二十五話 急接近

「ん~……」

「随分と眠そうだね。夜更かしは体に毒だ。何だったら、いい店を知ってるんだけど、そこにでも連れて行こうか?」


 昼休み。寝ぼけ眼を擦りながら、昼食の為に移動しようとした矢先、和佐の目の前に立ちはだかる無駄に高い影。うんざりとした表情は一瞬だ。自身よりも頭一つ分程高い場所にある、爽やかさの権化とも言える一部の人間には非常に鬱陶しい事この上無い顔に対し、胡乱な瞳を向ける和沙。


「目が覚めると思うんだけど、どうかな?」


 相も変わらず男だろうが女だろうが関係無く爽やかな笑みを向けるその人格を疑う和沙だったが、当の本人にとってはいつもの事なのだろう。抗議するような和沙の視線に対し、少し首を傾げるだけに留まる。一体、その笑顔で何人の女生徒を落としてきたのか……


「……今日はあんまり気が乗らないから、また今度……」

「それじゃあさ、アタシとどっか行かない? 何だったら、撮影見に来ても良いよ?」


 断りの言葉を口にしようとした和沙だったが、予想外方向から提案を振られる。立花とは違い、今風のメイクに、盛られた髪など、どう見てもギャルにしか見えない紫音が、笑みを浮かべながら和沙へとにじり寄って来る。


「真砂……、鴻川は疲れてるみたいだから、今日は勘弁してやったらどうなんだい?」

「そういうアンタこそ、疲れを癒す~なんて言って、和沙君をいやらしい店にでも連れて行くつもりだったんでしょ。人気者とはいえ、根っこは男の子よね~」

「そんなつもりは無いよ。それに、俺の行きつけの店は、そんな所じゃない。ちゃんとした喫茶店だ」

「へぇ~、喫茶店? 何それちょっと気になるかも。アタシも行っていい?」

「だから言ってるだろ、鴻川は疲れてるようだから、今日は……」

「決定~! それじゃあ、さっそく行きましょ~!」

「あ、おい!!」

「……俺の意見ガン無視かよ」


 二人の腕を引っぱる紫音に抗議の声を上げる立花と、されるがままになっている和沙。ボソリと呟いた言葉が紫音の耳に入る事は無い。それほどまでに強引な彼女だった。




 さて、唐突に紫音がこうやって乱入してきた事は、普段の和沙からすれば、迷惑極まり無い事ではあったが、今の和沙にとっては好都合と言える。何せ、紫音は巫女隊メンバーの一人。普段はモデルの撮影だったりで姿を見せない事も多いらしいが、それでも本隊に選ばれる程だ。実力はあるだろうし、その立場に見合った情報くらいは持っているだろう。この機を逃さず、上手く活用すれば、本局の事が色々と分かってくるかもしれない。そう考えたのか、和佐は一人ほくそ笑んでいた。

 この時までは、そう思っていた。


「ね、ね、やっぱりさ、アタシの撮影、見に来ない? 可愛い子とかいっぱいいるよ」


 想定外の事態が起きた。これまで立花や鈴音を介して接触を行ってきた紫音だが、ここにきて直接和沙に接触するようになってきたのだ。それも頻繁に、とかよく、なんてレベルじゃない。顔を見るや否や飛んでくるうえ、一度捕まると長時間長話に付き合わされ、拘束される。故に、和佐はだんだん彼女と直接向き合うのを拒否するようになってきた。これを誤算と言わずして何と言おうか。正直なところ、連日のお誘い攻撃に和沙は疲弊していた。


「ね~、鴻川く~ん。アタシの仕事っぷり、見に来てくれないの~?」

「……」


 例に漏れず、この日もいつの間にか傍に来ていた紫音が、少し悲しそうな声で言うも、それが演技だと分かっている和沙は、無視とはいかないまでも、彼女の言葉をほとんど流していた。こうでもしなければ、素が出かねないからだ。


「ねぇ~ってば~」


 しかし、目立たないように行動する事を徹底していた和沙にとっては、今の状況はあまり芳しくない。何せ、それなりに人気のある生徒から、形はどうあれ言い寄られているのだ。目立たないはずがない。

 それどころか、ところどころ――主に男子からだが、嫉妬の視線を感じる事もあった。本人でなくとも分かる。これはマズい。非常にマズい。


「はぁ……。分かったから、後でいくらでも話は聞くから、今はちょっと……」

「言ったわね? 後でいくらでも、って言ったわね? その言葉、忘れちゃ駄目だかんね」

「分かったから……分かったから……!」


 ここまで言って、ようやく紫音をはがす事に成功した和沙。だが、向けられた視線が逸らされる事は無く、ただ縮こまってせめて視線に晒される面積だけは少なくしようと努力する和沙だったが、その努力が報われる事は無かった。




「話を聞く、とは言ったけど、その前に一つ聞かせてもらいたいんだけど……」

「ん? 何?」


 放課後の教室。紫音を正面に据えるように座った和沙と、あれだけ話かけてきたにも関わらず、いざ一対一で話そうとなると、横を向いてずっと端末を弄っている紫音。その様子を見て、少し和沙の眉間に皺が寄るも、すぐにそれは霧散した。


