三十話 事前準備
「どうだった?」
「特にこれといって問題は無し。ノルマ分も全部設置する事が出来たしな」
「そう? 小隊長の子が和沙君に失礼を働いたから、怒ってないかって聞かれたんだけど……」
「ん? あ~……、別に怒るような事でもないし、次から気を付けてくれればいい、とだけ伝えといて」
「??」
睦月は首を傾げている。当人達にのみ伝わる会話の仲介をさせられたところで、彼女自身は会話の中身など分かるはずも無い。咎める必要の無いものを、いちいち穿り返すのも面倒なのか、和沙は適当にそう返事だけすると、近くのちょうどいい段差の上に腰かけ、端末を開く。
既に睦月も当初予定していた分の設置は終わっており、残すは鈴音だけとなっている。和沙もあまり早いほうでは無かったが、それにしても鈴音の動きが遅いような気がする。そう心配して端末に何か連絡が来ていないかを確認したが、何も届いてはいない。
何かあったのか、普通に考えればそう思うだろう。ましてや妹の事だ、兄としては心配しないわけにはいかない。……が、和沙はどこか平然とした表情で座っている。
「和沙君、鈴音ちゃんから何か連絡来てない?」
「無い。……まぁ、あいつ文系だから、手こずってるだけかもしれないし、いちいち心配する必要もないだろ」
「文系だからって……、妹の事なんだから、もう少し心配してあげても……」
「逆に何かあれば真っ先に連絡してくるだろ。その辺りの判断力はむしろ俺よりも上だし、今のあいつならそう無茶な事はしないだろうし」
「それならいいんだけど……」
当初鈴音が設置する予定だった装置は一通り無くなっている。つまり、最後の一つまでは順調にいったが、逆に言えば最後の一つで手古摺っている、という事だ。彼女自身も弱くは無いが、鈴音の従巫女は全員センスはあるものの、そこまで経験が豊富という訳でもない。
最悪を考えるべきではないが、それでも可能性は十分に存在しているのだ。そのビジョンが睦月の頭を過る。
「やっぱり私、様子を見に……」
「……その必要はないんじゃねぇか?」
我慢ならない、と言いたげな睦月の言葉を遮り、チラリ、と和沙が明後日の方向に目を向ける。その視線の先には、何人かの影がこちらに走ってきているのが見え、徐々にそれが近づいていく毎に姿が明らかになっていく。
「すみません! 遅れました!!」
額に汗を流しながら、帰ってきた鈴音と彼女の従巫女達――日和以下三名が居住まいを正す。おそらく、急いで戻ってきたのだろう。和沙達を心配させまいという事か、もしくは、何かに追われていたのか。
「何かあったの?」
鈴音が帰ってきたにも関わらず、未だ心配そうな表情を浮かべる睦月に対し、どこかばつの悪そうな顔をしている。
「そういや物理関係の授業が苦手って言ってたよな。それがここに来て災いしたか?」
どことなく和沙は楽しそうだ。いつもは散々弄られる事が多いので、こういうところで仕返しをしているのだろう。そんな和沙の言葉に少しむすっとした表情になる鈴音。
「ち・が・い・ま・す!! 最後の一つだけ型が違ってたんです!! そのせいで回路を繋ぐのに手間取って……、とにかく! 設置は全て完了しました。後は起動させるだけになります」
「お疲れ様。それじゃあ、この件を上に報告しに行ってくるわ。もう少し待っててね」
それだけ言って、睦月は少し離れた場所へと向かう。おそらく、瑞枝に報告するのと同時に、他の地点での結果を聞きに行っているのだろう。ただの報告にしては随分と話が長い。
「ねぇねぇ~、お兄さん~」
「ん?」
そんな睦月を遠目に眺めていた和沙だったが、不意に横からかけられる声に反応し、そちらに振り向く。間延びした語尾から、正直なところ振り向く必要すら無かったが、やはり声をかけてきたのは日和だった。
「お兄さんと一緒に行った人たちは~、どうだった~?」
「どうと言われてもなぁ、別に戦いが目的で行ったわけじゃないし、職務はきっちり果たしてたとしか」
「へ~、ふ~ん~……」
「……大丈夫か? なんか目が怖いんだけど」
「気にしないでください。お兄さんと一緒に行った守護隊の中に、この子のライバルみたいな人がいただけなので」
「え~、そんな事ないよ~? ちょ~っと、私と被るところがあるだけで~」
実際に行動していた時はそんな素振りは見せなかったが、あの四人の中に日和と張り合う人物がいるとは到底思えないのだろう。何せ、今現在目の前にいる少女と、あの軍隊のように統率された彼女達とは全くと言っていいほど方向性が異なっている。それに加え、日和の主装備は狙撃銃だ。護衛という事もあってか、和沙に付いていた従巫女達の装備は全員アサルトライフルを所持していた。どんな状況でも上から見下ろし、常に隙を虎視眈々と狙っている日和とは似ても似つかないのが事実だろう。
