第59話 かつての残滓
一方その頃、この佐曇市の中心を縦断するように存在する大きな道。国道として整備された道路は、夏場アスファルトじゃらの照り返しが非常に強く、歩いているだけで倒れそうになる歩行者が後を絶たない。
そんな魔の道の端、木陰で休んでいる一つの人影があった。
「あぁクソ、暑いにも程がある……」
パタパタと服の裾をはためかせ、体に風を送っているのは、何を隠そう鴻川和佐本人だった。
目的地であろう、遥か先を見つめているが、その視線の先にあるのは、道路から立ち上る陽炎くらいだ。病み上がりの体には非常にキツイものがあるのだろう、顔色も若干悪い。
しかし、最悪にも近い体調を押してでもやらなければならない事でもあるのか、一向に帰る意思は見せない。……ここまで来てしまった手前、簡単に帰ることが出来ない、というのもあるが。
「よ、っと」
休憩が終わったのか、ゆっくりと道端の段差から腰を上げる。その熱気の強さに、一瞬足がふらつくものの、なんとか踏ん張ってその場から歩き出す。
その後も何度か休憩を挟み、通りがかりの店で花や何故か線香を購入していく和佐。そのラインナップから、おそらく墓参りに行くのだと予想が出来る。
果たして、その予想は的中する事になる。
山が随分と近くなり、国道から外れた和佐は、一切迷う事なく進んで行く。その先にあったのは、寂れた共同墓地だった。
整備はされているが、あまり人が来ないのか、見渡せば至る所に雑草が生えている。掃除をしたとしても、年に一回といった頻度だろう。あまり綺麗だなどとは言えない。
墓地入り口にある蛇口は死んでおらず、そこから熱湯のような熱さの水を先に流し、水を汲むと、真っ直ぐに墓地の中を進んで行く。
体調を押して、更に誰にも何も言う事無くやってきたのは、共同墓地の奥、更にその隅にある小さな墓だ。作られてかなりの年月が経っているのか、墓石は風化し、そこに書かれた家名を読むことが出来ない。また、その一帯だけ他の場所よりも雑草が多く生えている。おそらく、小さな墓であること、そのうえ何年も前から誰一人として墓参りに来ていない事から、管理が必要だと思われていなかったのだろう。
それを目にした和佐は、普段ならそういう労働に従事すると、文句ばかり言うのだが、持って来た花や水を置いて無言で掃除をしだした。
炎天下の中、一人黙々と墓の掃除をするその姿を目にする者は一人としていない。誰かに評価される為に行なっている普段のボランティアとは違う。その行動は、この場所を少しで大切な人が快適に眠っていられるようにする為だ。
「ふぅ……」
存外多く群生していた雑草に梃子摺り、掃除が終わったのはその三十分程後の事だった。
額を伝う汗を拭い、綺麗になった墓周りを見るその目は、実に満足気だった。
掃除を終えたその場所に、花と線香を供え、ゆっくりと手を合わせる。その間、一言も発さず、ただただ目を瞑ったままだ。……その中にいる者へ、今まであった事を報告しているのかもしれない。そして、これから何をするのかも。
「……」
しばらく、それこそかなり長い間、墓に向かって手を合わせていた和佐だったが、ようやくゆっくりと目を開く。細められたその目からは、少し物悲しさを感じる。
「さて、帰るか……」
用が済んだのか、荷物を纏めてその場から立ち上がる。道具を元に戻し、墓を後にしようと共同墓地を出た所で、この場には似つかわしくない黒塗りの車が停まっていた。
「どなたの御墓参りですか?」
「母親と妹。たった二人だけの墓だよ」
宗久の問いかけに、和佐は何てことは無い、とでも言いたげに返す。
宗久は、そうですか、と一言発した後、後部座席のドアを開ける。そこから誰かが出てくる訳でもない。乗れ、と言うことだろう。
正直、和佐としてはこの炎天下の中、再び病院まで歩いて戻らなければいけない事にウンザリしていた為、これは思わぬ救いの手だ。そういう理由もあり、大人しく車へと乗り込んだ。
ゆっくりと発進した車内を、何とも言えない沈黙が支配していた。
「……皆さん、大騒ぎしていましたよ。目覚める素振りすら見せないと思ったら、いつの間にか消えていたのですから。……退院してからではいけなかったのですか?」
先に口を開いたのは宗久だ。時彦から和佐を探すように指示され、ここまで来たようだ。……何故ここだと思ったのかは、聞いてはいけない気がする。
