第38話 急転直下 後

 荒ぶる七瀬をなんとか宥めた一同は、いまだにベンチも上で倒れ伏している和佐を置いて、ブティックへ向かったようだ。

 それに和佐が気づいたのは十分程経った後だった。凪を誤魔化す為の演技ではあったが、そこを逆手に取られ、完全に放置される形となった。


「置いていかれたなぁ……」


 とは言っても、彼女達が向かったのは女物の服飾店だ。和佐が行ったところで、場違いだろう。……と考えているのは本人だけだろうか。

 と、シドの画面に視線を向ける。新着メッセージが届いており、そこには妹からの土産の催促が書かれていた。


「ケーキくらいいつでも食べられるだろうに……」


 その気になれば、三つ星シェフにも負けず劣らずの料理長が作ってくれるだろう。しかし、店物にはその時の流行りが関わってくる。鈴音は、学友と話を合わせる為、そういったものをよく入手してくる。今回もそれだろう。


「順調に俗に染まっているご様子で」


 よくよく考えれば、鈴音といい、七瀬といい、和佐の周りには真っ当なお嬢様が少ない気がする。鈴音は外面こそ淑女然としているが、和佐と二人の時は、兄を思う存分振り回し、貞淑なお嬢様とはかけ離れている。

 ……元々、比較的常識に沿った女性がいない、というのは言わないお約束だ。


「ふぁ……」


 小さな欠伸が漏れる。七瀬ではないが、和佐もまたここ最近夜遅くまで起きている事が多い。別に、七瀬のようにネットゲームに興じているわけではない。単に、夏休みくらいは……、ということで夜更かしが許された結果、何も無くとも夜遅くまで起きている事が増えただけだ。

 しかしながら、やる事が無ければそれはそれで退屈なので、本の一つでも買うべきだと悩んでいたのだが、それだけ時間はあるのならば、さっさと課題を済ませてば良い、とは鈴音の言葉だ。

 彼女もまた、優等生の枠から外れず、七月中に課題を終わらせている。候補生の訓練もあるのによくやる、と和佐が言うと、毎日やればすぐに終わると有難い言葉を頂いた。その瞬間に、和佐が耳を塞いだのは当然の反応だろう。


「はぁ……、何か買ってくるか」


 深夜の暇つぶし用に、本でも買って来ようかとベンチを立ったその時だった。


「ねぇ、そこの彼女。もしかして一人?」


 背後から聞こえた声に和佐の動きが止まる。小さく、自分じゃないと何度も呟いているのが聞こえるが、無情にも背後の声は和佐へと近づいてくる。しかし、聞こえていないフリをする。

 が……。


「ちょっと、無視するなよ~」


 肩に手が置かれた。その手を気持ち悪い、と感じるよりも前に、ブチリ、と何かが聞こえ、肩に置かれた手を即座に掴み、その場で捻り上げた。


「あ、あぎゃああああ!? 何し……いででででで!」


 腕を捻られた人物が顔を歪める。が、今の和沙は少し痛がった程度で止まるほど甘くはない。

 このままへし折ってやろうか、などと考えそうな表情をしていると、ナンパ男の背後にいたもう一人が口を開いた。


「あれ? もしかして……鴻川?」

「あ゛?」


 和佐がその人物に目を向けると、明るい茶髪のいかにも女受けしそうな見た目をした優男が立っている。どこかで見た覚えがあるのか、和佐が首を捻りながら、ついでに手に持った腕を更に挫きながら思い出そうとしている。が、やはり出てこないのか、訝し気な視線でその男を睨んだ。


