三十話 歯痒さの中で
初陣を敗北で飾った翌日、この日鈴音は、終始不機嫌な様子を隠そうともせずに学校生活を送っていた。いや、不機嫌と言うよりも、昨日の悔しさを糧に、次に自分は何が出来るのかを模索している、といった様子だろうか。少なくとも、普段の振る舞いはそこには無く、一人の巫女としての鈴音がいた。
そんな彼女であったが、放課後、本局に呼び出された時は流石に普段通りの様子を装い、自身を呼び出した瑞枝の前に立つのであった。
「さて、昨日の戦いはご苦労だった。実際に戦ってみて、手応えはあったか?」
「自分としては最善を尽くしたつもりです」
「そういった上辺だけの言葉が聞きたいわけじゃない。実際にどう感じたか、お前自身の言葉で聞いてみたい」
「……」
本音をさらけ出せ、そう言われて黙る鈴音。彼女にとって、昨日のあの戦いは間違いなくこの神前市に来てから最大の失態だ。それを言葉にしろ、というのは、彼女にとってこれ以上無い皮肉と捉えても仕方が無かった。
「……私の実力不足です。相手の特性を良く理解せず、その時その時の状況に沿った指示しか出せなかった。醜態を晒した、と言われても仕方がありません」
「いや……、確かにどう感じたかとは聞いたが、そこまで自虐しなくていいんじゃないか……? 守護隊が付いていたとはいえ、あの人数で中型の足止めを成功させたのは十分な戦果だろう?」
「あれを戦果と言えるのであれば、私などよりも守護隊の方々を讃えるべきでしょう。彼女達の方が、狼狽えていた私なんかよりずっと冷静に判断し、動いていました。私はあくまでそんな彼女達におんぶに抱っこの状態で、あの場にいただけです」
「そ、そこまで言うか……?」
鈴音の目からは謙遜や自虐といったものを感じられない。それどころか、目の前に立つ瑞枝を鋭い眼光で見上げ、ついつい視線を向けられた方がたじろぐ程の眼力を秘めている。悔しがっているだけでは今回の二の舞になる。これを糧とし、次に繋げていくという強い意思が感じられる。
「……なんか、怖い」
「援軍が入ったせいで戦果を逃した、という理由で食い下がる奴は今まで何度か見たが、倒せなかったという事実を正面から受け止め、尚且つそこから学ぼうとするのは良い事だ。……監督官に噛みつくのはどうかと思うがな」
傍で見ていた瑠璃がおびえるように紅葉の背中に隠れ、その紅葉もまた、鈴音の事を評価はするものの、彼女の行動がどこかずれている事を指摘している。しかしながら、その言葉が鈴音に届いているかどうかは不明だ。
「ま、まぁまぁ、紆余曲折はあったものの、敵は倒したんだし、鈴音ちゃんも今日のところはそれで引っ込めてくれない? 瑞枝さんも困ってる事だし」
「いや、あれはあれで貴重な光景だよ。彼女には是非とももう小一時間は続けてもらいたいものだね」
「……(キッ)」
「おぉ怖い怖い。でも、そんな睦月君も凛々しくて素敵だ……ごふぁっ!?」
腹部に一撃、それもこの中では一番筋力がある紅葉の腰が乗った拳がまともに鳩尾に入っている。しばらくは軽口は元より、立つ事すら出来ないだろう。
「……すみません、少々熱くなっていたようです」
「いや、分かってくれたのならいい。それに、正直なところ、鴻川があそこまでやるとは思っていなかった。嬉しい誤算、というやつだ」
明が悶絶している後ろでは、何やら話が進んでいる様子だった。誤算、と言われて、自身が過小評価されていた事実に少し機嫌を損ねる鈴音だったが、実際問題彼女達は鈴音の本当の実力を見た事がない為、そう思われても仕方の無い話である。
「始めはこんなのを寄越して何のつもりかと思ってはいたが……、技術、判断力、洞察力、咄嗟の反応速度等、こちらが想定していたものを大きく上回っている。このレベルが何人もいるのだとすると、佐曇は随分と人材に恵まれているのだな」
「それは……、評価していただき、ありがとうございます……」
どうやら期待には沿えているようだ。受けた称賛に対し、素直に頭を下げる鈴音に、瑞枝は満足そうな表情を浮かべる。
「そこで、だ」
「??」