「これ以上遅れたら、夜枕元に立たれそうだったからな。立つのはいいが、いらん事でもされたら敵わん」
「母親と妹さん……でしたね、あのお墓に眠っている方は。つかぬ事をお伺いしますが、父親はどちらに?」
「知らんよ。アレがどこに行ったか、どうなったかは俺の預かり知るところじゃ無い。別に興味も無いしな。あぁいや、多少忌々しく思ってる事を考えれば、少しくらいは関心があるのか……、前言撤回だ」
言葉の端々には、決して小さくはない棘がある。過去に何があったのか、今となっては本人の口以外からは知る術は無いが、どうやら当人に語る気は無いようだ。
しかしながら、こうして傲岸不遜とも言える口調に、宗久は眉一つ動かさない。その辺りは流石と言えるのだが、やはり気にはなったのだろう。その口からは和沙の豹変の理由が問いかけられる。
「そういえば、随分と口調が変わられたようですが、何か心境の変化でもございましたか?」
誰が見たところで、その変化の理由は明白だ。記憶の回復、これしか無いだろう。しかしながら、和沙の口がその詳細を語る事は無い。
「心境の変化、ね……。別に、何かが変わったわけじゃない。俺は元々誰にでもこういう話し方だ。前がおかしかっただけの話だ」
「誰にでも、ですか?」
「強いて言うなら人間全て、だ。俺にとっちゃ人なんざ敵か味方か、生きているか死んでいるかの違いしかない。善も悪も、上も下も関係無い。ただそれだけの話だ」
「真の意味で、人類皆平等、と言う事ですね」
「良い意味に捉えれば、な」
「おや、まるで違う意味があるように仰いますね」
「さぁな。深い意味は無いよ」
そう言ったきり、口を噤んでしまった。もともと口数の多い方ではなかったが、どうやら戻る物が戻ったおかげで、更に口を開かなくなった。これでは、気を使い損だろう。流石の宗久も、和佐の口がこれ以上開かない事を悟ったのか、これ以上話しかけようとはしなかった。
車窓から流れゆく景色を、つまらなそうに見つめる和沙。今の世をその目に映した少年は、一体何を考えているのか。目覚めたばかりの彼が語る事はなかった。
「兄さん! どこに行ってたんですか!!」
病院へと戻った和沙を迎えたのは、物凄い剣幕で詰め寄ってくる妹と、それぞれ苦い表情を浮かべた巫女隊のメンバーだった。
「別に。ただの野暮用だ」
にべもなく返事をする和沙は、彼女達の脇を通り抜けて、病室に戻ろうとするが、それを阻むかのように凪が立ち塞がる。
「待ちなさい。何か一言くらい言う事があるでしょ? 迷惑をかけた、とか謝罪とか」
「何故?」
「何でって……。あんたの目が覚めたのは喜ばしい事だけど、それで誰にも何にも言わずにどこかへ行けば、大騒ぎになるって事を考えなかったの? 少なくとも、私達は誘拐でもされたんじゃないかと思ってたのよ?」
「必要無いから、無意味だから、理解が出来ないから、さて、どれがいい?」
「な……! あんたねぇ!!」
「別に構わないだろ。それとも、お前らに何か実害でもあったのか?」
「そういう事じゃない! 何も言わずに消えたから心配したって言ってんの!」
「あぁそう。……余計なお世話だ」
「なっ!?」
凪の表情は怒りか、それとも驚愕か。なんにしろ、和佐のその一言は確実に彼女の心を抉るものであったのは間違い無い。
「……一つだけ聞かせていただいてもいいですか?」
「何?」
「GPSで和沙君の洸珠の位置を探知した時、何故か映りませんでしたが、洸珠に何か細工でもしたのですか?」
「細工も何も、ただ接続を切ってただけだ」
「接続を……切った?」
「……まさかとは思うが、繋ぎっぱなしにしてるのか?」
「当然です! でないと、いざという時の対処が遅れるじゃないですか!」
「……はぁ」
もはや何も言うまい。そう言いたげな和沙は、重いため息を吐くと、そのまま病院の中へと入っていく。その後を鈴音が追いかけようとしたが、宗久が彼女を止め、無言で首を横に振る。
人付き合いが苦手、というレベルではないそのやり取りに、果たして彼女達は気づいたのだろうか。
和佐にとって、彼女達の存在は、取るに足らない物であることに……。
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