三十三話 勧誘? 否、強制

 辰信はニヤリ、と歪めたまま口を開く。


「長尾の情報ねぇ……、そうだな、タダ、とはいかんよなぁ」


 厭らしい笑みを隠そうともしない辰信に、和佐はついつい殺気を堪えられずにいそうになるが、なんとか抑える事に成功する。


「何か対価が必要、だと?」

「当たり前だろ? こっちとしちゃ、握ってる情報を渡すんだ。少しはこっちも美味しい目を見ないとなぁ」

「……」


 その対価が何であろうが、そうそう和沙が特をする状況になるとは思えない。せっかく油断をしているところに付け込んで、情報を得ようとしたが逆効果であった様子。


「そうだな……、妹の弱み、ってのを教えてもらおうか」

「弱み……?」

「あぁ、弱みだ。弱点でもいいぜ。これ、ってのを出しときゃ、問答無用でこっちに付く、ってのが欲しい。兄貴なんだから、当然そういった情報は持ってるんだろ? 妹の事を気遣うのも良いが、その周りに目を向けて、どう立ち回るかってのを考えた方がいいぜ」


 他のところではなく、照洸会に付かせろ。直接的なニュアンスでは言ってこないが、その発言的に、言外ではそう言っているのが誰の目から見ても明らかだ。更に言えば、先程辰信が納得する答え以外は認めない、と言った以上、ここで和沙に出来る抵抗はほとんど無い。言葉ではなく、武力でと言うのであれば、どうにでも出来るが、ここでそれをひけらかす訳にはいかない。


「妹を売れ、という事ですか? 兄であるこの俺に?」

「端的に言やぁ、そういうこったな」


 端的も何も、そうとしか聞こえない。どうやら、和佐は選択そのものを間違えたようだ。この男から得られるものは何も無い。仮にあったとしても、和佐が出す情報に見合うものとは到底思えない。


「……分かりました。では、この話は無かった事にしてもらえますか?」

「あん? なんだ、随分と簡単に引っ込むじゃねぇか。長尾の情報が欲しかったんじゃねぇのか?」

「こちらが出す情報に見合うものとは思えない……、そう認識した故の判断です。はっきり言って、妹の……鈴音の事は、例え髪の毛一本であろうと簡単に渡す気はありません、とそう言いたいわけです」

「……ふん」


 和沙の真正面からの発言に、辰信は面白くなさそうに鼻を鳴らす。父とは異なり、辰巳の表情は驚愕の一色に染まっている。これまで接してきた和沙しか知らない辰巳の反応は、仕方が無いとしか言い様が無い。彼の事だ、この事を後で感動の言葉ででも表現しそうな話だが、目の前に座る男がそれを許さない。


「……辰巳、ちょっと出てろ」

「え? 父さん、それってどういう……」

「いいからさっさと出ろってんだ!!」

「……!!」


 単純に怒鳴っただけではなく、発せられた怒気のようなものに押し込まれたのか、それ以降何一つとして言葉を発せなかった辰巳は、一瞬だけ和沙に視線を向けると、大人しく部屋から出て行ってしまう。

 残ったのは、和佐と辰信、そして数人の黒服のみだ。

 さっきの発言で、和佐が照洸会に入る可能性は万に一つも存在しない。しかし、それを分かっていながらも、辰信は問いかけるように和沙へと言葉を投げる。


「嬢ちゃんの情報を渡さねぇのは分かった。で、だ。お前さんはどうする? 照洸会ウチに入信するかしないか、ここで決めな」

「入りません」


 即答。それこそ、間髪すら入れなかった和沙の返答に、辰信は頭に手を当て、大きく溜息を吐く。すると、周囲にいた黒服達が立ち上がり、ゆっくりと和沙へと歩み寄って来る。それはまるで、囲い込み漁でもするかのようだ。


「そうかいそうかい、ちっとでも期待した俺が馬鹿だった。自分の意思で入ってもらうのが一番良かったんだがなぁ……、しゃーねぇよなぁ」


 そう言っている間も、黒服達はジリジリと距離を詰めてくる。しかし、和佐は動かない。動く気すら無いのではないか、と思わせる程に。更に特筆すべきはその目だ、どこか黒服や辰信を見下すようなその目に、辰信本人は違和感を感じていた。


「……。おい、顔はやめとけよ。下手にバレるような事すりゃあ、照洸会にも疑惑の目が行くからな」

「ウッス」


 つまり、顔以外であれば怪我をさせても問題は無い。そう言いたいのだろう。黒服達は、各々が指を鳴らす、着ている物を脱ぎ、わざとそこにある傷を見せるなど示威行為としか取れない行動をとっている。


「……アホらしい」


 チャリ、と和沙の手の中で何かが音を立てる。その手に握られていたのは、和沙の洸珠だ。洸珠は御装に変身するだけではなく、洸珠のみに力を注ぐ事で中に記録してある武器だけを表面に出す事が可能だ。

 つまるところ、今和沙の手には身の丈を超える長刀が握られているのと同義だ。おそらく、出すだけでもその効果は大きいだろう。しかしながら、和佐はそのまま洸珠をポケットの中に仕舞ってしまう。その行動の意図とは……?

