七話 攻めか、守りか

「始まった……か?」


 あるビルの屋上、その一番高い場所で和沙は右手の側面を額に当て、まるで遠くを見ようとするかのような仕草で、眼下で行われ始めた作戦を見下ろしていた。別段そんな事をせずとも、今の彼の視力ならば十分に見える距離だ。にも拘わらず、こうした仕草をとるのは単にそういう気分になれるから、との事。鈴音辺りにでも知られれば、観光気分なんじゃないか、と嫌味の一つでも言われそうだが、残念ながら今この場に妹の姿は無い。


「しっかし、多いな、あれ。全部相手にするとなると骨が折れ……、いやそうでもないか」


 あの場にいるほとんどが小型の温羅だ。和沙ならば、それこそ赤子の手を捻るかのように容易く塵にしていくだろう。中型以上が出てくれば話は別だが、それでも大型までならばそこまで苦労するようなものでもない。


「あ、動き出した」


 壁の建設が始まってから数分も経たずに一番近くにいた温羅が動き出し、近いものから一斉に後に続く。その様子を暢気に遠目から見ている和沙だが、別に彼はここで見物に興じているわけでは無い。あくまでも睦月に待機を命じられているだけだ。連れてきてそれは無いだろ、と思わないでもないのだが、そもそも大々的に扱うな、と言ったのは和沙である手前、この扱いに異論を唱える事も出来ない。かといって、今の立場は彼女達が万が一崩れた時の保険である為、この場を動く事も出来ない。だからと言って、遊んでいれば睦月に怒られる。そんな不条理な(本人にとっては)扱いを受け、また退屈である事も相まって、和沙自身若干ご機嫌斜めな状態だった。


「中型以上は無し。あれくらいならどうにでもなるんじゃないの?」


 見た感じだと、小型が群れているだけで、その中に中型以上の敵は見られない。事実、睦月達もまるで波状攻撃のように襲い来る温羅の群れを次から次へと迎撃していく。守護隊の装備だと、流石に小型とはいえ一撃で葬る事は難しいが、巫女になると話は別だ。

 睦月の薙刀は多節棍としてのギミックも搭載されており、通常の薙刀のような使い方だけではなく、敵の捕縛や鎖の動きを利用した攻撃手段としても用いられる。その為、守護隊の装備では欠けがちな変則的な動きを補えるうえ、彼女自身も相応の使い手である為、その一撃一撃が小型であれば必殺の威力を持つ。巫女隊の中では中堅か、それ以下と思われがちではあるが、それは他が突出しているが故のは無しだ。こうして自身の従巫女と共に戦う場面では、彼女の強さが如実に現れるというもの。

 そして、その突出している人物の一人である瑠璃は、リーチこそ睦月や千鳥には及ばないものの、その速度は目を見張るものがあり、彼女に群がる温羅もその動きについていくのが精いっぱいで、攻撃を仕掛ける事が出来ずにいた。仮に仕掛けたとしても、それは瑠璃にとって大きな隙であり、その瞬間に温羅の首が落ちるのは想像に難しくは無い。また、そんな彼女の動きをサポートするのは千鳥で、瑠璃が動きやすいように足場を次々と作っていく。客観的に見れば、大立回りを繰り広げている瑠璃の実力が光っているようにも見えるが、そんな彼女が戦いやすいように場を整えている千鳥の方も、十分実力者と言える。少なくとも、和沙は瑠璃よりも千鳥の動きに関心を向けていた。

 いくら吹けば倒れる小型とはいえ、その数は膨大だ。巫女の三人が次から次へと狩っていったとしても、後続に押しつぶされてしまう。そんな彼女達を各自持ち場についている守護隊がサポートしていた。

 そんな彼女達に温羅が気をとられている間に、自衛軍が壁を建設していく。時折、そちらに気付いて襲い掛かろうとする個体もいるにはいるが、気が付いたと同時に仕留められるせいか、彼らの下にたどり着いた温羅はいなかった。こうして見れば、今のところ問題無いようにも見える。


 が、事はそうそう上手くいかないのが現実だ。


「……出たな」

 地面から這い出てくるかのようにその身を現したのは、先日巫女隊や鈴音と戦った例の大型だ。樹のお膝元と言える場所で戦っているからか、その形は以前戦ったものとは随分異なり、まるで巨大な顎をもったムカデのようである。ご丁寧に、飛行までしている事から、前回とは異なり、完全に「大型」として作成された個体だ。その証拠として、その体の色が他の温羅と同じく黒に青と赤の筋がところどころ走っている。

 大型が出現した事を知らせる為、そしてどうすればいいのか聞くために睦月へと通信を飛ばす……が、繋がらない。


「あぁ、そういや大型がいると繋がらないんだっけ? 忘れてた」


 ここ最近本格的に大型と戦った事が無かったせいか、敵が持つ性質が完全に頭から抜けていたようだ。件の大型からも、他の個体と同様に、妨害電波でも発せられているのか、通信は繋がらず、ただ不快なノイズが聞こえてくるばかりだ。

