二十二話 招かれざる……

「撒いたか……」

 曲がり角から覗き込むようにして、通路の先を確かめている和沙。どうやら、浄位の間から出たその後からずっと、琴葉に付きまとわれていたようで、今しがたようやく彼女を撒く事に成功した模様。


「しっかし、また変なとこに来たなぁ……」


 無我夢中で進んでいたためか、和佐は今自分がどこにいるのか分からない状態にあった。しかし、和佐が変と言うのも納得出来る。何せ、そこは広大な訓練場が一望できる、あのガラス張りのバルコニーのような場所だ。今日は休みという事もあってか、眼下では少なくない数の守護隊のメンバーが訓練を行っている。


「……」


 しばらくその様子を眺めていた和沙だったが、ここにいる事が知られれば何を言われるか分からないと判断したのか、すぐさまこの場所からの逃亡を図る。

 しかしながら、その判断は正しかったが、同時に間違いでもあった。


「何だね、君は」


 バルコニーへ続く階段を降りると、そこには小太りの中年男性――長尾がいた。これから休憩にでも入るつもりだったのだろう、その手にはカップに入ったコーヒーが握られている。


「見ない顔だな。新人か? いや、新しいメンバーが入ったなど私も聞いていない。職員にしては若すぎるし……となると部外者か? 困るな、ここに勝手に入って来ては」

「えと、その……、すみません……。まだここに慣れていないもので……。すぐに出ていきます」

「待ちたまえ」

「……チッ」


 立ち去ろうとした和沙を後ろから呼び止める長尾。それに反応して、つい舌打ちが漏れたが、聞かれてはいないようだ。頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、野太い首を傾げている。


「……何でしょうか?」

「お前さん、見ればなかなか可愛いじゃないか。どうだね? ちょいと私に付き合わんか? 何、悪いようにはせんよ」

「あはは……それはどうも。ですが、自分も急いでますので……」


 普段ならばこのような扱いをされれば羅刹の如く怒るのだが、今はそんな悠長な事はしていられない。ただでさえ元の場所から随分離れているのに、これ以上おかしな所へ行けば、間違い無く今後鈴音に迷子になった事をネタにされ続けかねない。兄として、それだけは避けなければならなかった。


「ほう? こんな場所に来ておいて急いでいる、と? 時間はとらせんよ、少しばかり私に色々と委ねるだけだ。さぁ、来るのだ」


 交渉は無意味、そう判断したか、和佐の手が静かに握り籠められる。つまるところ、実力行使。しばらく眠ってもらおうと、一瞬身を引くが、その必要は無かった。


「おや、そんなところで何をしてるんですか?」


 つい十分程前まで耳にしていた、澄んだ声。やはり場所のせいだったようで、今はあの時のような鼓膜に刃を突き付けているような感覚は無い。その代わりと言ってはなんだが、今は鋭い視線の方を向けられている。流石にそれで卒倒するような事は無いが、それでも居心地が悪い事には変わりはない。


「これはこれは、織枝様。何、この少女に本局を案内してやろうと思っていたところでして……」

「少女? その子は少年ですよ?」

「…………は? ご冗談を……」

「事実です。彼は鴻川和沙君。あの鴻川鈴音さんのお兄さんです」

「こいつがあの……」


 まじまじと和沙を眺める長尾の視線を避けるかのように、一歩後ろに下がる。


「和沙君、この人はこの本局の本部局長である長尾です」


 和沙の目が一瞬鋭く光る。例の三大派閥の一つを、長尾本部局長が牛耳っていると井坂は言っていた。まず間違いなくこの男がそれだ。


「……よろしくお願いします」

「む、うむ」


 少し歯切れが悪いのは、ほんの数分前まで和沙の事を少女だと勘違いしていたからだろうか。視線が少々泳いでいるようにも見える。


「それで、本部局長はここに何を?」

「い、いや、その……だな。少し新鮮な空気を吸いたくなって……だな」


 これはもしかしなくてもサボりのようだ。随分とばつの悪そうに口ごもる長尾に、食い下がる織枝。立場的にも力関係的にも彼女の方が上のようだが、これで本当に浄位にとって代わるつもりなのだろうか。


