第72話 根底 前

 凪に引っ張り回された翌日、ここしばらくまともな休みが無かった和佐は、久しぶりの休日を満喫していた。

 とは言っても、何か趣味に興じるといった事ではない。ただ、日々の酷使により、疲労が溜まった体を十分に癒すため、自室で惰眠を貪っている。

 ここ最近は、気を使っているのか、もしくは別に思惑があるのか、休みの日に唐突に駆り出される事は無くなった。まぁ、会うたびに非常に面倒くさそうな顔をしている本人としては、願ったり叶ったりだろうが。

 そういった背景もあり、現在和佐は珍しく誰にも邪魔をされず、自室で実にゆったりとした時間を過ごしていた。

 叶うならば、今日だけでも、この平穏が続く事を願っていた和佐だったが、残念ながらそうは問屋が卸さないのが現実だ。


「お部屋の掃除をしますので、少しの間外に出て頂けますか」


 やんわりと、しかし有無を言わせずに部屋から追い出された和佐は、予定も行くあても無く、ただただ屋敷の敷地内を彷徨う事になる。

 夏は過ぎ、涼しげな風が吹くものの、未だに照った日の暑さは健在だ。ただでさえ暑さに弱い和佐にとって、実に不快な天気だろう。

 ふらふらと彷徨い歩くその足は、何処へともなく体を運んでいく。完全に目的も無くただ気の向くままに歩いた先は、以前も来た事のある和風の家屋。


「よくよく考えたら、随分場違いだよなぁ……」


 洋風の屋敷、その敷地内に建てられた和風の平屋。おそらく、鈴音の願望に合わせて建てられたものだろうが、それにしてももう少し見た目をどうにか出来なかったのか、と思えるほどにシンプルな道場である。

 今回は、以前のような静けさはない。普段の彼女……、外向きの顔の場合だが、からは想像出来ない、吠えるような声が聞こえてくる。それと同時に、何かを叩きつけるような音。中を見るまでもない、鈴音が空振りで床辺りを誤って叩きでもしたのだろう。

 そらく現在彼女と対峙しているであろう人物、片倉には一度ここで会ったっきりだ。しかしながら、和佐はかの人物を苦手としている。その感情を押し殺してまで、面を合わせる必要はない、そう判断したのか、そのまま音も立てずにその場を離れようとした。が……


「おや、中に入られないのですか?」

「ッ!?」


 不意に背後からかけられた声に反応して、和佐の肩が大きく跳ね上がる。恐る恐る背後を振り返ると、いつの間に近づいていたのか、いつもと変わらない柔和な笑顔を浮かべた宗久が立っていた。


「少しくらい覗いて行かれてもよろしいのでは? 鈴音様もお喜びになられますよ?」

「え?……」


 露骨に顔を歪める和佐だったが、宗久はそんな事お構い無しに、和佐を道場の方へと連れて行く。さり気ない動作の筈だが、何故か逆らえない。先月の和佐を見つけた件にしろ、この動作にしろ、この人物は超能力でも持っているのではないか。そう本気で考え始める和佐。

 道場に入ると、やはり鈴音と片倉が木刀を手に対峙し合っている。一息付いていたところだったのか、入ってきた和佐と宗久に即座に気づいた二人が、構えを解いて来訪者を出迎える。


「おや兄さん、どうかしましたか?」

「……別にぃ。俺個人としてはここまで入るつもりは無かったのに、なし崩し的にこうなっただけだ」

「そうでしたか? 外から興味深そうに眺めてらしたではないですか」

「よくもまぁぬけぬけと……」


 悔しげに歯噛みしているところから、本意ではない事を察すると、鈴音は苦笑いを浮かべる。


「ま、まぁまぁ、ここに来たって事は、特に予定は無いんですよね? それだったら、少しここで時間を潰しても問題無いですよね?」

「ないっちゃあないけど……」

「なら、ちょうど私の立ち合いが終わりましたので、兄さんも先生に相手をしてもらったらどうですか?」

「えぇ……」


 和沙が片倉へと向ける視線は、明らかに拒否の色を示している。鈴音の講師をしている以上、手加減は心得ているだろうし、何より雇い主の嫡男を無下に扱う事はしないだろう。であるにも関わらず、何故ここまで拒否反応を起こすのか。


「ふむ……、参考までにお聞きしたいのですが、そこまで嫌われるような事をしましたでしょうか? どうにもこの年になると記憶がおぼろげでして……、何か失礼をしたのであれば、ご容赦を」

「そうじゃない、そうじゃないんだけど……なぁ」


 随分と言いにくそうだ。あまり軽率に口にしてはいけない事なのだろうか。それとも、先程からチラチラと鈴音の方を見ている事に関係があるのだろうか。


「……兄さん、私の事なら大丈夫です。ここで兄さんが何を言ったとしても、ちゃんと受け止めますよ」

「そうか? なら言うけど……」


 鈴音のその言葉を聞くと、和佐は片倉の正面に……いや、少し体の向きを逸らして、あくまで横目で見るようにして口を開く。


「あんた、俺と同類だろ?」


 多少の糾弾は覚悟していたのだろう。しかしながら、和佐の口から発せられた言葉は、ここにいる誰もが予想だにしていないものだった。


「同類……とは?」

「とぼける必要は無い。分かるんだよ、あんたの一挙手一投足を見てたら。足の運び、腕の振り、目の向き、それら全てがその性質を教えてくれる。あんたも俺と同じ、相手を斬る為なら、どんな手段も厭わないタイプだって」


 一瞬、何を言われたのか分からない、とでも言いたげな表情をしている。それは、言われた本人だけではなく、残る二人も同じだ。宗久に至っては、普段全くと言っていいほど変わらない表情が、面白い具合に変化を見せている。


「兄さん、それは……」


 鈴音は受け入れるとは言ったものの、流石にその物の言い様は失礼だと窘めようとした瞬間、隣に立っていた師が思いもよらない反応を見せた。


「く、あっはっはっはっは……! よくも、よくもまぁこうも見事に見抜いたもんだ。聞かせてくれ。どこで見抜いた?」


 片倉の異常に砕けた口調と、途端にその体から発せられた目に見えぬ圧力を受け、鈴音が閉口する。不遜だとか、そういった問題ではない。豹変、と言っても過言ではないほど、の変わりようだ。


「見抜いたとか、気づいたとかじゃあないさ。ただ、そんな気がする、って思っただけだ」

「クックック……、何とも厄介な勘だなぁ、おい。いやはや、俄然お前に興味が湧いた。是非一手願いたいもんだ」

「嫌だよ。ただでさえあんたみたいな手合いは面倒なんだ。そのうえやり方まで被ってるとあっちゃあ、面倒を通り越して厄介極まりない」

「連れない事を言ってんじゃねぇよ。こういう本性をさらけ出してやり合える相手というのは貴重だろう? なら、たまにはいいだろ?」

「絶対嫌だ!」


 和佐が絶対拒絶の意思を示しているものの、片倉は食い下がってる。その顔が妙に嬉しそうなのは気のせいではないだろう。


「……よろしいのではないでしょうか?」

「うえっ!?」


 まさかの予想外の場所からの援軍に、和佐の表情が一変する。宗久の後押しを受けた片倉が一層、全身にやる気を漲らせている。和佐としては、たまったものじゃないが。


「ただし、片倉様、怪我をさせない程度にお願いします」

「分かってる。ガキ相手に本気を出すわけないだろ。本気になれれば、の話だが」

「あ?」


 その圧倒的な実力差がある、とでも言いたげな発言に、和佐の眉が跳ね上がる。先程までとは打って変わって、喧嘩腰の様相を見せる。


「抜かせ道場剣術風情が。一度も鞘から抜かず、そのまま錆び付いたような輩がよく言う。……上等だ、受けて立ってやるよ」


 売り言葉に買い言葉、ではないが、先程まで乗り気ではなかったはずが、いつの間にやらその気になっている。何か片倉の言葉に、引けないものを感じたのだろうか。


「そいつは僥倖だ。ほんなら、立ち合うとしようか」


 片倉の豹変を目の当たりにして、唖然としていた鈴音を置いて、物事が進んで行く。彼女がようやく我に返ったのは、和佐の準備運動が終わりかけていた時だった。


「……あ、え? 今どういう状況なんでしたっけ?」

「和佐様と片倉様の模擬戦が始まる直前ですよ。……もしや、気を失われていたのですか? でしたら、休息の為、屋敷に戻られた方が……」

「いえ、大丈夫です。ただ、ちょっと頭が追いつかなかったというだけですから。それにしても……」


 体を暖め終わったのか、和佐が先程まで鈴音の使っていた木刀を手に取って、二、三回その場で振り抜いている。が、首を傾げている辺り、納得のいく物ではないのだろう。


「もっと長いやつ無いの?」

「申し訳ありません。棒術や槍術等は想定しておりませんでしたので、通常の長さの木刀しかありません」

「仕方がない。丁度いいハンデだ」

「ほう……」


 鈴音と対峙していた時とは異なり、ギラギラとした瞳を和佐に向けている。


「それじゃあ、始めようか」


 片倉に向き直った和佐は、しかし木刀を構えず、持った右手をだらんと下に下ろしている。


「構えねぇのか?」

「生憎、剣術とは無縁でね。普段のアレも、ほぼ我流だ。構えなんざあるもんか」

「そうか、じゃあ……」


 片倉が構える。その型は不明だが、構え自体はオーソドックスな正眼だ。その切っ先は、真っ直ぐ和佐へ向けられている。


「後悔すんなよ!!」


 そうして、小さな戦いが始まった。

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