 どうしようか、と少し悩んでいた和沙だったが、下はまだ苦戦しているようには見えない。流石に大型が到達すればそうはいかないだろうが、それでもまだ和沙が介入する段階ではない、そう判断する和沙。

 そんな和沙の思惑とは裏腹に、徐々に脅威が近づきつつある睦月達と自衛軍の面々。このわずか五分後、事態は急展開を迎える。




 小型の相手をしていた睦月達だったが、突如として現れた大型に気をとられている間に、次々と脇をすり抜けていく小型温羅の群れ。彼らの狙いは自衛軍が建設している壁、完全に立ってしまっては手が出せない事を知っているのか、一目散にそれらを破壊すべく襲い掛かる。当然、いくら戦闘訓練を積んだ自衛軍とはいえ、彼らの装備は温羅に有効打を与える事が出来るようなものではない。その為、何とかして追い払うか、その体を張ってでも壁を守るかの二択に絞られていたのだが、想定外の存在が彼らを温羅の攻撃から守る。


「な……っ!?」


 一瞬、目の前を黒い何かが通り過ぎていったと思った次の瞬間、温羅と彼らの間に巨大な氷の山が聳え立った。いや、氷ではない。それらからは氷特有の冷気は感じられず、ただ外からの光を取り込みながらも、黒く鈍い輝きが中で蠢いているだけだ。

 近づいて初めて理解できる。その氷と思われた山は、黒い水晶である事を。

 自分達の後方に突然現れた水晶の山に、思わずざわめく守護隊の一同。正直なところ、その正体に関しては一切分からない睦月ではあったが、その原因が誰なのかを即座に理解した彼女は、すぐさま同様している従巫女達に問題無い事を告げる。あれは味方によるものだと。

 中には疑いを持つ者もいたが、睦月達が大型と対峙しているところを見て、考えを改めたのかすぐに自分達が戦うべき相手に向かう。流石はどちらかというと指揮官寄りの素質を持つ睦月であると言える。言葉では納得しない事を見据えて、自分達が今何と戦っているのかを再認識させる事で疑念を持つ事すら無意味だと思わせる。実に効率的と言えよう。

 しかしながら、あの水晶の山に動揺しているのは自分達も同じ事だ。睦月もまた、あれが和沙の仕業である事を切に願いながら、ひたすら大型との戦いに集中していく。




「とりあえず、自衛軍はこれでよし……と。あとはあっちだが……」


 そう言いながら、和沙が睦月達が戦っているムカデ型の大型温羅へと視線を向ける。一重にムカデと言っても、以前佐曇市での防衛戦であちらの候補生達が戦った中型とは異なり、そのフォルムはかなりスタイリッシュと言える。更には移動が飛行である事も相まって、足の多さ以外にムカデとしての原型はほぼとどめていないに等しい。

 あれをどのようにして睦月達が迎撃するのか、和沙としては気になるところではあったが、それよりも妙に意識を引かれるものが、彼にはあった。

 樹の根本、おそらくこの場にいるからこそ見える光景ではあるのだが、その場所に何やら大型と思しき個体が複数体見える。遠目で見たところ、あれは以前睦月達が戦った量産タイプの大型だろう。巫女隊でも一度に二、三体は同時に戦う事が出来るほどにスペックが劣化しているが、それでも大型には代わり無い。更には量を揃える事が出来るという事もあり、今のように数で押す、という状況ならば非常に有効なものだと言えよう。しかし、その為に用意したと言うには少々距離がありすぎるような気もする。

 敵の真意が図れないまま、下での戦いは佳境を迎えている。以前本格的な大型と戦ったのは二年前だったという話だが、その時は犠牲者も出しながらの辛勝だったはず。にも関わらず、ここまで追いつめられるのは、彼女達が成長したという証なのか。それとも敵が弱くなっているのか。ただまぁ、ミサイルやら杭やら飛ばしてくる個体と比べれば、多少今回のは地味だと言わざるを得ない。そこまで度肝を抜くような攻撃はしてこないのだから。


「とはいえ、苦戦は必至……。あんまり時間もかけてられないよな」


 和沙の力で仮初の壁は作っているものの、その強度は今現在建設が進められている自衛軍のものよりも劣る。未知の物質に見えるが、結局は電子を利用した結晶に過ぎない。彼の時代では、ウィグナー結晶と言われてたとかなんとか。そもそも原理を知らない和沙にとって、あの結晶が何で出来ているかなど意味の無い話だ。

 大型の方は、先の戦いで多くを学んだ睦月達に軍配が上がる直前にまで進んでいた。彼女達の努力が実を結んだ結果だろう。こればかりは素直に賞賛を送るべきだ。

 しかし、和沙の視線は厳しい。その目が映すのは、勝ちにこぎつけようとしている睦月達ではない。その遥か向こうにいたはずの量産大型だ。それらが、いつの間にかかなり近くまで来ている。

 そしてそれらの上に乗る、小さな影。近づいて確認するまでも無い。彼らの真意が何であれ、いずれはこんな時が来るとは思っていたのだろう。和沙は神妙な面持ちで、ゆっくりと立ち上がった。

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