六十三話 再開
教室には重々しい沈黙に満ちていた。
机に座る生徒達は、皆真剣な表情で目の前の答案用紙に向かってペンを走らせている。それが正解である事を祈って……。
「あ゛~……」
「お疲れ様~、どうだった?」
「どうもこうも無いよ……。俺はもう駄目だぁ……」
ガン、と鈍い音を立てながら、和沙の額が机に打ち付けられる。おそらく、今和沙の額は真っ赤になっているだろう。しかし、そんな事もお構いなしに、ぐりぐりと額を机に押し付けるその様子から、テストの内容に苦心した事が伺える。
「え~、でも今回は簡単だったじゃん」
「貴様そっち側か……」
どうやら、勉学では紫音もまた優秀の部類に入るようだ。彼女が簡単だと言った内容と、和沙が五十分いっぱい頭を抱えて、ようやく答えらしきものを導き出したものと同じとは到底思えない。
地頭の差か、それとも単に勉強不足なだけなのか。おそらくは後者だろう。とはいえ、和沙はこの時代に来る前にも学校へと通っていたが、その役目のせいか、ほとんど登校出来ていなかった。特別学級などで不足分は補っていたが、それも度重なる温羅の襲来により満足に通えた試しは無い。そういった事情から、彼自身に勉強をする習慣が付かなかったというのもあるだろう。とは言っても、今となっては過去の話。所詮言い訳にしかならないのも事実で、今は十分すぎる程に環境が整っている。ただ怠惰なだけ、と言われてしまえばそこまでだ。
「鈴音ちゃんは優秀なのに、兄妹でここまで差があるってのも珍しいよね」
「……」
言い返したい。しかし、場所が場所なだけに、迂闊な事は言えない。それが分かっているのか、紫音の煽るような口調は留まるところを知らない。
以前相当言われた事を根に持っていたのだろう。ここぞとばかりにお返しをしていくその姿は、いっそ清々しい。
「鈴音以外は?」
「え?」
「鈴音以外のメンバーはどうだって聞いてんの」
「ん~……、特に悪い人はいないかな。隊長は隊長らしく優秀だし、筑紫ヶ丘先輩も知っての通り。意外なのが櫨谷先輩で、あの人、成績上位なの。おかしくない? いっつも遊んでるイメージしか無いのに……。やっぱり、他の人に教えてもらってるのかな? 取り巻きの人達、結構頭が良い人多いみたいだし」
「頭が良いのに誑かされるのか……」
「別に頭の良さは関係無いと思うけど……。和沙君って、結構さらっと毒吐くよね? 癖なの?」
「まぁ、そう思ってくれれば良いよ。否定はしない」
「認めちゃ駄目でしょうに……」
和沙の口が悪いのは今に始まった事では無い。つい先日も、その件で妹に叱咤されたばかりだ。そう簡単に変わりはしないだろう。
「で! 試験終わったけどどうする? この後予定とかあったりする?」
「終わった……、そうだな……終わったな……」
「そっちの終わったじゃなくて……」
どこか虚ろな表情で呟く和沙にちょっとした恐怖を感じながらも、呆れたような声色で突っ込む。
「予定なんかあるわけ……あぁいや、色々とやる事が残ってるのか……。ホント、めんどくさいなぁ……」
「やる事って?」
「……」
和沙の口が閉じる。つまりはそういう事だ。おいそれと外で言えるような事ではないような事だろう。もしかしなくとも、例の地震の調査の続きだ。どうするかの判断は織枝に任せたものの、それで和沙のやる事が無くなったわけではない。今収集が完了している判断材料では、いかな織枝とはいえ、そう簡単に動く事は出来ない。もっと確定的な証拠が必要だ。
……それに、彼女から直々に頼まれた事もある。今すぐというわけではないが、それもいずれはやる必要がある。
一難去ってまた一難、とういう事では無いが、それでも忙しい事に変わりは無い。
「例の調査ってやつ?」
