六十話 根
結論として、当たりではなかったが、外れでもない、と言ったところだろうか。
睦月から教えられた場所に到着した和沙だったが、その場は既に祭祀局によって色んな意味で洗浄をされた後だった。当然、見渡してみても目ぼしいものなど何一つ見つからない。《その場》では、だが。
和沙の視界の端に何かが映る。それは、小さな赤黒い染みだ。遠目から見れば、単なる染み程度にしか思わないが、近づいて見ればそれが血の跡である事が分かる。おそらく、この路地は少し奥に行くだけで外からの光が届かず、その暗さが一気に加速する。だからこそ、大まかな汚れは落としたものの、落とし切る事が出来なかった小さな汚れは見えなかったのだろう。こうして残ってしまったというわけだ。
和沙が見つけた染みは、路地の奥へと続いているような跡を残していた。その先は、いくら夕方に差し掛かる時間帯とは言え、あまりにも暗すぎる。ここら一帯のビルや、何故か上空から見えないように天井が設けられているせいだろう。それにしても、一切街灯が無いというのも、おかしな話だ。やはりこの場所が歓楽街という特別な場所であるが故か。汚い物を外から見えないようにしているのだろう。もしくは、外から見られては困る物があるか、だ。
染みが指す先へと向かう。暗がりの中、手探りではあったものの、慣れてしまえば目でも見えた為か、そこまで進む事に苦労はしなかった。
どれだけ歩いただろうか? 少なくとも、一分や二分程度では済まない。そうして進んでいき、ようやく辿り着いたのは大人一人が入り込めそうな大きさのマンホールだった。
マンホールとはいえ、蓋はされていない。耳を澄ませば、微かに聞こえる水の音から、この下はまだ稼働中の下水なのだろう。
戸惑う様子など一切見せず、和沙はそのマンホールの中へと降りて行った。すると……
「うぇ……」
周囲に一気に広がるのは、下水特有の臭い……ではない。
血の匂いだ。それも、換気できるような場所が一つしか無いとはいえ、密閉されていない空間に充満する程の強烈なもの。何故、先程上でこの臭いに気付かなかったのかは不明だが、どうやらこの臭いの元はそう遠くは無いらしい。
臭いの元へと視線を向けると、やはりというべきか、そこに転がっているのは人の死体だった。近寄って確認する和沙だったが、どうにもおかしい事に気付く。この死体、そのほとんどが一撃で致命傷を与えられているのだが、大半が刀傷と思われるもので、残った一部は体が強引に噛み千切られた事による失血死のようにも見える。
「百鬼以外にもいたのか……」
考えられるのは、紫音の仲間が用意していた小型だろう。というよりも、この死体が紫音の仲間だったとするならば、連絡も何も出来ないのは仕方の無い話だったろう。何しろ、既に首から上が無い者が大半だったのだから。
しかし、噛み千切られた痕があるという事は、小型の温羅は生きていた、という事だ。だとするならば、その小型は一体どこに――
『――――――』
「ッ!?」
考え込んでいた和沙の耳に届いた聞きなれない音。少なくとも、この下水で本来聞こえるようなものでは無いと言えよう。そう、それはまるで、温羅の声のような……
『――――――』
また、聞こえた。
距離はそこまで遠くは無い。和沙は、その声がした方へと向かう。その手には、いつの間にか長刀が握られている。
声を上げていた温羅はすぐに見つかった。見つかった、のだが……
「……なんだこれ」
小型温羅は、下水の壁に半身が埋まる様な形でその場にいた。地面から足も離れているところを見るに、自分から突っ込んだのではないように思える。そして、その突き出た半分の温羅を差し置き、更に異様な物がその壁にはあった。
「これ、木か……?」
埋まっている小型温羅の周り、そこだけ何故か他の壁とは異なり、何故か木で作られていた。いや、コンクリート製の壁と木の継ぎ目を見れば、そこだけ木製にしている、というわけでは無い事が分かる。事実、この壁の周りには元々あったであろうコンクリートの壁の残骸が散乱していた。という事は、この木製の壁はコンクリートの向こう側から出て来たという事になる。
その得体の知れない木の壁を恐る恐る触れる和沙。既に、すぐ傍にいる温羅には興味すら無いようだ。当然だろう、この温羅は衰弱しているようにも見える。この壁がこの温羅によって生成された者であれば、そもそも弱る事などあり得ない。だとすると、この壁は逆にこの温羅を養分として吸収しているのだろうか。そう、考えていた時だった。
「なっ!?」
壁が、動いた。
ゆっくりと鈍い地鳴りを響かせ、ズルズルとまるで引きずられていくようにその壁が横にスライドしていく。それに伴い、先程まで埋まっていた温羅も連れて行かれ、やがてその姿は見えなくなった。
