二十九話 苦い経験

 鈴音の考えは、今よりも押さない頃の経験から思いついたものだ。

 神前市のような都会とは異なり、佐曇市ではそれなりに虫を見る機会が多い。山と海に囲まれ、夏は暑く、冬は冷え込むという厄介な地形ではあるが、その分自然は非常に豊かに育っている。

 そんな環境で育った彼女にとって、ダンゴムシの存在は珍しいものではなかった。転がして、突いて、時にはひっくり返す。よくよく考えれば残酷な話ではあるが、そもそも生に対する価値観が芽生えていない幼子にとっては、その存在は玩具以外の何物でも無いのだろう。特に虫に対して恐怖等を覚える事の無かった鈴音も、他の幼児同様、ダンゴムシで遊ぶ事が多かった。

 そういった経験からか、あの形状の生物の弱点はある程度把握している。かつてのその行いが無駄ではなかった事を喜ぶべきなのだろうが、そもそも女の子が虫で遊ぶのはどうなんだ、というツッコミはこの際控えるべきか。


「梢さんと燐さんは引き続き、正面からの牽制射撃をお願い。多分、それを続けてる間はあの状態が続くから、その隙に玲さんが側面に回って下さい」

『了解。そこから先は?』

「出来るだけ近づかず、あくまで距離を取っていて下さい。ただし、確実に敵の攻撃が来ない、と判断した時に合図を出しますので、その瞬間、相手の側面に一発キツイのをお願いします」

『分かった。任せて』


 非常に心強い返事が返ってきたことに安堵の色を見せながら、鈴音は引き続き敵の様子を窺っている。鈴音の目が見極めようとしているのはただ一つ、あの中型温羅の攻撃手段だ。

 先程はまるで地面の中を穿孔するようにして突き進み、玲にその鋭い一撃をお見舞いしようとしていたが、それ以降何らかの攻撃手段を取っていないのが問題だ。もしも、鈴音が攻勢の合図を発した後に、予想外の攻撃でも見舞われたらそれだけで作戦がおじゃんになりかねない。故に、こうして敵の行動を見極めようとしているのだが……。


「丸まったまんまだね~」


 日和の言葉通り、中型は依然タイヤのような形状を取り、梢達の攻撃を凌ぐに留まっている。日和も時折攻撃に参加するも、守護隊に支給されている武器では、いかに威力貫通力に特化したスナイパーライフルでもあの外殻を傷つけるのは難しいようだ。これが葵のパイルランチャーなら話は別だろうが、いない人間の事を考えてもしようが無い。

 かと言って、鈴音の武器も別段破壊力に特化している訳ではない。傷つける事は出来るだろうが、あの防御を突破できる程の威力は期待出来ない。

 ならば、やる事は一つだけ。

 外殻を破壊するのが難しいのであれば、柔らかいところを狙えばいい。その柔らかいところと言うのは、腹だ。しかしながら、あの状態の温羅がそう簡単に腹部を露出してくれるとは思えない。ならば、露出せざるを得ない状況を作ればいい。


「つまり~?」

「ひっくり返す、って事。仰向けは難しいけど、横にするだけならそう難しくはない。あの状態はバランス的にも不安定だから、その状態で釘付けにしているその隙に、横から倒そう、ってわけ」

「お~、なるほど~」


 日和は感心したように声を上げているが、彼女でもこの手段は思いついただろうし、何よりあの防御力の突破自体は出来ていないのだから、褒められるような事ではない。

 しかし、その為には敵の攻撃を把握しておかなければならないのだが、いかんせん相手が動いてくれない以上はどうする事も出来ない。


「……仕方ない」


 やってこない事を考えている暇は無い。そう判断した鈴音は、下で戦っているメンバーに通信を送る。


「これから合図を出すので、その瞬間梢さんと燐さんは攻撃を止め、玲さんは敵の側面に攻撃をお願いします。どんな形でもいいので、あのタイヤのような体が横倒しになるようお願いします」

『了解!』

『分かりました』

『……了解』


 鈴音が低く身構え、その体勢で温羅を見据える。まるで、合図と共に彼女もまた飛び出す準備をしているのかのようだ。


「五」


 梢と燐はまだ攻撃の手を緩めない。


「四」


 玲が上半身を前のめりに、体を低く構える。


「三」


 温羅に動きは見られない。依然、殻に籠ったまま、戦闘をする意思すら感じられないようだ。


「二」


 鈴音の隣で日和がスコープを覗き、いつもよりもしっかりと銃本隊を固定している。


「一」


 傷一つ見えない外殻に視線を向け、鈴音が大きく息を吸って……


「今!!」


 告げた途端、まさしく阿吽の呼吸とも言えるタイミングで銃撃が止む。そして、その瞬間に玲が前に飛び出し、丸まった状態を維持している温羅のちょうど真横を疾走し、そして……


「おぉりゃああああああ!!」


 タックルを放った。技術もへったくれも無い単純なものだが、肩を突き出し、ちょうどその部分に全体重と勢いが乗るように調整されたせいか、その攻撃をまともに受けた中型の体が大きくよろける。そして、そのまま丸まった状態を維持しながら、横倒しになり、地響きと共に地に伏した。