「どうしてそんな目で睨むんだい!? ほら、俺だよ、新宮だ」

「……誰だっけ?」

「えぇ……」


 新宮、その名前を必死に頭の中で探ると以前に一度だけ話題に上がったことを思い出す。確か、和佐のクラスメイトであり、人気もある男子生徒の一人だったか。

となると、今和佐が腕を捻り上げているこの男もクラスメイトの可能性が高い。

……いや、仮にもそうなら、クラスメイトの男子生徒を女性と間違う事などないだろう。


「え! 何だよ、お前ら知り合いかよ!! クソ、これだから人気者はよぉ!!」

「何言ってるんだい? 彼は鴻川だ、男子だよ」

「え? 嘘だろ!? どこからどう見ても女……あぁあああああ、やめて!! 折れる!!」

「悪いのはこいつだけど、その辺で……」

「ふん」


 ようやく和佐の手が男の腕を離す。その場で蹲る男に目もくれず、和佐は目の前に立つ新宮へと視線を向ける。


「一人なのかい?」

「あん? 一人なら外にすら出んわ。ただでさえクソ暑いのに」

「はは、それは同感だね」

「そういうお前は何してる。ナンパか? いくら八方美人だからって、見境無いのはどうかと思うぞ」

「鴻川って、俺に対して結構辛辣だよね……。違う違う、単にちょっと外に出ようか、ってなっただけだよ。そしたら、そこのがナンパしようとか言い出してね」

「なるほど、この阿呆が原因か」


 和佐がチラリと未だに足元に蹲っている男に目を向ける。人を見た目で判断してはいけない、と言うが、軽薄な見た目をしている奴はもれなく性格も軽い、それは確かなようだ。


「鴻川こそ、何でここに? 一人だと外に出ない、って言ってたから、誰かと一緒だとは思うんだけど……」

「今は別行動中。っていうか、置いてかれた。まぁ、付いて行ったところで、肩身の狭い思いをするだけだからいいんだけどな」

「女子か!?」

「っ!?」


 唐突に足元から聞こえた声に、和佐の体が一瞬跳ね上がる。確かに女性陣ではあるが、今の和佐の言葉からよくそれを導き出せたものだ。


「いやまぁ、そうだけど……」

「新宮!! 女子だぞ!! やっぱり鴻川に声をかけた俺の目に狂いは無かった!!」

「腐ってはいるがな。どこをどう見たら俺が女に見えるんだよ」

「結構線が細いからね。髪が長いのも相まって、後ろから見たら結構女性に見えるよ」

「これでもそれなりに筋肉付いてるはずなんだが……。やっぱり食事か……」

「そんな事より!! 鴻川君! その女子達はどこにいるのかな!?」


 正面から両肩に手を置かれ、真っ直ぐに目を見つめてくる。一見すると、それなりに真摯な対応をしそうにも見えない事はないが、騙されてはいけない。彼がやろうとしているのはナンパだ。


「女子“達”って……、二人っきりで来てるとか、そういう考えは無いのか」

「君と関わりのある女子っていうと、巫女隊の子達しか思いつかないからね。あまり人付き合いが得意なようにも見えないし、大方複数人に連れられて来た、と予想したんだと思うよ」

「むぅ……」


 残念だが、八割方当たっているので怒るに怒れない。


「いや待てよ」

「ん?」


 肩に手を置いたまま、男は和佐を上から下まで撫でるように見て、一言呟く。


「女物を着れば、これはこれで」

「死ね」

「おぐふっ!?」


 鳩尾に綺麗に入ったボディブローが、妙な断末魔をあげる男の意識を刈り取る。

 再び足元に沈んだ男を今度は念入りに何度も踏みつけ、トドメを刺しておく。これで、しばらく近づいて来ることはないだろう。


「……意外と性格キツイんだね」

「ん? 他人には厳しいってだけだ」

「それはキツイのとどう違うのかな……? いや、いつも一人でいるから、人見知りだったり、シャイだったりするのかなと思っててさ」

「その推測は当たらずとも遠からず、だ。俺だってなんでこうなったのかは知らんよ」

「え? それってどういう……」

「何でもない。気にするな」


 記憶喪失の事は公にはしていない。和佐はあくまで親戚から養子という形で鴻川家に入った事になっている。迂闊に口を滑らせる訳にはいかない。


「そんな事より、いいのか? こんな所で俺に構ってて」

「暇だから少しぶらついていただけだからね。別に構わないさ。鴻川とは少し話したかったからね。見た目だけなら美少女と言っても差し支えないし」

「貴様もか! 貴様もなのか!? どいつもこいつもおおおおお!!」


 背伸びをしながら胸ぐらを掴もうとする和佐を、新宮は笑いながら食い止めている。

 と、側から見れば、仲睦まじくじゃれ合っているように見える二人だったが、唐突にショッピングモール内に響き渡るサイレンによって現実に引き戻される。


「っ!? これって……」

「温羅の襲来、だな。全く、休みの日にまで……、ご苦労な連中だことで」


 新宮から離れた和佐が端末を取り出す。端末からも、緊急事態を告げるアラームが鳴り続けている。


「そういえば関係者、だったね。行くのかい?」

「面倒だが行かざるを得んだろ。面倒だがな」


 和佐の言葉に、新宮が小さく頷き、足元に転がっている男を担ぎ上げる。


「手伝おうか? 俺がやった訳だし」

「いや、鴻川は行ってくれ。元はと言えば、こっちが悪いんだしね」

「言ってくれる……。んじゃ、お言葉に甘えて」

「あぁ、頑張ってくれ」


 踵を返し、背中にかけられた言葉に、小さく手を振って返す。そのまま、端末の画面上で点滅している場所を目指して走りながら小さく呟いた。


「好きにはなれんが……、まぁ悪くはないな」

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