二十三話 歓談?

「見てください兄さん! こんなのがありましたよ!!」


 その夜、帰って来るなり両手いっぱいにスパイスやら調味料やらを抱えた鈴音が、扉を開けた和沙に満面の笑みを向けてくる。対して、和佐は随分と渋い顔をしていた。鈴音が料理に力を入れるのは、和佐としても吝かでは無いが、その手が必要の無い分野にまで伸びるのは、流石にお目付け役として付いてきた以上、あまり良い顔は出来ないのだろう。


「和沙君もそんな顔するのね」


 鈴音の後ろからひょっこりと顔を出した睦月の姿を見た瞬間、和佐の表情が固まる。ついついいつもの調子で接していた為、若干素が出ていたからだ。しかしながら、そんな和沙の様子を見た睦月はというと、珍しいものを見た、以上の感想は無いようで、そのまま鈴音の手伝いをしていた。


「待っててください、兄さん。今日はちょっと変わったものに挑戦しますよ!」

「……」


 和沙がどこか遠い目をしているのは気のせいだろうか。変わったものに挑戦したい、というのは料理初心者によくある現象だ。おそらくは、鈴音もその病気を患っているのだろう。だが、ここでそれを否定したとて事態が好転するわけでもなし。和沙は早々に静観の立場をとった。




「それでですね、今日行った店に少し気になる物があって……」


 料理自体は特に問題無く終わり、和佐もゲテモノを口にする必要が無くなり、安心した様子で黙々と食事を口に運んでいた。

 そんな兄の姿には目もくれず、鈴音は先ほどから隣に座る睦月と談笑している。鈴音が初めていつもとは違う料理に挑戦する為、念には念を、と睦月が同席したのだが、どういうわけかそのまま夕食まで鴻川家で食べる事になっていた。和沙としては、別段どうこう言うつもりは無いが、それでも離しづらい事には変わりはない。


「和沙君は? 今日はあれから何をしてたの?」


 そんな二人の様子を眺めながら、会話にも混ざらず黙って食事を続けていた和沙に、突如として話が振られる。


「……特に何も」

「何もって……。少なくとも、何かあったんじゃない? 例えば、読書とか、ネット見てたなら、それでもいいし」

「……強いて言うなら、散歩?」

「……だけ?」

「だけ」

「そんな、老人じゃないんだから……」


 睦月が呆れた様子を見せる。確かに、和佐の話を聞いた限りだと、やる事の無くなった定年を過ぎた老人が唯一の暇つぶしとして散歩をしている、と聞こえなくもない。

 とはいえ、和佐が昼間行っていた行動を迂闊に口に出すわけにもいかない。ここではあくまで、和佐の役割は鈴音の兄であり、単なる一般人に過ぎないのだ。


「そういえば、地震ありましたよね? 兄さん大丈夫でしたか?」

「ん? 別に。そんなに大きな地震じゃなかったし」

「大きくなくても地震は地震よ。何かあったら、すぐに言ってね。約束よ?」

「善処します……」


 睦月のどこか必死さを感じる様子に、思わず和沙は引き気味になる。何が彼女をそこまでさせるのかは分からないが、今後も和沙が素直に報告する事はまず無いだろう。


「……」


 ここで一つ、和沙は考える。今ならば、睦月から色々と情報が聞きだせるのではないか、と。


「……そういえば、今日本局で長尾って人と会ったんですが、あの人はどんな人なんですか?」

「長尾……本部局長の事ね。あの人と会ってたなんて予想外だけど、何かあったの?」

「いえ、偶々出会っただけです。こっちを女だと勘違いしてたし、知られてなかったと思いますけど……」

「資料を読んでるはずなんだけど……。顔写真が無かったのかな? まぁいいわ。それで、本部局長の話よね? 確かあの人、家がかなりの資産家で、本局には以前からよく寄付なんかをしていたんだけど、似たような立場の照洸会とは違って、運営方針や執政内容に口を出してくる事がよくあったそうよ。それで、本局はこれ以上口を出させるわけにはいかない、って話になって、長尾の家の人間をそれなりの立場に置くから、口を出すな、ってということになったそうよ。とはいえ、元からいる人間じゃないし、仕事しているかどうかすらも怪しい人だから、内外問わずに結構嫌われてるみたい。ただまぁ、家の影響もあって、強く言う事は難しいから尚更質が悪いのよね」