 和沙から見て右側から近寄ってきていた黒服が手を伸ばす。その手が向かう先は、和沙の胸倉、そこを掴んで動きを封じようとでも言うのか。しかし、その目論見は外れてしまう。


「おぐっ!?」


 御装を身に着けておらずとも、その身体能力、戦闘力の高さは以前行った片倉との立ち合いで証明済みだ。そんな和沙に迂闊に近づけばどうなるか。それを、今しがた胸倉を掴もうとした黒服が、その場に股間を抑えて蹲る事で、身を以て教えてくれた。


「この……ガキっ!!」


 反対側からにじり寄っていた黒服の一人が激高した様子で和沙へと掴みかかろうとする。それに対し、懐に潜り込むと、突き出された腕を取り、同時に肘の関節を極めながら一本背負いの要領で投げ飛ばす。

 畳に叩きつけられた男は、ただ言葉も出せずに畳の上でもんどり打っている。ここの畳はそれなりの高級品だ。例え背負い投げで叩きつけられたとしても、それによるダメージなどたかが知れている。問題は……


「……容赦ねぇな」


 極められた肘が逆を向いている。投げると同時にへし折ったのだ。投げられたダメージよりも、明らかにこちらの方が大きい。

 瞬く間に二人も、そのうち一人は大怪我を負わせられたという事実を目の当たりにし、明らかに戦意を喪失した黒服達。


「元々俺は対人戦の方が得意なんだ。どこをどうすれば破壊出来るか、殺せるかってのが簡単に分かるからな。あぁ、ホント、こうして感情のままに向かってきてくれるってのは、楽でいいね」


 唖然とした表情を見せる辰信とは対照的に、和佐の口元、その端が歪む。まるで半月状のような笑みを浮かべながら、先程とは違い、後ずさる黒服と辰信を視界に入れてその動向に注視している。おかしな動きを見せれば、即座に潰す。そう言いたげな目だ。


「……さっきまでのは演技か? 随分と達者なもんじゃねぇか。どこぞの劇団に入る事をお勧めするぜ。なんなら、紹介してやろうか?」

「冗談。おたくの息がかかった劇団なんぞ、どうせ信徒を集める為の小芝居をするだけのしょうもない集団だろ。そんなもんに時間を割くほど俺は馬鹿じゃないんでね」

「……言うじゃねぇか小僧。その大口が後悔に変わらなきゃいいな」

「させてみろよ。無駄に年だけ重ねた盆暗が」


 もはやこれまで付けていた仮面はどこへ行ったのやら。人畜無害そのものと言ってもよかった和沙は、もはやどこにもいない。そこには、口を歪め、薄っすらと笑みを浮かべていながらも、まるで小石でも眺めるような目つきで辰信を見つめる小さな怪物がいた。


「……どうします、旦那?」


 後ずさりをしていた黒服の一人が、辰信へと耳打ちをする。彼の視線の先には、先程金的を受け悶絶している黒服と、右腕があり得ない方向へと向いている黒服の二人がいる。目の前にいる少年は、その見た目以上の戦闘力を持ち、尚且つ怪我をさせないように、などといった甘い考えを持ち合わせてはいない。

 触れれば火傷をする、とはよく言ったものだが、和沙に至っては火傷で済めば御の字、というレベルだ。これ以上、突っかかれば、それこそ被害者が増えるだけだけだろう。


「……」


 辰信はただ黙って和沙を睨みつけている。その目は、未だ和沙を引き込む事を諦めていないようにも見える。いや、こうして和沙自身に自らの舎弟を易々と打ち倒す力があると分かった以上、今まで以上にこの機を逃す訳にはいかないのだろう。得物を狙う鷹のように、瞳を爛々と輝かせて和沙に視線を向けている。


「で、どうする?」


 挑発するような和沙の言葉にも、辰信は黙ったままだ。

 実のところ、こんな事を口にはしたものの、和佐としてはこれ以上事を構えたくないというのが本音であった。これ以上は、和佐の事が外に漏れる可能性すら出てくる。そうなると、和佐自身は当然の事、鈴音の方も身動きがとりづらい状況になるのは自明の理だろう。

 故に、ここで辰信が身を引き、大人しく帰してくれるのであればそれで良し。これ以上和沙も暴れるつもりはないのだが、当の本人の反応を見る限り、そう上手くは行かないようだ。

 ならば、と和沙は半身を引く。正面からしか見えない黒服や辰信から見れば、ファイティングポーズに見えなくもないが、その実いざとなればその場から走り去る為の準備に過ぎない。和沙の速度を以てすれば、この場から即座に逃げ出す事など造作もない。

 そのようにして、辰信の様子を窺っていた和沙だったが、予想外の方向からその期待は裏切られる事となった。


「――――――」

「あん?」


 突如として、廊下の方から慌ただ気な音が聞こえてきた。それも、最初は廊下の奥、つまりは玄関の方だったのが、どんどんとこちらに近づいている。

 来客だろうか? にしては、歓迎をしているような様子ではない。むしろ、追い返そうとする声すら聞こえてくる。

 おそらくは辰信の部下の一人だろう。体を張ってまで止めようとしたのだろうが、それすら敵わず、結局最後の砦すら突破され、部屋の中へと侵入を許してしまった。


「失礼する! ここに鴻川和沙はいるか!!」


 入って来たのは、以前一度だけ会った事がある人物、若宮瑞枝だった。


「何か用か、巫女隊の監督官さんよ」


 瑞枝を見るなり、辰信は喧嘩腰で言い放つ。要件を聞いているように聞こえるが、その実とっとと帰れと言っているのと同じだ。彼女の存在がそこまで気に入らないのか、はたまた照洸会にとって都合の悪い存在なのだろうか。その辺りの内情に詳しくない和沙には、二人がどういう関係なのか分からないようだ。


「なに、我々の一員となった鴻川鈴音の兄がここに入るのを見た、という情報が届けられたのでな。こうして迎えに来た、という事だ」

「おいおい、そいつぁ聞き捨てならねぇな。こいつが何時迎えに来てくれ、なんて言ったよ? もしかしたら、今から入信するって言いだすかもしれねぇだろ? 情報を主観的にじゃなくて客観的に見てくれねぇか? 憶測でカチコミなんてされちゃあ、迷惑ってなもんだ」

「ほう、そうか? 少なくとも、私の目から見れば、この子がこれから入信する意思を示すような状態では無い事が分かるぞ? 本人と、この場の状況を鑑みたうえでの判断だ」

「チッ……」


 瑞枝から見て、と言うよりも、誰の目から見てもこの状況で和沙が友好的な意思を示しているとは思えない。大の大人が二人も倒れており、残った者達も和沙と相対するような姿勢を取っている。


「とはいえ、そちらにも損害があると見る。ならば、ここはお互いが身を引くべきだ。でなければ、そちらが行おうとした行為が世に広まる事になるが……どうする?」


 瑞枝の提案に、辰信の口が彼女の前では二度目の舌打ちを鳴らす。実際問題、瑞枝という第三者が介入してきた時点で、辰信の目論見は失敗しているも同然だ。ここは大人しく退くのが一番良いのだろうが、やはりすぐ手の届く所まで近づいたせいか、なかなか諦められないらしい。瑞枝への返答も、どうするべきなのかは分かっているのだが、なかなか口に出来ないといった様子だ。

 しかしながら、これ以上長引かせたところで得が無いのも事実だ。重い、重い溜息を吐いた後、観念したかのように絞り出す。


「分かった、とっとと行きな。ただし、分かってんだろうな? 今回の事は他言無用だぞ?」

「分かっている。こちらから口にした条件だ。反故にはしない。ほら、行くぞ鴻川兄」

「あ……、はい」


 大の大人相手に大立回りをしていたとは思えない豹変っぷりに、辰信は目を丸くしている。そんな彼の様子を横目で見ながら、和佐は瑞枝の後に付いて部屋から出て行った。

 部屋の外はまるで台風でも来たかのような荒れっぷりだった。どうやら、リアルカチコミを行ったらしい。その際に多少暴れたという事だろう。仮にも巫女隊の監督官が、一般人に対して暴力沙汰を起こすのはどうなのかと思わざるを得ない状況だが、照洸会……いや、立花家が行った行った事もそれに負けず劣らずの行為である事には間違いない。であれば、あくまで一般人に該当する和沙を守る為、という大義名分さえ掲げる事が出来れば、そういった行いを合法的に出来るのかもしれない。

 とまぁ、この惨状を肯定的に捉えるにはそんな考えを巡らせるしかないのだが、この件で後々とばっちりが回ってこなければいいな、と祈るしかない和沙だった。

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