二十四話 暗転

「……さて、報告を」

「……はい」


 最早恒例となった暗いオフィスのような部屋。その奥に座る男性――長尾が、目の前に立つ少女に報告を促していた。


「ある程度の信頼は得たと思います。ですが、計画を実行に移すには、もう少し接近する必要があるかと」

「ならそうすればいいだろう。いつまで今の状態でグズグズしてるんだ。こっちの準備は着実に整い始めているのだぞ。そちらの不手際で計画が滞るのであれば、今後の事は少し考えねばならん」

「それは……」


 少女が黙り込む。彼女がこうして長尾に協力するのは、彼女自身の為でもある。彼から受けられる恩恵を失えば、この先路頭に迷う事あるかもしれない。そういった事情がある事を考慮すると、こうして急かされても少女としては、拒否のしようが無いのだ。


「出来る限りはやってみます。しかし、彼自身、あまり人と関わろうとしない為、こっち側に引き込むのが難しく……」

「お得意の色仕掛けでもなんでもいいだろう。それとも何か? 今更良心の呵責か、だとでも言うつもりか?」

「そういうわけでは……! ただ、少し事を急きすぎではありませんか? もう少し時間を掛けた方が、私も今以上の信頼関係を……」

「くどい! 事態はもう動きだしているのだ。お前一人の都合でどうこうなるほど甘い状況ではない! 全く、小僧一人落とすのに、無駄に時間をかけおって……」

「……」


 少女の歯が軋みを上げる。そもそも計画を否定している訳ではない。ただ、少々自体の動きが早すぎる為、それの緩和を願い出ているだけの話だ。しかしながら、この目の前の男は、自分の思い描く未来の事しか考えていない。そもそも、部下の考える事など一切お構いなしの人物だ。人の話など、聞くはずもない。


「もうすぐ……、もうすぐあの場所が手に入るのだ……。その為には、何としてもあの鴻川を手に入れなければならん。兄の件はその為の布石だ。言っただろう、多少強引な手を使ってでも落とせ、と。ならば、その通りに事を進めろ。最終手段として、例のプランを実行しても構わん。まぁ、時と場合にもよるがな」


 時と場合を考えて、とは言うものの、それさえ考えていればなりふり構うな、と言っているのと同じだ。そこまでして鴻川の妹を引き込みたいのか、と一瞬少女は考えたが、所詮は長尾の恥垢塗れの欲望に過ぎない。大層な理由も無ければ、大義名分などあるはずも無い。


「……」


 少女は哀れみとも、蔑みともとれる視線を長尾へと向ける。しかし、この暗い部屋の中、長尾がその視線に気づく事は無い。

 ただ、見る者全てに寒気を感じさせるような下卑た笑みを浮かべながら、あるかどうかも分からない未来を妄想している。獲らぬ狸の何とやら、とはよく言ったものだが、ここまで露骨だと、逆に感心せざるを得ないだろう。


「おい、そこで何をしている。さっさと奴を落とす為の作戦を考えて、実行に移せ。でなければ、来期の活動は保証せんぞ」


 ……これだ。


 少女がこの男に従わざるを得ない理由、それがこの”活動”の保証だ。これで日々の糧を得ている身としては、それを禁止されると生活が危ぶまれる。それだけは何としても避けたいのが本音だろう。


「……承知、しました」


 小さく、歯ぎしりのような音がその口から漏れた。今の少女には、この男に対抗できるだけの手段が無い。ただ、言われるがままに行動を起こす他無い。

 背後で、未だ宙を見つめながら、不気味な笑みを浮かべる長尾に向けて、小さく、絶対に耳に届かないと思える程小さな舌打ちがこだました。




「それで? どういう事ですか?」

「……何が?」

「さっきの話です。長尾がどうの、派閥がどうのって」


 気分が優れない、そう言って部屋に引きこもった和沙が流石に心配になったのか、壁に体を預けながら、訝し気な目つきで兄を睨む鈴音。ベッドに顔を埋めている和沙の声が少々くぐもってはいるが、それでも兄の言葉が分からない程、薄情な妹では無かったらしい。その耳は、何を告げられても問題無い、と言いたげに、しっかりと和沙の方へと向けられていた。


「……別に、確信があるわけじゃないさ。それでも、嫌な予感がするから、色々と嗅ぎまわってるんだが……、どうもあのおっさんが臭いんだよ」

「加齢臭的な意味で?」

「それも無くは無い」

「無く無いんだ……」


 和沙が身を起こす。先ほどまで睦月に向けていた表情とは違う、鈴音のよく知る、初代神奈備ノ巫女、御巫千里としての顔だ。


「まだ詳しい事は分かってないが、今分かる範囲で調べたところ、この神前市はとある出来事から温羅の出現が頻繁に起こるようになってる事が分かった」

「その出来事、と言うのは……?」

「長尾の本部局長就任」

「……まさか」

「早とちりをするなよ。まだそうと決まったわけじゃない。その辺りの裏も取っておきたくて、ちょいとあの人に吹っ掛けてみたんだが……これと言って収穫は無し、だ。何かしら情報は持ってるとは思うんだが、なかなか尻尾を掴ませてくれないところは、流石はお目付け役に抜擢されるだけはある」

「……本当に知らない、という線は?」

「あるかもしれん。ただ、現状最も近く、最も警戒すべき存在である事には変わりは無い。ご丁寧に、忠告までしてくれたしな」

「むぅ……」


 鈴音が不満そうに唸る。まぁ、鈴音からすれば、睦月は友人であり、巫女隊メンバーであり、姉のような存在でもある。和沙の話を聞く限りでは、ほぼほぼ一方的な押し付けとも取れるが、鈴音もまた、睦月の全てを知っている訳ではない。擁護をしようにも、どうすればいいのか分からない状態だ。


「……ならどうするんですか? 睦月さんを尋問でもするんですか?」

「それで手っ取り早く情報が手に入るんならそうするけどな。そうは問屋が卸さないだろうよ。面倒くさいけど、また地道に情報を集めるしかないな」

「ホッ……。なら、しばらくはこれまでと同じで大丈夫なんですね?」

「警戒はしとけ。前も言ったが、油断させておいて……ってのは常套手段の一つだ。警戒するに越したことは無いさ」

「……もしかして兄さん、佐曇でも同じように色んな人にこんな感じで警戒の目を向けてたんですか?」

「当り前だろ。人間、ってだけで俺にとっちゃ敵性分子の塊だ。警戒はするし、敵対行動を取れば容赦はしない。俺が過去にどんな目にあったか、わざわざ語らせたのはどこのどいつだよ」


 そういえば、そうだ。今でこそ、こうして鈴音や他の巫女隊メンバーに対して真っ当に接してきてはいるものの、記憶が戻った当初は、彼女達にすら敵意を向けて来た。今では巫女という立場に立つ者に対しては、時には厳しく、時には優しさの欠片を見せる事もあるが、それでも一般人に対しては依然その態度が変わる事は無い。


「前々から思ってたんですが、その考え方、生きづらくないですか?」

「生きづらいさ。人間が跳梁跋扈する限りな。ただまぁ、お前らの事を見届けると約束したしな。何、多少荒っぽくはなるが、出来る限りの事はやるつもりだ。お前は何も心配する必要無いよ」

「む~……、それはそれで色々と複雑なんですが……。まぁ、兄さんがそう言うならそうなんでしょう。言うべき事をはっきり言うのは兄さんの美徳でもありますからね。歯に衣着せぬ物言いはどうかと思いますが……」

「飴と鞭ってやつだ。噛みしめろ」

「随分と噛み応えのありそうな飴だ事で……」


 少々呆れた顔にはなったものの、この部屋に入ってきた時の厳しい表情は今はもう、完全に引っ込んでいた。

 夜はまだ長い、この先どうするか、和佐はこれからも考え続けるだろう。それは、自身の為であり、何より妹の為でもある。ただ静かに、ひっそりと動く為、彼の頭はこれまで以上に回り続けていた。

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