三十一話 厄介な現実
「……とまぁ、こんなところです。大きな動きは今のところありません。腐っても本部局長、そう簡単には重い腰は上げないでしょう。部下に色々やらせているようですが、それに関しても新しいペットでも飼い始めたのか、餌がどうだの、運動がどうだのといった話ばかりでした」
「ペット? 道楽目的でか?」
「おそらくは。金だけは持っていますので、何か珍しい動物でも手に入れたんでしょう。何にしろ、取り立てて問題にするような事では無さそうです」
「そうか……」
ただでさえ広い君影八幡第一学舎だが、それだけ広大な敷地を有していれば、必ずどこかに陰が生じる。ここはそんな学校の陰になっている場所で、人通りも無く、人に気付かれる事も無い為、今のように人目に付くのが憚られるような報告を受けている和沙にとっては、もってこいの場所だ。
目の前には井坂、その後ろにはボケっとした表情の長山がおり、今はその二人から報告を受けている真っ最中だった。
「長尾の動向に関しては把握した。それで? 頼んでた事は何か分かったか?」
「すみません……なにぶん専門外なもので……」
「まぁ、そうだよな……。頼んだ俺が悪かった。本来は俺が直接調べる事なんだが、忙しいのと、どうにもおかしな奴に付き纏われてるからお前らに頼んだが……、やっぱり俺がやるか」
「あ、ですが、仰ってた通りでしたよ。あくまでこちらで調べられる範囲では、ですが」
言いながら、井坂は手持ちの端末からホログラム映像を映し出す。そこには、街の立体地図と、その中にいくつものマーカーが表示されていた。
「確認したところ、やはり和沙様の仰ってた通り、ここ最近出現している温羅の規模が出現頻度に比べて随分と小さい事が分かりました。これは、徐々に出現頻度と規模が大きくなっていった佐曇とは全く別のものかと思われます」
「やっぱり……、こないだ見た時おかしいと思ったんだ。俺たちがこの街に来てからまだ一月ほど。その間に二度も襲撃があったにも関わらず、その規模は中型が一体出るか否か程度の小さいもの。正直な話、同じくらいの襲撃頻度があった佐曇とは大違いだな」
「あちらは大型も出ましたからね……。この街では、二年前に討伐された大型以降、一度も確認はされてません。あれでこの街は落とせないと判断した……わけではないですよけ?」
「冗談。黒鯨なら街一つ灰にするのに一時間もかからん。無理だから、という線は捨てておいた方がいいだろうな」
「だったら何故……」
「出せないか……もしくは、出る必要が無いのに出てきているか、だな。この辺はまた調べておかねぇと。あぁくそ……やる事が馬鹿みたいに増えていく……。何で付いてきたかなぁ、ホント……」
「鈴音様の付き添いでは?」
「そんなもんが必要なタマか、あいつが。強かなのと、口八丁で動かす手練手管は親子共々達者って事か……。とはいえ、今はんな悪態吐いてる暇は無い。そっちは引き続き、長尾の周辺の調査を頼む。叩きゃ埃が出る身だ、上手い事隠してたとしても、どこぞでボロが出る。頼んだぞ」
「はい!」
「ところで、だ……」
和沙が視線を威勢よく返事をした井坂の背後へと向ける。先ほどからチラチラと見ていたが、長山は一度も一度も会話に加わってこなかった。特に彼個人に頼んでいる事は無いとはいえ、流石にこの場にいてただボーっとしているのはどうかと思ったのだろう。
「あいつはどうしたんだ?」
「え? あぁ、すみません……。長山はたっぱのある不良生徒を演じてますが、素はあんなんなんですよ。結構ボーっとしてるって言うか、天然と言いますか……」
「……まぁ、任務に支障が出ないなら何でもいいが。いや、実際ここまであれで通しているんだから大したもんだ。あんなステレオタイプの不良、今どきいんのか? 俺見たこと無いぞ?」
「まぁ、探せばいる、と言いますか……。実のところ、極道なんかも健在ですからね。絡まれたからって、下手に反撃しないで下さいよ? 揉み消すの大変なんですから」
「やらんよ。今の俺はか弱い人畜無害な一般人だ。せいぜい大人しくしておくさ」
ひらひらと手を振る和沙に、井坂は疑心に満ちた目を向ける。本人が言っている以上は大丈夫だろうが、去年の話とはいえ、一人で暴走したという事実もある。時彦からその事を聞いている井坂としては、和沙の言葉を信用したくとも、信じきれないというのが本音だろう。