「……まぁ、ライバルがいるってのはいい事なんじゃないか? 常に先頭を突っ走るってのも、隣に誰もいないのは寂しいし、一方的であれそういう感情を持つのは悪くない……とは思う」
「そこで言い淀まないで下さい」
実際問題そういう状態になった事が無い和沙にしてみれば、彼女が抱いているライバル心など理解出来ないというのが事実だ。
なりたくてなったわけでは無いが、それでもこうなってしまった以上、張り合える相手がいる、というのはなかなか羨ましいものでもある。
「にしても、そっちでも出てこなかったのか……」
「何がですか?」
鈴音が首を傾げている。
「あの二人、これだけ広範囲に渡って何か企んでる風に見せているにも関わらず、影も形もありゃしない。こっちに興味が無いのか、それとも出てこれない理由があるのか……、どちらにしろ作戦としては成功してるから問題無いんだけどな」
和沙としては、なんらかの介入はしてくると思っていただけにここまで音沙汰無いのは想定外だった模様。もしかすると、今回の作戦を特に脅威と認識していないのかもしれない。大々的に温羅を狩っているわけでも無いので、単にあちらに情報が行っていない、という可能性も考えられるが。
「そうね、今聞いた話だと、他のところでも大きな障害は無かったって。……瑠璃ちゃんが和沙君と一緒の地区が良かったって暴れてたらしいけど、そもそも同じ地区だからって一緒に行動するとは限らないのにね」
「……まだ諦めてないのかあいつ」
「そういえば~、琴葉ちゃんもお兄さんに弟子入りしようとしてたね~。モテモテだ~」
「ちょい待ち、何で知ってる? まさか見てたのか!?」
「秘密の情報経路~。お兄さんにもいるでしょ~、そういう人~」
「ぐぅ……」
いないと言えば嘘になる。だが、そんな事を口にする、という事は彼女への支援者が祭祀局内にいるという事になる。単なるうわさ好き、という可能性も考えられるが、今の口ぶりからはそこまで公なものでは無いような気もさせられる。
妙に明るい笑顔を浮かべている日和を前に、渋い表情の和沙だったが、そんな二人を仲裁するかのように睦月が手を叩く。
「はい、今日の任務はこれでお終い。一応、現地解散って事になってるけど、各小隊の隊長は報告書を書いてね。出来れば事細かに」
鈴音の傍に付いている日和達にそう言うと、睦月は自分の従巫女が集まっている場所へと向かって行く。おそらく、今言った事と全く同じ言葉を告げるのだろう。報告書自体はメールでの送信も可能なので、小隊長達も現地解散の中に入るが、一応立場がある睦月は一度祭祀局に帰る必要がある。そう考えると、昇進というのも考えものだと思わせてくれなくもない。
「そんじゃあ、俺らも帰るか」
「何言ってるんですか? 巫女は全員一度局に戻るんですよ?」
「……俺はほら、公的に認められてる存在じゃないし、この街の所属でもないし、別に関係無いという事で」
「残念ですが、兄さんの立場は織枝様直轄の非公式な巫女となっています。性別は公開されていませんが、この現状です、既に祭祀局内では周知されていますよ? だから一人だけ特別扱い、というのは通用しません。むしろ織枝様から直々にお呼びがかかると思います」
「何それ俺知らないんだけど……」
驚愕の事実を前に呆然とする和沙。だが、よくよく考えてみれば、ここ最近和沙と織枝の接触はかなりの頻度を記録している。当然、それを目撃する人物も多くは無いが存在する。それの説明の為に和沙の存在を周知するのは当然の事だ。流石に人となりまで細かく説明する必要性は無いが、祭祀局のトップが頻繁に接触する人物の詳細程度は伝えられているのだろう。あくまで、織枝と関わりのある一部の人間には、だが。
「あぁ……俺の安息の日々が……」
「ご自分の立場を理解するべきですね。迂闊な行動が招いた結果です。もう少し慎重に行動するべきだったかと」
「耳が痛い……」
鈴音の言葉から逃れるようにして耳を塞ぐ和沙の腕を、どことなく呆れたような表情の鈴音が引っ張っていく。
「ほら、行きますよ。遅くなれば遅くなるほど帰宅時間も後ろに伸びるんですから。面倒事が控えている時ほどきびきびと動くべきです」
「ぐぅの音も出ねぇ……」
観念して妹に引っ張られるがままの和沙。そんな彼の後ろで、日和率いる守護隊が、その光景をどういう顔で見送ればいいのか、困惑した表情を浮かべていた。約一名を除いて、だが。
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