 和沙の想定以上に、あの長尾という人物は厄介な存在のようだ。それも、色んな方向で、だ。


「仕事が出来ないうえに声だけ大きい厄介者、という事ですか? 確かに、前会った時、あんまり良い印象は抱きませんでしたが……」

「女性職員によくちょっかいをかける事でも有名よ。そのうえ、有能な人を簡単に切り捨てるから、正直職務がかなり滞ってると思うわ。実際、そのせいで本来やる必要の無い業務を御巫様がやる事も少なくないから……。けど、家も大きいし権力もある、ときたら甘い蜜を吸おうとする人も少なからずいるわ。あの人の周りは、今はそんな人たちで構成されているわね」

「……なるほど、その人たちが本部局長派、という事ですか。確かに、それだけ肥大化すれば、浄位に成り代わろうなんて疚しい考えが浮かんでもおかしくはないですね……」

「……待ちなさい、どうして貴方がそんな事を知ってるの?」

「?? そんな事、とは?」

「長尾本部局長が浄位に成り代わろうとしている、という事よ。確かにあの人は野心家だけども、警戒心も人一倍強い。更に言えば、普段は仕事なんてせずにフラフラしてるだけだから、傍目ではそんな事を考えてるなんて思いもしないはず。どうしてその事を知ってるの?」

「……」


 どうやら事を急かし過ぎてしくじったらしい。和沙を見る睦月の目は、今まで見た中でも最も鋭い光を放っている。和沙へ対しての警戒心か、それとも疑心か、どちらにせよ、これまで見て来た睦月の表情の中で、これほどのものは見た事が無かった。


「確か兄さん、クラスメイトの中で、そういった事情に詳しい方がいましたよね? 確か……立花さんでしたっけ?」


 見かねた鈴音が、何気ない表情でフォローを入れる。以前、井坂と長山から受け取っていた情報を、データにして鈴音と共有しているのが幸を奏したか。何より、立花の事は中等部にも知れ渡っている。顔が広いという事は、それだけ多くの情報を持っているという事実に繋がる。


「立花君……あぁ、あの子なら、確かにその辺りの事情を知っててもおかしくはないわね……。ただ、和佐君、事前に忠告しておくけど、あんまりそういう込み入った事には関わり合いにならない方が身のためよ。厄介事に巻き込まれても、事が事なら私でも助ける事が出来ない場合があるからね」

「……はい、肝に銘じておきます」


 和沙が頷いた事を確認すると、先程までの表情から一変、睦月の顔が笑顔に戻る。


「ごめんなさい、いきなり詰問するような事をして。これ以上こんな事を話しても仕方ないわ。切り替えましょう」


 いつも通りに戻った睦月は、話の路線を元に戻していく。鈴音は何食わぬ顔でそれに付き合っていたが、和佐の表情はどこか気難し気だ。……いや、いつもと大して変わらないと言われればそうなのだが。


 とはいえ、これではっきりした。

 本局の人間にとって、現在水面下で行われている応酬はあまり一般市民に知られたくはない事のようだ。だとするならば、情報収集も迂闊な事は出来ず、可能な限り隠密性の高いやり方が必要になってくるだろう。少なくとも、睦月に見つかる事だけは避けるべきだ。

 いざとなれば、彼女を敵に回す事も吝かではない。だが、それは今ではない。ここでの地位は、圧倒的に向こうが上だ。ならば、和佐が真っ先に得るべきなのは……


「和沙君? 大丈夫?」

「え? あ、はい。大丈夫です」


 ずっと手元に視線を向けた板和沙を、心配そうに下から除き込む睦月。考え込んでいたところだったのだが、無駄な心配をかけたようだ。


「ただ、少し気分が悪いので、今日はもう休みます」

「そう? 分かったけど、体を冷やさないようにね」

「分かってますよ」


 食器を片付けた和沙は、それだけ口にすると自室へと向かって行った。その後ろ姿を見つめながら、睦月は小さく呟く。


「ちょっと、言い過ぎたかな……」

「大丈夫ですよ。兄さんも分かってますし、ただ色々と思うところがあるんですよ」


 対して、鈴音はお茶を啜りながら特に気にした様子も見せずに言い放つ。その様子に睦月は驚いたような表情を浮かべるも、これがこの兄妹の信頼の形なのだと判断し、すぐに考えを改める。

 とはいえ、鈴音もまた、和佐を心配する人間の一人である。兄が消えていった扉を見つめながら、その口からは小さな溜息が漏れていた。

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