「鴻川、正式に本局所属にならないか? 実力としては申し分ないうえ、お前はまだまだ伸びしろがある。今からでも本局に所属すれば、将来的には神前巫女隊の隊長になるのも難しくはないだろう。そうなれば、この街……いや、この国におけるお前の立場は確約されたも同然だ。もしかすると、本局のパワーバランスを崩す事すら可能になるやもしれん」
何やら風向きがおかしな事になっている。瑞枝の話では、鈴音が入りさえすれば、巫女の立場は大きく変わる可能性すらあるという事だが、正直なところ、鈴音にそんな力があるとは思えない。ただでさえ、今の実力も兄による特訓があったからこそだ。彼女一人では、今ここに立つ事すら出来ていなかったに違いない。
「えっと……すみません、ちょっと話が呑み込めないんですけど……」
「簡単な事だ、今お前は佐曇から出向という形でここにいる。これを出向ではなく、本局の所属にするだけの話だ。それさえ済めば、後はこちらで上手い具合にやっておく」
「そういう事ではなくてですね……」
先ほどまでとは反対に、今度は鈴音が攻められる側となっている。それも、詰問や言及と言ったものではなく、単なる勧誘なだけに断りづらいのか、困惑した表情を浮かべていた。
「瑞枝さん、鈴音ちゃんが困ってますよ。急にこんな話をして、混乱してるんでしょう、今はここまでにしておきませんか?」
「……それもそうだな。よし、今すぐに、とは言わん。ただ、出来れば早めに返事が欲しい。もしも決心したら、すぐにでも伝えてくれ」
「……ぜ、善処します」
満足げに頷いた瑞枝は、その場から踵を返し、一同の前から姿を消す。その後ろ姿を未だ困惑した表情で見つめている鈴音の肩に優しく置かれるのは、自身が姉としても慕っている睦月の手だ。
「いきなりあんな事を言われて困るだろうけど、実際鈴音ちゃんがこちらに移籍してくれれば、色々と助かる事もあるの。だから、瑞枝さんじゃないけど、ちょっと考えてみてくれない?」
「……」
いかに睦月とはいえ、その提案にあまりいい返事を返す事は出来ない。ここに来た本来の目的もあるうえ、和佐が今調べている本局の裏事情の件もある。迂闊に踏み込めば、飲み込まれるのは一瞬だ。今ここで返答をする事すら危ない。
「か、考えておきます……」
「よろしくね」
正直なところ、睦月もこの提案には思うところがあるのだろう。どこか労うように声をかけると、鈴音の肩からゆっくりと手を離した。
「それはそうと……紫音さん、ちょっといい?」
「……何ですか、先輩?」
これまで鈴音に向けていた表情はどこへやら、紫音の名を呼ぶ睦月の顔は、どこか能面を思わせる程の無表情だった。
「貴女、最近和沙君にちょっかいを出しているそうね?」
「……何の話ですか?」
「
「……そうだとしても、先輩には関係無いはずじゃないんですかぁ?」
「関係無いはずが無いでしょ! 私は鴻川兄妹の面倒を見るように言われてるの。もし、和佐君に要件があるなら、本人に言わずにまず私に言いなさい!」
「何それ!? ただの束縛じゃん! こんな重い女に付きまとわられるなんて、鴻川君も災難よねぇ」
「んなっ!? 今何て言ったの!?」
「……」
いつの間にやら、本人の知らぬ場所で何故か和沙を巡る? 戦いに発展していた。鈴音はどこか遠い目でそれを眺めながら、兄の判断が本当に正しかったのかどうかを考えている。
「……あの二人は何で喧嘩してるんだ?」
「痴情のもつれ、というやつです。あまり関わらない方がいいかと。色々とめんどくさいでしょうし」
「そうか??」
この現状の原因の一つを担った鈴音としては、少々後ろめたい気持ちがあるのか、せめて関係の無い人が被害を被らないように配慮を行うものの、それでも目の前の争いを止める事は叶わない。
「はぁ……、恨みますよ、兄さん……」
まさか一番最初に影響を受けるのが巫女隊とは思わなかった鈴音は、兄への恨み節を口にしながら、重い溜息を吐くのであった。
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