「なんで俺にここまで構ってくるの? 真砂さんなら、仲の良い友達の一人や二人はいると思うし、その人達と話したり、遊びに行く方が楽しいんじゃないかな、って」

「ん~、そうなんだけどねぇ。ただ、やっぱり友情と愛情なら、愛情の方を取るじゃん。あの子達には悪いけど、そういう事よ」

「……愛、は……? え、何だって……?」


 和沙が聞き間違えかと、耳をかっぽじって聞き返す。


「あーいーじょーうー。一目惚れだって言ってんの、言わせないでよ恥ずかしい……」


 膝を抱え、顔を埋めるようにする紫音。そんな彼女を見て、和佐は完全に固まっていた。いや、単に唐突な告白に驚いてるだけのようだが。


「……えっと、ごめん。ちょっと意味が分からない」

「何回言わせたら気が済むの~。もう、こんなプレイ、アタシは好きじゃないんだかんね」


 羞恥か、それとも別の理由からか、赤く火照った顔を何とか隠そうとしているも、隠せるだけのスペースはそこには無かった。

 しかしながら、紫音程の美少女にこんな告白をされれば、世の男共が取る反応は一つだろう。少なくとも無反応ではいられない。そして、それは和沙とて同じ事だ。

 同じ事、なのだが……


「……」


 和沙が紫音に向ける目は、今しがた愛の告白をされた人間がするようなものではなかった。むしろ、その瞳に現れている感情は、疑いや警戒心といった、この場にはそぐわないものだ。

 確かに、和佐はこういった経験が無く、また人にそんな感情を向けた事すら無い。いや、あったかもしれないが、そうだとしても、それは遥か昔の話だ。今はもう、そんな感情を抱く事は無いだろうし、そんな目で人を見る事すら無い。故に、こうして迫られてもどうしようも無いのだが……。


「……まぁ、諸々の事情は理解したよ。でもね、俺はそれに答えられる程、君の事を知らないんだよ」

「だったらこれから知っていけばいいのよ! 鴻川君は私の事を知れるし、アタシも鴻川君の事をもっと理解出来る。ね? 悪い話じゃないでしょ?」


 ずい、と顔を近づけてくる紫音を、やんわりと手で押し返す。彼女程の美少女に好かれるのを悪いとは思わないものの、あまりに急すぎて対応が追い付いていない状態だ。お互いがお互いをもっと知る為には、確かに紫音の提案は魅力的だけども、それを一つ返事で呑む訳にはいかない。彼女の行動次第では、和佐の動きが本局側に筒抜けになる可能性がある。どういう形で彼女と接するにしろ、接し方は考えるべきだろう。


「えっと……ごめん。俺、そろそろ帰らないと……」

「え~、もうちょっといいでしょ。ね、返事聞かせてよ」

「き、今日はちょっと……」

「ねぇねぇ、ねぇってば~」


 腕を掴まれ、左右に揺さぶられる和沙は、抵抗する事もなく、なされるがままになっている。というのも、彼女の力が存外に強かった為だ。迂闊に振りほどこうものなら、和佐の”力”を認識されてしまうかもしれない。そう思ったが故の判断だ。


「何をしてるんだ!」


 紫音の扱いに困った和沙の願いが天に届いたのか、夕暮れの教室に響き渡る声。普段はあまり好ましく思っていなかったその声の持ち主だったが、今の和沙にとっては、救世主以外の何物でも無かった。


「……!!」

「むぅ……」


 その姿を見た途端、あからさまに顔を顰める紫音とは反対に、助かったとでも言いたげな表情を浮かべる和沙。

 二人のただならぬ様子を察したのか、立花が未だ離れようとしない和沙と紫音に近づいてくる。


「こんな時間にこんな場所で……何をしてるんだ!」


 怒っている様子だが、その声色はどこか心配の色を含んでいた。その感情が向いているのが和沙か、はたまた紫音かは分からないが、ここで二人を咎めるのではなく、諭すようなニュアンスをチョイス出来る辺り、やはりこの男は出来た人物なのだろう。


「別にぃ。ちょっと鴻川君とお話してただけだし。アンタが考えてるようなやらしい事なんてしてなかったしぃ」


 微妙に語尾を伸ばすところが、またギャルっぽい。その言い方を聞いて、立花の額に青筋が浮き出る。


「そういう事じゃない。あまり遅くなるとご家族が心配するだろう。それに、いくら街の治安が維持されているとはいえ、おかしな輩というのはどこにでも現れるんだ。だから、こんな場所に遅くまで残ってないで、さっさと帰るんだ」

「うっさいな……、アンタに言われなくても分かってるよ!! それに、アンタの家も同じの家でしょ! 説教なんて十年早いのよ!」

「この……言わせておけば……!!」


 逆切れからの一触即発の状態。これが以前、仲良くクレープを食べに行った二人とは思えない。……いや、よくよく思い出してみると、あの時も今と似たような感じだった。おそらく、この二人はこの状態がデフォなのだろう。


「……」


 徐々に口論はヒートアップしていく。それこそ、和佐が手を付けられないレベルで。このまま放っておけば、いずれ誰かがこの声を耳にし、ここまで見に来る可能性がある。そうなれば、非常に厄介だ。この二人の言い争いを、どう誤魔化すか……


「……」


 よくよく考えれば、別に誤魔化す必要は無いのではないだろうか。この二人は言い争っており、お互いに相手の事しか見えていない。つまり、今の和沙はノーマークという事だ。


「……」


 気付かれないように、足音を立てずに後ろに下がる。二人は依然口論を続けており、和佐の様子には一切気付いていない。それを確認した和沙の足が一気に加速する。その速さは、未だに不毛な言い争いを続けている二人の声があっという間に聞こえなくなる距離まで移動できる程の速さだった。

 佐曇巫女隊最速の異名は伊達ではない。

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