第106話 妙案?

 茫然、ただそれだけだった。


 構えられた拳は、固く握られたまま、振る事さえ敵わなかった。

 あれだけ力を込めた拳が、何故振るわれる事が無かったのか? 理由は簡単、結果も単純だ。

 

 打ち抜く相手が、唐突に視界から消えたからだ。


 正確に言うならば、一瞬、蒼い光が走ったかと思うと、轟音と共に温羅の体が横に吹き飛んだ。それも、ただ飛んだのではなく、その巨体が地面をバウンドするほどの威力を側面から受けて、だ。

 今、まさに攻撃を加えようとしていた少女がその光景に唖然とするのは当然の事、今の今まで自身に振り下ろされる棘を見つめていた美月にしても、何が起こったのか理解出来ないといった様子だ。そして、それは少し離れた場所で戦っていた他の候補生達も同じ事。おそらく、何が起こったのかが分かっているのは、この惨状を生み出した本人だけだろう。その人物は、温羅の頭に突き刺さった獲物を引き抜き、肩に担ぐと足下に転がった中型の姿をマジマジと見ていたと思ったら、すぐに興味を無くしたようで、美月の元へとゆっくりと歩いてきた。


「遅くなって悪かったな。沖の方まで出てたから、存外時間が掛かった」

「……」

「……」

「にしてもあれだな、あんの隊長、もしかしてわざと見逃したんじゃないだろうな。いかにもそれっぽい形だし、あり得ん話じゃないな」

「……」

「……」

「何だ、二人揃ってそのアホ面は。そんなところまでアイツに似なくていいだろ」


 その辛辣な言葉で、ようやく我に返る二人。

 今、彼女達の目の前にいるのは、本来ここにいるはずの人物。先日、訓練中に美月が乱入し、喧嘩を吹っ掛けたものの、見事にスルーされた鴻川家の長男、鴻川和沙だった。


「……相変わらず辛辣ですね」

「悪いな、そういう性分なんだ」


 一切悪びれた様子を見せず、軽い口調で話す和沙。美月達とは異なり、いかにも余裕です、といった様子の和沙だったが、よく見れば御装の至るところに焦げ跡が見えるうえ、腕の一部に火傷の跡がある。満身創痍の美月達と比べると、まだいくばくかの余裕が感じられるものの、それでも彼なりに苦戦の跡が垣間見える。

 それにしても、あれだけ苦労した中型を多少消耗させていたとはいえ、たった一撃で倒したその実力には、ただただ目を見張るしかない。その証拠に、先程から美月の隣で少女が茫然とした表情のまま固まっている。


「それよりも、だ。立てるか?」

「立てますよ! このくらい、どうって事は……つっ……」

「無理はすんな。誰かに肩でも貸してもらって、後ろに下がれ」

「下がれって……ここから離れろって事ですか!? 私は候補生のリーダーですよ!? そんな私が離れたら、どうなると思ってるんですか!!」

「そこにちょうどいいのがいるだろ。まだ呆けてはいるが、お前の不在くらいはどうにかするだろ」


 和佐が顎で指しているのは、塵となりかけている温羅の骸に視線を向けている少女。確かに、美月の仕事を間近で見ていた彼女ならば、その可能性は無い事も無いが……。


「さっちゃんは……ダメです」

「駄目って、何で」

「そういうタイプじゃないからです。あの子はどちらかと言うと、一番に相手に突っ込んでいくタイプなので……」

「脳筋って事か?」

「……はい」


 和佐の言葉に、美月は随分と萎縮した様子で返す。親友の事だ、恥ずかしいわけではないのだろうが、彼女の見た目はどちらかと言うと参謀のようなもの。本人もそれを目指している節があり、そのイメージを壊したくなかったのだろう。


「ふ~ん……」


 和佐は、何やら考え込むような仕草をしながら、件の少女へと目を向けている。


「何て名前だっけ? ……さっちゃん? だったか?」

「佐奈です! 伊東いとう佐奈さな!! その呼び方はやめて下さい!!」

「おぉ、そうか。悪かったな、伊東。で、どうだ? 出来るか?」


 そんな事を問いかけられ、つい小首を傾げてしまう少女――佐奈は、数瞬の後、その言葉の意味を理解し、真っ直ぐに和沙を見つめ返す。


「問題ありません。伊達に彼女の傍でその仕事っぷりを見てきたわけじゃありませんから」

「だ、そうだぞ」

「うぐぐ……」


 悔しい、わけではないようだが、どこか納得のいかない表情をしている。確かに、佐奈を常に一番近くで見てきたのは美月だ。彼女が渋る、という事は何かしら問題があるということを意味しているのだが、それでは傍に彼女を置く意味が全くと言っていいほど無くなってしまう。

 ならば、ここは彼女に任せてみるのも一つの手なのだが……。


「はぁ……、分かりました。それじゃあ、私は後ろに下がって候補生の全体の指揮を執るから、さっちゃんは現場での状況判断と、咄嗟の指示をお願いね」

「分かりました」


 そう言いながら、眼鏡のブリッジをクイ、と押し上げる動作が実に彼女に似合っている。そういったところも含めて、見た目だけならば敏腕秘書と呼んでもおかしくはないものだが、残念ながら彼女の思考回路は脳筋のそれだ。


「よいしょ、と」


 近くにいた候補生の一人に肩を貸すよう頼むと、ゆっくりとその場から起き上がる。立つだけで顔を顰めているところを見るに、体の内部へのダメージが相当大きいらしい。骨折も一か所や二か所だけでは済まないだろう。


