五十六話 変わらないモノ
「兄さん、兄さん! 起きてください!」
「ん~……」
相当寒いのか、引っぺがされた布団を奪い返し、再度その中で巻き込まれるように包まる和沙に、鈴音は朝一番から非常に重い溜息を吐いていた。
「早く起きてください。でないと、学校に遅れますよ!」
「……別にいいよ、学校なんてぇ……。行くだけ無駄ぁ……」
「あぁもう!!」
和沙が朝、布団の中でぐずるのはよくある事だ。しかし、昨日は休日を丸一日使って調査を行っており、尚且つ帰りが遅かった為、普段よりも三割増しで駄々をこねている。
「……よいしょっと!!」
流石に堪忍袋の緒が切れたのか、額に青筋を浮かべた鈴音が、和沙が離そうとしない布団を思いっきり引っ張る。当然、引っぺがされる事に抵抗しようと和沙もまた、布団を掴む手に力を入れるが、半ば眠っている状態で力が出るわけもなく、抵抗むなしく引っ張られた布団に引き摺られ、そのまま床の上へと落下した。
「だっ!?」
「起きましたか? では、ちゃっちゃと準備を済ませて下さい」
床の上に転がり、悶絶している兄を冷ややかな目で見降ろしながら、鈴音はそう言って居間へと戻っていく。残された和沙が芋虫ようにのっそり動き出すのは、それから五分後の事であった。
「痛い……」
「いつまでもダラダラとしているからいけないんですよ。自業自得です」
「最近妹の俺に対する扱いが酷過ぎる気がする……」
「ご自身の行いをよ~く思い出したからもう一度そのセリフを口に出来るかどうか考えてください」
「悪魔め……」
「なるほど、朝のあれだけでは反省しなかったようですね。少しきついのいきますか?」
「待て待て待て待て! 俺が悪かった! それから、お前最近キャラ変わってきてないか!?」
「誰のせいだと……! はぁ……、もういいです」
朝から疲れた顔で登校する鈴音の後ろでは、そんな彼女を労わろうとする睦月の姿がある。あんな事があったにも関わらず、律儀な事だと、和沙は最初思っていたが、あんな事があったからこうして普段と変わらない姿を見せているのだろう。実際、先程顔を合わせた時、どこかぎこちない表情を浮かべていた。先日の事が尾を引いているのは明らかだろう。にも関わらず、こうして二人に付き合っているのは、生来の責任感の強さゆえか。
「そういえば和沙君、昨日はずっと家にいなかったみたいだけど、何か収穫でもあったの?」
「……」
「そんな顔しないでよ……。大丈夫、外に漏らしたりはしないわ。私達からも情報の共有をするんだから、そっちに要求するのは当然の話でしょ?」
「いや、そういう事じゃなくて……」
和沙が指差す方向には、まばらではあるが、一波人の中に学校の生徒も混じっている。
「?? それがどうかしたの?」
「はぁ……、アンタらには本性を明かしたが、それ以外にはこれまで通りって話。迂闊な事を口にするなよ? 後がめんどくさいから」
「あぁ……、ごめんなさい。少し配慮が欠けてたわ」
流石は睦月と言うべきだろう。話をすぐに理解してくれる辺り、他の人間と違って接しやすい。そう振る舞っているからかもしれないが、和沙にとって、彼女の存在は今のところ味方寄りと判断するには、十分過ぎる程の要素を持っていた。
「まぁ、そこまで期待はしてないから、いいっちゃあいいんだが……。他の三人……いや、二人か。一人はもう手遅れだったけど、残りの二人はその辺りの分別を弁えてると思いたいな」
「手遅れ……?」
「うんにゃ、こっちの話」
もしかしなくても琴葉の事だろう。彼女は、信用できるとは言え、彼女にとって、一番信頼に足る人物へと和沙の事を話してしまった。結果的に、ギブアンドテイクの関係で済ませる事が出来たとはいえ、その行動は決して褒められたものではない。和沙の中で、彼女の存在認識が確定した以上、今後二人が仲良く手を取り合う事は無いだろう。それでなくとも、和沙の人間に対する感情は良くは無い。その悪感情が加速しないかどうかは、周囲の人間に掛かっている。
「まぁ、せいぜい見守らせてもらうさ。うっかり口を滑らそうものなら……」
ニヤリ、と口の端が吊り上がる。何を考えているのかは分からないが、少なくとも碌な事にならない事だけは睦月にも分かる。ここは黙って言う事を聞いておくのが最善だろう。睦月が神妙な顔をしながら、静かに首を縦に振る。
その様子を見て、満足げに微笑むと、和沙は鈴音と睦月を置いて先に学校へと向かってしまう。
片方はどこか呆れたように、もう片方は少しばかり深刻な表情を浮かべながら、その後ろ姿を見送っていた。
「自分から嬉々として学校に向かっていきましたよ。今日は槍でも降るんじゃないですか?」
「そっち!?」
昼休み、例の一件が堪えたのか、この日は紫音の突撃が無く、安心して昼食へ向かおうとしていた和沙だったが……
「あれ? 鴻川君どこ行くの?」
どうやら認識が甘かったようだ。平穏な日常を過ごしていた筈の和沙の元へとやって来たのは、先日あれだけ不穏な事を言われたにも関わらず、意外にも普段通りの様子を見せる紫音だった。
「……何? その顔」
「察してくれるとありがたい」
「何の話? まぁいいや。今からお昼? じゃあ、アタシも一緒していい?」
「……」
「また変な顔になってるよ。別にいいじゃん、減るもんじゃないし」
「俺の神経が磨り減るんだけど!?」
「ほらほら、そんな事言ってていいの? 筑紫ヶ丘先輩に聞いたけど、学校内じゃ今まで通りで過ごすんでしょ? そんな言葉使いじゃ疑われるゾ」
「……(イラッ)」
和沙の額に青筋が立つ。どうやら、あれだけの事があったにも関わらず、こうして近づいたのは和沙の事情を睦月から聞いたが故の行動らしい。
「……口を滑らすなと再三警告したにも関わらずこれか」
「まぁまぁ、先輩も悪気があって話した訳じゃないと思うんだよ。みんなで上手くフォローしていこう、って事じゃない?」
「……」
もはや怪訝そうな表情を隠そうともしない和沙を前に、紫音はケラケラと笑っている。和沙が強く出られない事を知っての行動だろう。でなければ、今頃先日のように借りて来た猫のようになっていたに違いない。しかし、弱みを自分から暴露した以上、和沙がそれを咎めるわけにはいかない。ましてや、こんな場所で声を荒げるなど、もっての他だ。
「仕方ない、少し付き合ってやる」
「やりぃ」
露骨に喜んでいる風を装ってはいるが、本心では喜んでいるどころか、虎視眈々と和沙の隙を伺っているのだろう。
忘れてはいけないのが、彼女はあくまで長尾の配下だという事。あまり表沙汰にはなっていないようだが、独自に動く事を許されている辺り、それなりに信頼されているのか、もしくはフリーにしても問題無い何かがあるかだ。
今は分からなくとも、いずれは暴くべきだろう。これ以上、和沙のテリトリーに踏み込まれない為に。
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