「とにかく、やる事をやれ。頼んだぞ、ジェームズ」
「はい……は? え? ジェームズ?」
予想外の単語に疑問符を浮かべ、その言葉の意図を尋ねようとするも、既に和沙はその場から立ち去っていた。
その後、彼が和沙の言葉の意味を調べた際、二百年以上前まで遡る事となり、和佐に頼まれていた調査を碌に進める事も出来ぬまま、その名前の意味を知り、喜んでいいのか、気になる言葉を残した和沙を恨むべきなのか悩んだのはまた別の話。
井坂達と別れた和沙は、特に用があるわけでは無かったが、意味も無く放課後の校舎内をふらついていた。情報収集だと言えば聞こえはいいが、既にこの学校内に漂っている噂話に情報としての価値は無く、現状で和沙から接触が可能な人物にこれといって有用な人物はいない。とは言っても、和佐から話しかけられる人物など、それこそ片手で数えられる程度しかいないのだが……。
「鴻川?」
あても無く、ただ気の向くままに歩を進めていた和沙の背に、聞き覚えのある声が投げかけられる。その声の主を頭に思い浮かべ、あまりいい記憶が無いのか、振り向かずにその場で顔を顰めている。
「鴻川? 何やってるんだ?」
二度目の問いかけに、流石の和沙も無視をするわけにはいかないと大人しく振り向く。そのどこかウンザリとした視線の先には、もはや見ない日は無いのではないか、と思う程最近よく顔を合わせる、立花の姿があった。
「……別に。特に何も無いよ」
「何も無いわけがないだろう。こんな時間まで残ってる生徒なんて、部活をやってる奴か、生徒会か、巫女関係者くらいしかいないぞ。……いや、巫女関係者なら本局か。訓練場もあっちにあるし……」
見たことは無かったが、どうやら生徒会なんかもこの学校にはあるらしい。巫女至上主義なこの街ならば、そんなものを置かずに、巫女に生徒を管理させそうなものだが……、畑違いというやつだろうか。
「ともかく、こんな時間まで残っているのはどうかと思う。どこか部活に入ろうと思って、見学をしてた、だったら分からないでもないが、そんな素振りは一度も見せなかっただろ?」
「まぁ、確かに……」
立花の言う事ももっともだ。これ以上ここにいても得られるものは無い。ならば、ここは大人しく帰宅するのが一番だろう。
「分かったよ。今日は大人しく帰る」
これ以上一緒にいると、また何かおかしな事に巻き込まれるか、もしくは和沙がボロを出しそうだと判断したのか、立花の返事も待たずに踵を返す和沙。帰宅を推奨していた以上は、この行為に口を出してくる事は無いだろう。そう、高を括っていると……
「あぁ、やっぱりちょっと待ってくれ。こんな時間に学校の中をふらふらしていたのなら、時間はあるんだよな?なら、ちょっと会ってほしい人がいるんだが、大丈夫か?」
……なるほど、どうやら立花の目に付いた時点で詰んでいたらしい。会って欲しい人、というのが何者か分からない以上は、迂闊に付いていくのは避けたいところだが、学校での情報収集に限界を感じていた和沙にとって、新しい人脈というのは貴重なものだ。顔の広い立花の紹介でもあるのだから、それなりに得る物はあるだろう。
「……分かったよ。今から行くの?」
「あぁ、そうだ。何、少し歩くが、そこまで遠いわけじゃない。話すと言っても、じっくりと腰を据えて話す、というわけじゃなくて、ホントに顔会わせ程度だからそこまで深く考えないでくれ」
「それじゃ、お言葉に甘える事にするよ」
「よし、じゃあ付いてきてくれ」
立花の紹介する人物が一体どのような輩なのかは、今のところ想像もつかないが、これが無駄足にならない事は祈りたい。和沙の目は暗にそう言っていた。
放課後の帰り道、彼ほどのルックスがあれば、女生徒の一人や二人、侍らす事も可能だろう。にも関わらず、彼の隣にいるのは和沙だ。
すぐにその意味を理解する事になるのだが、今の和沙には、この光景をただ疑問符を頭に浮かべながら、立花の後を大人しく付いていくしかなかった。
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