「それじゃさっちゃん、後はお願いね」

「大船に乗ったつもりで任せてください」

「ほんとに大丈夫? その船真ん中から真っ二つになったりしない?」

「私を一体なんだと思ってるんですか……」

「脳筋」

「全く……」


 佐奈は頭を押さえてかぶりを振っている。普段の言動が言動なだけに、そう思われるのは仕方の無い事だが、それ一辺倒だと思われるのは流石に心外なのだろう。


「ともかく、心配は不要です。ここは私に任せて、貴女は後ろで休んでて下さい」


 美月に肩を貸しているメンバーに二言、三言告げると、引き摺られるようにして、美月が連れられて行く。


「これで後顧の憂いは無くなりましたが……」


 チラリ、と眼鏡の奥で光る鋭い目つきが和沙を貫く。


「どうするおつもりで? これ以上ここにいる理由は無いと思われますが?」

「それなんだが、ちょい困っていてな」


 和佐の視線が海上の遥か上、数百メートル上空に浮かぶ黒鯨へと向けられる。いや、遠目だから分かりづらいが、先程よりも更に上昇しているような気がする。

 これ以上上空に行かれると打つ手が無くなる。だからといって、今すぐに対応するとしても今しがたその手段を潰されたばかりだ。二度も三度も同じ手が通じるとは思えない。であるならば、次のアプローチは多少なりとも変化を付けなければならないのだが、そもそも取り付くので精一杯である以上、変化もへったくれもあったものじゃない。


「下から接近すると足場は多いんだが、その分迎撃も激しい。それに、取り付いたところで、回避に注力した結果、そもそも次の段階まで運べない、とまぁこんな感じだ。何かいい案無いか? 隊長代理」

「いい案、ですか……」


 考え込む姿が随分と様になっている。これで脳筋寄りの思考回路でさえなければ、参謀役としてそれなりに映えるのだが……。


「一つお聞きしたいのですが……、下から接近して、迎撃を受けたんですよね?」

「あぁ。とはいえ、あれの砲台は転移するタイプだから、接近する方向は関係無いな。どこからでも一緒だ」

「では、回避に注力、と言うのは?」

「空中だからな、多少面倒ではあるが、独自の回避方法があると思ってくれ。ただ、これに関しても自由自在と言うわけじゃない。地上程の機動力は失われるし、何より攻撃に転じる事なんて不可能だ」


 そう、和佐の刀を引き付ける力を応用した回避術は、便利ではあるもののそこから一気に攻撃に転じる事が出来ない。また、身体能力による移動ではない為、回避速度にも難がある。決して攻撃に用いれる技ではない。


「なるほど……、では上から接近するのはどうですか? そうすれば、不安定な足場ではなく、直接温羅の背中に降りれますし、その分回避もやりやすいでしょうし」

「上って……。まぁ、確かにメリットはでかいが、どうやって上まで上がればいいんだ? まさか、ヘリとか戦闘機を使って、なんて言わないだろうな?」

「……まさか」

「……なるほど、選択肢にはあったんだな」


 随分と無茶な方法だ。和沙でさえ、近づくのも一苦労な温羅の群れに、文明の利器とは言え、まともな対策を行ってない乗り物で近づく等、愚の骨頂だろう。

 更に、今まさに迎撃中である事を考えると、これからそういった処理を施すにしても時間が掛かり過ぎる。下手をすれば、準備中に本土に侵攻されてそのまま終了、という事もあり得るのだ。


「あ、でも、乗り物が駄目なら直接鴻川先輩を撃ち出すのも……すみません、やっぱり無しでお願いします」


 実に脳筋らしい考え方だ。小細工などは使わず、直接撃ち出すというのは、流石の和沙も思いつかなかっただろう。


「……ん?」


 だからこそ、だ。自身が思いつかなかったからこそ、そこにある可能性を考えなかった。こうして違和感を感じる事も無かった。


「いや、そうか……あの高さまで届く威力とはいかないまでも、それに準ずる火力を持った撃ち出す武器があればいいのか……」


 しかし、こうして単純な方法でも改めて考えてみれば、案外その中に隠れた光明が見つかるというもの。

 何か思いついたのか、真剣な表情をした和沙が端末を取り出し、ある人物へと通信を行う。その相手とは……


『はいはい! このアホみたいに忙しい時に、どこの誰よ!!』


 ……通信に出たのは、現在最前線で防衛戦を繰り広げている凪だ。そう、和佐は和沙自身を空に撃ち出す為に必要な装置として、彼女の持っている武器に着目した。


「あ~……、今って、もしかしなくても忙しい?」

『むしろ、今忙しくない所ってどこよ!? こちとら超忙しいから、二文字以内で言ってみろぉ!!』


 ……忙しさで随分とおかしくなっているようだ。普段からおかしい、と言うのは言わぬが花だろう。


「あぁうん、悪かったって。それよりも、今パイルバンカー撃てるか?」

『今? パイルバンカー? どうせ撃ったって効く訳無いでしょ!!』

「撃てるんだな?」

『えぇ、まぁ、撃てるけど……』

「よし、ならそこで待ってろ」

『待ってろって……ここから動け……』


 凪からの言葉を最後まで聞かずに、和佐は通信を切って端末を懐へとしまう。傍で一部始終を見ていた佐奈は、和沙の様子を目にし、解決したと理解したのか、和佐に背を向けて未だ激戦を繰り広げている仲間の元へと向かう。


「伊東、助かった」


 しかし、背後からかけられた感謝の言葉に、一瞬目を丸くし、美月が見たらそれこそ前後左右上下三百六十度から眺めそうな表情を浮かべた後、勢いよく振り返る。が、既にその場に和沙の姿は無かった。

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