ジロリと、和沙の目が紫音を睨みつける。その視線を受け、一瞬たじろいだものの、それで怯むようなメンタルはしていない。
「アタシも手伝おっか?」
「いらない。邪魔」
「ひっど、何その言い草」
「はぁ……」
形は変われど、絡んでくるのは前と変わってはいない。流石にいつまでも彼女の相手をしているわけにはいかないと判断したのか、和沙は机に引っかけてあったカバンを持ち、教室を後にしようとした、その時。
「……ん?」
「あ、また地震。けど、なんか大きくない?」
紫音の言う通り、今回の揺れは今までのとは比較にならないレベルの大きさだ。流石に、過去何度か起きた大災害レベルとはいかないまでも、それでも真っ直ぐに立つ事が困難な程ではあった。
しかし、その揺れも少ししたら収まる。今回の地震も今までと大きさ以外は変わらない、そう思っていた。
ビー、ビー、ビー
それは、生徒達が持つSIDから発せられる音。一般的には警告音の役割を果たしている。それが、教室いっぱいどころか、学校の至るところでけたたましく鳴り響いていた。
そしてそれは、和沙の端末も同様だ。
端末の画面に出た文字は極めてシンプルなものだった。
『温羅襲来警報。最寄りの避難区域に避難してください』
それは、温羅の襲来を示す警告音だ。近くに出現すると、こうして付近にいる民間人に避難を促す為にけたたましく鳴り響いている。
自身の端末とにらめっこをしていた和沙は、何かを考え込むようにしてその場で立ち尽くしている。
「地震が起きたその直後に温羅が出た……、偶然じゃないよなぁ……」
無関係だと思いたい。そんな様子がありありと表情に出ていた。そんな和沙とは違い、紫音は巫女隊特殊仕様の端末な為か、ブザーが鳴らない代わりに画面に出撃指示が表示された端末をジッと睨んでいる。
「行かないのか? それ、出撃命令じゃないの?」
「そうなんだけど、そうなんだけど……」
何故か戸惑うような声を漏らしながら、紫音の目が端末の画面の中を右へ、左へと忙しなく動いていた。
「何? これ、どうなってんの!?」
紫音の端末、その画面に表示されているのはおそらく温羅を示す赤い光点だ。そこまではいい、和沙も佐曇にいた頃よく目にしていた。問題は、それがこの街の地図と思われる画像の上、その至る所に表示されている事だ。
「大発生?」
ひょい、と後ろから覗き込んだ和沙が随分と呑気な声で言う。しかし、紫音はそんな和沙を咎める訳でも、突っ込む訳でもなく、ただ狼狽した様子を見せるだけだった。
「どうしよ、これどうしよ!? こんなの初めてだから、どうしたらいいのか……」
「……とりあえず、落ち着くところから始めてみたら? ほら、深呼吸」
「すー、はー……って、そんな事してる場合じゃない!! まずはウチの従巫女に連絡を取って……」
「お忙しいことで」
完全に他人事状態の和沙だったが、先程紫音の端末を覗き込んだ時に少し気になる部分があった。
温羅の発生位置が、あまりにも広範囲過ぎる事ではない。確かに、これまでは一か所に集中して襲来する事が多かったが、問題はそこではない。
ぱっと見では分かりづらいが、広範囲に広がった温羅の中心、そこに不可解な間があるのだ。たまたまそうなるように広がった、と言われればそれまでだが、何故か和沙はその部分が妙に気になるようで、和沙自身も端末を広げ、該当のエリアを調べていた。
「和沙君ごめん! 私行ってくる!!」
「はいはい」
画面上の地図に意識が行っているのか、和沙の返事は淡泊なものだ。紫音は少しムスッとした表情になるも、急ぐ必要がある事を思い出し、急いで教室から出て行く。その後を見送りもせず、和沙はただジッと端末に目を向けたままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます