し気な目つきで辰巳を見る。が、当の辰巳は父親の前だからか、それとも他に何か理由があるのか分からないが、和佐の視線に介した様子も見せず、ただ真っ直ぐに父の方を見ている。


「何だ、聞いてねぇのか? お前さんを洸照会に入れるように説得するって話だったんだがな。まぁ、聞いてねぇなら聞いてねぇで構わねぇよ。で、だ、今も言ったが、お前さんにはウチの洸照会に入信して欲しい。その為にここに来たんだ、少なくともこっちが納得出来る返事はしてくれよな」

「……」


 照洸会への入信。おそらく、ある人物が目的であるのならば、この手段は最も効率のいいものに入る。


 それ即ち、鈴音を引き込む、という目的だ。


 以前、本人にも言っていたが、現状、鈴音自身と交渉するよりも最も効果の高い方法が和沙を味方に付ける事である。推測ではあるが、紫音の行動もその一端と言える。通常、こういったものは不自然さを出さない為にも、水面下で行う、もしくは引き込まれる本人すら気付かない内に取り込むというのがスタンダードなのだが、好転しない事態に痺れを切らしたのか、こうやって直接勧誘を口にしてきた。この事に一番面食らったのは和沙であったが、この事態を予測していたのか、その驚き様は大したものではない。


「……一つお聞きしますが、何故俺を?」

「お前んとこの嬢ちゃんをウチに引き入れる為よ」

「……」


 非常に率直な発言に、思わず和沙は唖然とした表情を浮かべる。普通、ここは多少歯に衣着せた物言いを選ぶはずだが、この辰信という男は、そういった駆け引きを一切してこない。素直、というにはあまりにも抱えている背景が歪過ぎる。おそらく、和佐にそういったやり取りひ必要無いと思っている、つまりは舐められている、という事だ。

 普通の人間なら、自分が舐められていると分かればそれに対し激高するだろう。しかし、和佐は違う。舐められいる間、相手は隙を晒しているという事になる。わざわざそんなものを晒してくれているのだ、突かない訳にはいかないだろう。


「えっと……いいですか?」

「何だ? 何でも言っていいぞ」


 おずおずと手を上げる和沙に、辰信は完全に油断しているようで、一切身構えた様子を見せない。逆に言えば、それは付け入る隙以外の何でもない。


「何で俺を入れたら鈴音も入る、なんて話になってるんですか? 鈴音を入れたいなら、むしろ本人に言えばいいと思うんですが……」

「将を射んとする者はまず馬を射よ、外堀を固める、なんて言葉もあんだろ? 多少手が掛かろうと、確実な方法があるならそれを取るって話だ。ま、お前さんに苦労はしなさそうだがな」


 そう言って笑い声を上げる辰信。それに釣られたのか、周りにいた黒服達も小さく笑い声を漏らしている。……しかし、それを見ていた辰巳と、あくまで人畜無害を演じている和沙だけは一切笑みを見せていない。


「まぁ、だからって悠長にはしてられねぇんだけどなぁ」

「と、言いますと?」

「簡単な話だ。お前さんを狙ってるのは、何も俺たちだけじゃねぇって話よ。長尾なんかもそうだし、下手すりゃ浄位もお前を取り込もうっと画策してんじゃねぇのか」


 長尾、その名が出た瞬間、和佐の纏う空気が変わる。それなりに距離があるせいか、辰信は和沙の豹変に気付いていないが、隣に立っていた辰巳は驚いた表情で和沙を見ている。


「浄位は御巫様の事ですよね? この間会いに行きました。ですが、長尾という名前に聞き覚えがありません。良ければ教えていただけませんか?」


 和沙の言葉に、辰信はニヤリ、と口を歪めた。

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