いや、問題はそこではない。この壁が動いた瞬間、地鳴りだけではなく、地震のような揺れまで巻き起こった。そしてそれは、一分程経ってようやく収まる。しかし、その頃には先ほどまで目の前にあった木の壁は無くなっていた。そこにあるのは、ぽっかりと開いた洞窟のような穴。覗き込むも、先は暗く、到底肉眼で見えるようなものではない。
「……あれが地震の正体?」
今はもう見えない木の壁に向かってそう呟く。いや、あの動きは到底壁とは思えない。まるで根だ。しかし、仮に木の根だとしても、あれほど大きな根を持つ木はこの辺りには存在しない。そもそも、根があれだけ動く、なんていう話は聞いた事が無い。
「……さて、どうするか……」
考えてみるものの、この事態を今すぐ解決できる程の頭も力も持っているわけでは無い和沙は、一先ずこの場は置いておき、応援を頼む事にする。応援とは言っても、流石に巫女隊を呼ぶわけにはいかない。
「……あぁ、俺だ。ここ最近頻発している地震の正体が分かった、すぐに来てくれ。場所は――」
通話を終えると、和沙は小さく息を吐いて、再び先ほどまで壁があったはずのその空洞へと視線を向けている。地震の原因は分かった。しかし、あれが何なのかは、未だ分からず、ただ自然的なものではない、という事実が判明したに過ぎない。
……いや、あれもまた、自然の一部と考えれば、あの地震は自然発生的に起きたもの、と認識出来なくもないか。まぁ、巨大な木の根のような動き回るのが自然的かどうかは置いておいての話だが。
「和沙様」
しばらく待っていると、和沙の背に声をかける人物がやって来た。というより、和沙をこんな風に呼ぶのはこの街では二人しかしない。
「遅い!」
「そう言わないで下さい。こっちだって、この場所を探し当てるのに結構時間が掛かったんですから。むしろ、あれだけの情報でよくここまで来たと褒められるべきだと思いますが?」
「俺の端末に仕込まれてるGPSに同期すればいいだろ」
「SIDにそんな機能ありませんよ。……ちょっと待って下さい、今なんて言いました?」
和沙の不穏な発言に聞き返した井坂だったが、その問いかけを華麗にスルーした和沙はその目を背後の穴へと向ける。
「なんすか、それ?」
「地震の原因だ」
「地震の? どう見てもただの穴にしか見えないっすけど……」
怪訝な表情で和沙を見る井坂と長山。仕方の無い話だろう。彼らはこの穴がどのようにして開けられたのかを知らない。こんな何の変哲も無い穴が、ここ最近頻発している地震の原因などと言われても理解できるはずがない。
「この穴じゃなくて――」
和沙はここで見た事を事細かく二人に説明する。二人は初めこそ驚いた表情をしたが、やはり、どこか訝し気な目で和沙を見ている。
「夢でも見たんじゃないですか? 流石にでかい木の根っこが動いていた、なんて聞いても信じられませんよ」
「夢ならどれほど良かったか……。何にしろ、原因は分かった。が、正体は分からずじまいだ。ここいらに大きな木ってのは無いのか?」
「少し離れた場所にある、自然公園にある木が結構大きかった筈です。が、流石にこんな穴を開けるような根っこはしてなかったかと。樹齢も流石に百年程だったと思いますし、ここまで根を張れるとは思えません」
「ん~……、百年程度じゃそこまでデカくは無いか。なら、あの根っこはどこの……」
「すいません、ちょっといいすか?」
長山が穴に目を向けたまま手を上げる。
「何?」
「まさかとは思うんすけど、木が温羅化した、とかじゃないっすよね?」
「長山、いくら何でもそんな……」
「木が、というよりも温羅が木の形をとった、と思うべきだろうな」
井坂はそんな事はあり得ない、とでも言いたげだったが、予想外だったのか、和沙の補足に驚いた表情をしていた。
「和沙様!? 何を言って……」
「忘れたか? 佐曇に現れた天至型は黒鯨……空飛ぶ鯨だ。今更木の姿をとった温羅がいたとしても、驚くような事じゃないだろ」
「つまり、和沙様は温羅の仕業だと?」
「それが一番現実味があるだろうな。……ただ、正直なところ、あの根からして、幹の大きさは相当なもののはずだ。そんな相手をする事を考えたら、気が滅入ってくる」
「……同感です」
二人揃って溜息を吐くも、それで事態が好転するはずも無い。一先ず、ここはこの情報だけ持って保留という事になった。今は正体が分かっただけでも収穫だ。それ以上の事をしようがない。
この判断が吉と出るか凶と出るかは、その後の和沙の動き次第だろう。
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