八話 疲れた夜に……

「あぁ……疲れた……」


 ソファーに深く座り込み、口から深い溜息を吐く。それを見ていた鈴音も、苦笑いすら浮かべようとはしない辺り、似たような体験をしてきたようだ。


「……色んな意味で濃い一日でした」


 むしろ、どことなく遠い目をしている。初登校でこれだと、これから先どれだけの波乱が待ちわびているのかが不安になって来る。ただでさえ、去年あれだけの事があったのだ。今年くらいはゆっくりしたいと思っていた矢先にこれである。先が思いやられる……とは一概に言う事も出来ない。


「なんて言うか、神前には色んな人がいますね……」

「まぁ、面倒くさい手合いってのはどこにでもいるもんだ。ここが特別、って事は無いだろうさ。……多分な」


 確証は無い、と言いたげだが、実際今日会った立花もキャラ的には独特だったし、鈴音と独自の理論で友達になったと言っていた日和も、かなり個性が強かった。これらの人物と会って、まず普通とは思えないだろう。


「その口ぶりですと、兄さんも変な人とクラスメイトになったんですか?」

「変……というかなんというか……、まぁ、正義感の強そうな奴ではあったよ。実際はどうかは知らんがな。しっかし、鴻川ってだけであれだけ目立つなら、最初からこんなキャラ作らなきゃよかった」

「そこはまぁ……、私もここまで周知されているとは思いませんでした。どうやら、関係者だけではなく一般の生徒にも情報が広がっているようです」

「情報管理がガバガバだな。それともなんか意図でもあんのか?」

「もしかすると、そうやって私達を常に見張らせるようにして情報を得ているのかもしれませんね。人海戦術の一種、とでも言えばいいのでしょうか?」

「一般人を使う人海戦術……、雑なようで効果的ではあるな。となると、そこらを歩いてる人間にも注意を向けないといけないのか。また疲れる事を……」


 疲労がうかがえる顔を更にウンザリとした表情へと変えながら、ボソリと呟く。自身が動き易くなるよう、目立たず、常に周囲に気を向けている以上、溜まる疲労の量は鈴音の比ではない。彼女もまた、慣れない土地で周囲に振り回される事が無いよう、上手く立ち回ってはいるが、いかんせん周囲の人のキャラが立ち過ぎて、それに引っ張られないかが心配だ。


「とはいえ、しばらくは大人しくしておくのが先決だ。まかり間違っても、派手な事はすんなよ? フォローするのもめんどくさいしな」

「目立つ云々ではなく、そちらが本音では……? それに関しては分かってます。しばらくは連携が取れるかどうか様子見も必要でしょうし、そうそう活躍するような機会は来ないと思いますよ。何より、ここの巫女隊は随分と頼もしそうな人たちばかりでしたから。……まぁ、例外もいますが」

「??」


 一瞬、遠い目をした鈴音だったが、次の瞬間には元に戻っていた事もあり、特に和沙は言及しなかった。


「それよりも……今日のご飯、どうします?」

「当番、俺だっけ? ……用意するのめんどくさいな、店屋物でいいか……」

「あ~、それでいいですね。何せ、兄さんの雑な味付けよりもずっといいですし……」

「薄いよりも濃い方がいいだろ? それに、どうせ腹の中に入れば全部一緒なんだから問題無いだろうに」

「味や食感というのも食事の大事な要素の一つですよ。舌から得られる情報というのは、時として栄養そのものよりも有用です。……まぁ、何でもかんでも吸い込むように食べる兄さんにはあまり関係無いでしょうが」


 ここ数日間で、鈴音は和沙の料理の腕前を思い知った。とは言っても、別段極端に下手な訳ではない。見栄えは普通、異臭がするわけでもなく、量が極端に多い事も無い。ただ、味付けが非常に雑なのだ。詳しく言うなら、味付けに使う調味料が少なく、それも多いか少ないかだけで判断する為、繊細さの欠片も無い。


「しょっちゅう炭を食卓に上げる奴がよく言う。食べられるだけマシだと思え」

「……」


 そう、和佐の料理を扱き下ろしたものの、鈴音のそれもどちらかと言うと酷い部類に入る。例として上げるなら、今和沙が言ったような炭だ。流石に木炭が食卓に出る事は無いが、そもそも黒焦げになるまで加熱する事自体が異常と言える。更に悪い事に、今この場に料理を正しく指導してくれる人がいない。そういった事も相まって、この鴻川家神前支部にて供給される食事は非常に悲惨なものとなっていた。


「まぁ、それに関してはもう慣れたから良いんだが、夕食何にするんだ? 手っ取り早く中華でも……」


 注文をする為、SIDを手に取った和沙だったが、まるでその瞬間を見計らったかのように玄関のチャイムが鳴り響く。二人がお互いを見合う。特に誰かと約束はしていないし、注文もまだしていない。となると、残る可能性はただ一つ。


「……俺、あの人あんまり得意じゃないんだけどなぁ」

「はいは~い、ちょっと待ってくださいね~」


 先ほどとは打って変わって、外行きの顔を作って応対に出る鈴音。この辺りの切り替えの早さは流石と言うべきだろう。


「どちら様ですか~……、おや、こんばんは」

「こんばんは。ちょっと二人の様子が気になったから見に来たんだけど……何かあった?」


 玄関から部屋の中を覗き込むようにして問いかける睦月。どうやら、和佐の顔に浮かんだ疲労の色が気になったようだ。


「あはは……初登校の疲れが出てるだけなので、気にしないで下さい」

「そう? なら良いんだけど……。あ、ごめんなさい、夕飯時にお邪魔しちゃって……」

「大丈夫ですよ。今日はちょっと二人共疲れてるので、出前でも頼もうかと思ってたので……」

「その言い方だと、普段は作ってるの?」

「えぇ、まぁ……。当番制ですが、兄さんと二人で交代で作ってますよ。……出来に関しては、聞かないでいただけると有難いですが」

「……なるほど、詳しくは聞かないでおくわ」


 色々と察したみたいで、どこか哀れんだような表情の睦月。しかし、すぐに気を取り直したのか、それとも何か思うところがあったのか、顎に指を当てて考え込むような仕草を取る。


「それなら、料理、教えてあげるわ」

「え? 良いんですか?」

「もちろんよ。むしろ、こうして二人で暮らしてるんだもの、それくらいは出来ないとね」

「ありがとうございます! ご指導、ご鞭撻、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる鈴音だったが、部屋の奥から向けられる和沙の視線は冷たいものだ。


「……疲れてるから出前を取るって話じゃなかったのかよ」


 ボソリと呟いた言葉は、流石に距離もあってか、二人には届かない。しかし、そんな和沙の不満を知ってか知らずか、睦月はその豊満な胸を叩いて一言、口にする。


「お姉さんに任せておきなさい」

「はい!」


 先程までの疲労はどこへやら、元気に返事をする鈴音を見ながら、ただ力無くソファーに項垂れる和沙だった。

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