第98話 開幕
「もうかなり近いところまで来てるわね」
海を見下ろせる高台から、水平線に視線を向けている凪が言う。彼女が言わずとも、その場にいる誰もが、すぐそこまで迫っている温羅の大群を目にしている。映像からもその規模の大きさが窺えたが、こうして生で見てみると、改めてその数の多さに圧倒される。事実、まだ経験の浅い新人二人組は、目の前の光景を目の当たりにして愕然としている。
「やはり目で見るのと、映像で見るのとは違いますね。あの数にはただただ圧倒されるばかりです」
「そうでもないぞ」
他の者と同様に、遠目で温羅を眺めていた和沙が口を挟む。普段よりも表情は険しいが、それでも過去に一度目にしているせいか、他のメンバー程その顔に驚愕の色は見られない。
「想像通りだ。連中、小型の数を増やす事で数のかさましをしてやがる。中型、大型と違って、機動力と物量で圧倒するつもりか知らんが、連中に飛行能力があるやつは多くない。上陸する寸前で倒せば、多少後ろの負担は軽くなる」
「つまり?」
「七瀬と神戸、お前らの出番だって事だ」
「遠距離攻撃で先鋒を叩く、と言うわけですね」
「が、頑張ります……」
早速出番が来た二人から帰ってきた反応は正反対ではあったが、お互いを知る先輩と後輩なだけあり、心配するほどの事は無さそうだ。むしろ心配なのは……
「上陸された後は、どうするんですか?」
「そこからが本番よねぇ……」
鈴音の声音にも少しばかり不安が混じっている。対する凪の方は、そこまで深刻に考えているような様子では無いが、それもまた彼女の持ち味の一つとも言える為、気にする者はいない。
「各自迎撃。それしかないだろ。幸い、入ってくるところは大結界のおかげで絞られてる。そこを集中して叩いていくのが一番だろうな。防御に秀でた先輩と、攻撃、防衛をすぐにスイッチ出来る日向が上陸してきた連中を抑える。抑えた温羅を、俺と鈴音が遊撃も兼ねて減らしていく。こんなところか。……めんどくせぇ、俺は頭使わずに暴れる方が得意だってのに」
「時期隊長を支える補佐としては十分だから、アンタにはそっちで頑張ってもらおうかな。それとも、隊長、やりたい?」
「ごめん被る」
「あら残念」
これほどの脅威を前にしながらも、こうも余裕を保っていられるのは経験の差か。凪も他のメンバーと比べるとそれなりに場数は踏んでいるものの、和佐程ではない。それでも、軽口を叩ける程の余裕があるのは、他のメンバーに必要以上の不安を持たせない為の虚勢である可能性もある。……そこまで考えている、とは言い切れないのが悲しいところだが。
『みんな、配置に着いたかしら?』
それぞれが各々の心境を抱いている中、懐の端末から声が聞こえてくる。
「あれ? 指示って通信でするの? 大型が来たら使い物にならなくなるんじゃ……」
そう、これまで襲来した大型、その全ての戦闘において、彼女達の持つ端末は何かしらのジャミング効果により通信が不可能になっていた。それは更に上の天至型を前にしても同じ事だ。
『返事が返ってくる、という事は成功ね。確かに、大型、天至型の影響で戦闘中は電波通信は行えなくなるわ。でも、こちらもそれを許容するほど寛容ではないわ。今行っている通信は、洸珠を介した通信方法。水窪さんが洸珠にポイントを置いてGPSに表示させていたわよね? あれの応用よ。洸珠を介した通信だから、お互いの距離が離れる毎に不安定になるけれど、現状直線距離で一キロ程度までは問題無く通信が出来るわ。全体への大きな指示はこちらから行います』
「なんともまぁ……、防衛省の担当の人、死んでないわよね?」
「研究者は意外とタフだから問題無いだろ。それより、連携する際の意思疎通に関してはこれでクリアか。後は各々が対応しきれるかどうかだな」
『無茶をするな、とは言わないわ。意地でも本隊で止めるつもりでやりなさい』
「そこまで言われちゃ、やらないわけにもいかないよなぁ」
「あらら、火が付いちゃった」
ニヤリ、とどこか挑戦的な笑みを浮かべる和沙。他のメンバーも、こうまで言われればやるしかない、と腹を括った様子だ。
『……頼もしい事ね』
先陣を切る彼女達のやる気があるのは、菫や時彦にとっては非情に都合の良い事だろう。しかし、その口調が苦々しげなのは、未だ若い彼女達に街の命運がかかっている事に対する罪悪感だろうか。
『さて、敵は徐々に近づきつつある。あと十分もすれば、完全に戦闘が始まるだろう。……皆、準備は出来ているな?』
『はい!』
すぐ傍から、そして端末の向こうから様々な心境の入り混じった返事が返ってくる。勇ましい者、声が震えている者、まだかまだかと待ち遠しい者、そして、待ち望んだ二度目の邂逅を迎える者。
それらの声を耳にし、通信の向こう側で頷いたのだろう、低く小さな頷きが聞こえた。
『では、これより天至型、通称黒鯨迎撃作戦を行う。改めて言おう、各員、奮励努力せよ』
時彦の激励により、この戦いに関わる全ての者の覚悟が決まった瞬間だった。
第一陣、小型の群れが海を泳いで向かってくる。その様子を存分に見回せると同時に、手が出しやすい位置に陣取った七瀬と葵は、海岸線に泳ぎながら接近してくる小型温羅に照準を定めている。
「タイミングは?」
『任せるわ』
「承知しました」
端末へと問いかけると、一寸の間も無く返ってきた返事に、七瀬は内心で笑みを浮かべる。
二人の攻撃は、云わばこの戦いにおける一番槍……ではなく、開戦を告げるほら貝のようなものだ。番えた矢を放てば、その瞬間、激闘になるであろうこの戦いの火蓋が落ちる。
「……ここにきて躊躇うとは、私もまだまだですね」
故に、この一撃の責任は重い。だからだろうか、一瞬逡巡を見せた視線が、遠方にいるとある人物へと向けられる。
「……」
視線の先にいる少年は、ただ黙って目前の温羅の大群を見ている。が、一瞬その視線が七瀬へと向けられた。しかし、すぐにその目は正面へと向き直り、迎撃の構えを取る。
「ふふ……」
「……?? どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありませんよ」
通信越しに何かを告げられたわけでもない。ただ、彼は視線で正面を指した。それが意味するのは……
「駄目ですね、迷っていては。神戸さん、準備してください。いきますよ」
「は、はい!」
矢を引き絞った手に、もう迷いは無い。細められた目は、ただ射抜くべき相手を見据えている。
「カウントします。十、九……」
その口から発せられる声は、戦い火蓋を切る最後のカウントダウン。口にする数字が少なくなるにつれ、その緊張感は最高潮を迎えていく。
そして……
「撃て!!」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
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