「き、気が変わった。私は仕事に戻る!」

「頑張って下さい、本部局長」


 織枝の言葉には、かなりの割合で嫌味が混じっているように聞こえた。あの長尾とは因縁でもあるのだろうか。ここに来たばかりの和沙に知りえる事ではなかった。


「ところで、和佐君はどうしてこちらに?」

「……貴女の妹に追い掛け回されたんです」


 少し咎めるような口調だった為か、ついつい和沙も語調が強くなってしまう。


「あぁ……なるほど。ごめんなさい、琴葉には少し強めに言っておきますので、あまりあの子を悪く思わないで下さいね。その……少し真面目過ぎるきらいがあって……」

「見ていれば何となく分かります。ですが、出会ったばかりの人間を追い回すのはどうかと思いますが」

「本当にごめんなさい」

「……」


 浄位、と呼ばれ、周りから崇め奉られている織枝だが、こうして見ると容姿がかなり整っているとはいえ、どこにでもいる普通の女性と何ら変わりは無い。


「いいですよ。その代わりと言ってはなんですが……どう行けば帰れますか?」

「……」


 申し訳なさげな表情から一変、織枝の目が丸くなる。どうやら、琴葉に追いかけられてここまで来たのは理解していたようだが、迷子になっていたとは思っていなかったようだ。小さく笑い声を漏らしながら、その身を翻す。


「こちらです。付いてきて下さい」




「あ、兄さん! どこに……」


 姿の見えない兄に一言物申す、といった勢いの鈴音だったが、和佐の隣にいる人物を見た途端、喉に出かかった言葉が引っ込んでしまう。


「御巫様!?」


 代わりに声を上げたのは、鈴音その傍にいた睦月だったが、当の本人は目を何度も瞬きさせながら、二人の間を何度も行ったり来たりしている。


「お疲れ様です、睦月さん。鈴音さんと従巫女の件は恙無くいってますか?」

「え? あ、はい。もともと知り合いだったので、取りなす必要等も無く……それよりも何故和沙君と一緒にいるのかが気になるんですが……」

「ちょっとそこで一緒になっただけです。琴葉が迷惑をかけたようなので、ここまで案内を、という事ですよ」

「御巫様に案内していただくなんて、どれだけ贅沢な……」

「単なる道案内です。そこまで大げさなものではありませんよ。それでは和佐君、私はこれで。また会う事があるでしょうが、その時はよろしくお願いします」

「あ……、ありがとうございます」

「ふふ……、それでは、皆さん。失礼します」


 踵を返し、また本局の奥へと戻っていく織枝を、和佐達はただ茫然と見送っていた。その姿が完全に見えなくなると、睦月が胸をホッと撫で下ろした。


「驚いたわ。どういう経緯であの人と?」

「まぁ……色々とあったんです」

「色々?」

「……」


 まさか迷子になっていただなどと言えるはずも無く、和佐はただ口を噤む事しか出来ない。いたたまれなくなり、視線を横に逸らすと、その先で別の人物と目があった。


「ねえねえ、あの人が鈴音さんのお兄さん?」

「そうだけど……」


 和沙と目があった梢が、鈴音の服の裾を引っ張りながら問いかける。鈴音の返答に対し、あからさまにガッカリした様子を見せていた。


「そっかぁ……そっかぁ……」

「何を期待してたのか分からないけど、ガッカリするなら、せめて本人のいない所でやりなさい」

「ご、ごめんなさい!」

「別にいいよ。

「そうですか……。良かったぁ……」


 梢もまた、胸をなでおろしている。


「それで? 気分は済んだ?」

「あ、はい」

「??」


 和沙が首を傾げている。何の話か見えてこないようだ。まぁ、分からないならそれが幸せ、という事もあるだろうが。


「あ、兄さん。私、このままみんなと一緒に街に行くので、一人で帰って下さいね」

「え? あぁ、うん」

「それじゃあ、行きましょう。梢さんの言ってたブランドショップも気になりますが、まずは玲さんの言ってたスイーツが先でしょうか」

「お腹が膨れた後に服を見ると絶望が……。あぁでも、お腹が減ってるのも確かだし、それでいいんじゃない?」

「では決まりですね、行きましょう!」


 完全に和沙を置いてきぼりにした状態で、女性陣が本局を出ていく。その様子を未だクエスチョンマークが消えない目で見つめながら、ボソリと呟いた。


「……え、俺は何を食べればいいの?」


 彼女達が完全に見えなくなるまで、その場で呆けていた和沙だったが、ようやく再起動する頃には、既に昼を回っている状態だった。


「まぁ、文句言われないのはメリットか。何か適当に……」


 と、そこまで言いかけて気付いた。床が、揺れている。

 この街に来て既に三度は経験している地震。流石にこれが異常だと分からない程、和佐も鈍感ではない。

 揺れは、ものの一、二分もすれば収まったものの、この地震がただの地震では無いと判断した和沙は、鈴音達が向かった街に向けていた足を引っ込める。


「予定変更。食事はまた後だ」


 その足を特に何も無さそうな物陰へと向ける。そして、誰の目にも触れない場所を見つけると、そこに足を踏み出し……消えた。

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