「よし、今よ、日和!!」

「はいな~」


 気の抜けた声と共に鳴り響く銃声が、外殻と外殻の隙間、ほんの少しだけ空いた接続部を抜けていく。硬い外殻を持ったのが災いしたのか、丸まった体の中で跳弾した弾丸が柔らかい腹部を抉ったのか、少しのたうち回りながらも、ようやく鉄壁の守護を誇った体が開いた。

 これ幸いとばかりに、露出した弱点目掛けて突進する玲。足が伸びてくる様子も無く、この作戦は成功と思われた、が……


「ッ!! 玲さん!!」


 足が動かなかったため、攻撃行動は無いと思い込んでいたのが間違いだった。玲が間合いに入ったと同時に、温羅の体からガスが噴出し、ちょうどそれに突撃していくような形になる。


「マズッ……!!」

 咄嗟にブレーキをかけ、口と鼻を腕で覆うも、時すでに遅し。ガスの中へと覆った顔共々侵入しようとしたその時、突如として玲の姿が消えた。否、後ろに吹き飛んだ。


「ぐっ!? ゲホッ……ゴホッ……」


 唐突に後ろへのGがかかった事と、その状態のまま地面に叩きつけられるような形になったせいか、衝撃でむせ、肺に溜まっていた空気を吐き出す。


「ごめんなさい……! つい勢いが……」


 玲が突如として後ろに吹き飛んだ原因は、彼女の体に抱き着くようにして上から覆いかぶさっている鈴音だった。


「……あれ~?」


 そんな鈴音を遠目に見ながら、日和の視線が横と前を行ったり来たりしている。無理も無い、つい今しがたまで隣にいた人物が、遥か前方に移動しているのだ。疑問を覚えない方がおかしいというもの。


「いや……うん、助かったよ。ありがとう」


 まだ少し苦しそうな様子を見せるも、ある程度回復したのか、笑顔を浮かべながらお礼を言える程度には元気らしい。


「良かった……。でしたら、すぐに距離を取って下さい。あれは危険です!」


 鈴音が振り返る、そこには今もガスを出し続ける温羅の姿がある。間一髪で玲があの中に入る事は避けられたものの、それでもあのガスが温羅の攻撃手段の一つである事には変わりは無い。


「あれをダンゴムシと侮ったのが失敗でした。まさか、ピンポイントだけでなく、範囲攻撃まで使えるとは……」

「あれをダンゴムシと言い切れるほうがすごいと思うけどね……。それよりも、あのガスは一体……、もしかして毒ガス?」

「毒ならどれだけ良かった事か……」


 鈴音が視線を向けているのは温羅でも、ましてやガスの濃い部分でもない。ガスに触れたであろう建築物の残骸だ。コンクリートで出来ているはずのそれが、徐々に小さくなっていく様子が見える。それも、削られたとか、破壊されたといったものではなく、少しずつ、少しずつ溶けていっているのだ。


「あれ何?」

「……おそらくですが、硫酸ミストと呼ばれるものかと。コンクリート製の瓦礫があそこまで早く腐食するんです、相当濃度が高いはず」

「それって、ヤバいんじゃないの?」

「そうですね。まず間違いなく近づくのは危険なので、玲さんのような遠距離攻撃の手段を持たない場合、手も足も出ないでしょう。ですが……」


 チラリ、と横目で梢に視線を向ける。心配そうに前にいる二人を見ているものの、自分は安全な場所へと避難している辺り、ちゃっかりしている。

 とはいえ、その判断は正しい。近づけば体に影響が出かねないガスに対して、まずは回避行動を先に取る事が出来たのは、経験豊富な守護隊ならでだろう。これが巫女隊であれば、最悪ごり押しでいけば問題無いと判断し、被害が出る可能性も否定は出来ない。


「……」


 しかしながら、高火力の玲が封じられたのは非常に大きい。残っているのは遠距離攻撃が可能な三人だが、二人は火力が見込めない牽制役、一人は狙撃によるピンポイント攻撃が可能だが、そもそも殻に籠られたら何も出来ない。手はあるが、決定的な一打が足りない。そんな状況だ。


「……ギリッ」


 小さく、口の中が歯が軋んだ音がした。歯ぎしりの一つでも鳴らす程に、今の状況を打開する策が思いつかない。グレネードであのガスを晴らすか? 発生源はあの温羅だ、一瞬晴らしたとしても、一気に倒せる程の火力が無い以上、徒労に終わる。ならば爆風で直接ダメージを与えるか? 丸まられたら終わりだ。おまけに、あのガスは外殻の隙間から発生している。丸まった状態でも行えるとなれば、いよいよ手を出す事は出来なくなる。


「……一度退きます」

「分かった」


 鈴音の言葉を聞いた玲が後ろにいた二人に合図を出す。それに頷いた梢と燐は、武器を抱えてその場から撤退していく。上を見れば、同じように日和が退避準備を始めていた。


「……」


 鈴音もまた、玲の後に続きながら、その場から離れていく。ようやく起き上がった温羅は、再びタイヤのようなあの形態に戻っていた。その姿を苦々し気に睨みつけながら、指揮官として初めての中型戦を黒星で飾った鈴音は、悪態を吐く事すら出来ずに、ただ敗北を噛みしめる事しか出来なかった。




 その後、別の小隊と、それを指揮する紅葉と合流した鈴音は、彼女達の力を借りてようやく中型を討伐する事が出来た。……のだが、その表情は勝利を噛みしめているのではなく、敗北の悔しさを堪えているものだった。

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