十六話 疲労
「……はぁ」
もはや何度目かすら分からない溜息を吐きながら、織枝がデスクに項垂れる。その理由は明白だ。和沙が持ち帰ってきた証拠物、それは確かに長尾の件を後押しするものであり、尚且つ政府のデータベース上から消えていた、実験体の身元判明に役立つ物ではあったのだが、その後処理に東奔西走させられた事が原因だった。
何せ、その場は阿鼻叫喚地獄絵図の様相で、現場の鑑識に来た警官や、ヘルプで来たはずの守護隊員が卒倒する程凄惨な現場だったのだ。処理するのはひと手間、なんてものでは済まなかった。
「人の顔見て何度も溜息吐くなよ……。だから悪かった、って言ってんだろ」
頭痛の種である本人も、この場には居合わせていた。一応謝ってはいるものの、彼が迂闊な行動をとらなければ、温羅が解放された時点で即座に処理していれば、こんな目には合わなかった、というのが織枝の本音だろう。さらに、面白半分でやったわけでは無いというのが尚更質が悪いと言える。
「証拠は手に入ったんだ。それに、例の少女に関する情報もあったんだろ?」
「えぇまぁ、そうなんですが……」
そう、あの少女に関する情報が、あの研究所には存在していた。正確には、彼女の父親に関してだが。
だが、父親の情報があるのであれば、そこから芋づる式にデータベースから引っ張って来る事が出来る。結局政府のデータベースには彼女の個人情報は無かったが、特殊公務従事者、つまるところ適応改造計画の被験者家族という扱いであの研究所のデータベースから見つかった。
同時に、彼女が何故温羅と結託し、祭祀局に対して攻撃意思を持つのか、が分かった事になる。
「
「智里、ねぇ……」
和沙が視線を向けているのは、紙の書類に印刷された今よりも少し幼い少女の顔写真にではない。その横、個人情報の中でひと際目立つように記入されたその名前だ。何の因果か、和沙の本名も呼び方を変えれば「ちさと」になる。
「……つまらん情にでも流されたか」
「はい? 何か言いました?」
「いや、何でもない」
ボソリと呟いた言葉の真意は、この場において和沙以外に理解しようがない。そんな事はどうでもいいとばかりに、手に持った紙の書類をひらひらと揺らしながら織枝へと向き直る。
「で、結局この少女をどうするんだよ?」
名前は分かった、何なら出自から何から、織枝が睨みつけている画面には全てが記載されている。が、それはある一定の期間までだ。そこからは一切が不明となっており、事実死人扱いとなっていた。
「そうですね……、理由が分かったからと言って、彼女の行いを容認するわけにはいきません。まだ犠牲者が出ていない事は不幸中の幸いですが、それも時間の問題です。速やかに彼女の身柄を確保するべきかと」
「確保? 排除じゃなくて?」
「確保です。保護とも言いますが」
訝し気な視線が織枝に突き刺さる。和沙の言葉から、彼は彼女を抹殺すべきと考えているのだろう。その目は不穏な空気を醸し出している。だが、織枝は彼女を保護する必要がある、と考えている。今回初めて姿を現したが、その実一連の騒動の裏で動いていた可能性もある彼女を、何故織枝は確保しようとしているのか。
よくよく考えれば、答えは単純明快だ。智里は温羅を操っている。その手法が何であれ、活用する事が出来れば、街の防衛に一役買う事になる。それどころか、大量に電力を消費する大結界に代わる新たな防衛システムとして利用出来るかもしれない。組織のトップとしては、当たり前の思考だ。
「先の事を考えれば、彼女の力は必要です。巫女達の負担はもちろんの事、貴方にかかる負担も軽減できる可能性があるのですよ?」
「……トチ狂いでもしたか。あの研究所で何があったか、知らないはずが無いだろう。どんな形であれ、敵を分析するのには危険が伴う。いざという時、助けてくれる人間が常に傍にいるとは限らねぇんだぞ」
「危険は承知の上です。ですが、それに見合うだけの価値はあると判断しました」
「価値……価値ってお前……、それじゃああの男と一緒だろ」
あの男、というのは言うまでも無く長尾の事である。
彼は私利私欲の為に温羅を研究し、一連の事件に関わっただけでなく、あの研究所で役目を果たしていただけの研究員達が命を落とす原因を作った。その理由もまた、温羅に価値を見出した為、というものだ。
あの男と織枝は違う。確かにそれは言える。だが、だからと言って、二の舞にならないとは限らない。求めるものは違えど、通る道は同じと言える程似通っているのだから。
「……では、これから先、未来永劫彼女達に戦いを強いろ、という事ですか?」
「俺の周りにゃぶっ飛んだ考え方の人間しかいねぇのかよ。そうじゃなくて、もっとやりようがあるだろうが。別に無理やり連れ去るとか、捕獲するとかじゃない、もっと平和的なやり方が」
「そうでしょうか?」
「オタク、何気に物騒だな……。簡単な話、協力してもらえばいいだけの話だろ? なんで保護って名目で捕まえるなんて発想が先に来るのかねぇ……」
和沙のその言葉を耳にした瞬間、その発想は無かった、とでも言いたげに目を丸くしている織枝。いや、違う。そもそも和沙の口からそんな言葉が出てくる事自体が想像できなかったようだ。確かに、気に入らなければ真正面から叩き切る、といった普段の彼の態度を見ていればそう考えるのも仕方ない。
決して殺しあうだけが方法じゃない。それを改めて教えられた織枝は、協力するとなると一番に浮上する問題を口にする。
「協力してもらうのはいいとして、どうやって説得するんでしょうか?」
「拳で」
「……まぁ、なんというか、そんな気はしてました」
あれだけ人の事を物騒だのなんだのと言っていた和沙自身が一番暴力的だったというオチだ。いや、手段を考えているだけマシと言うべきか。それにしても、力づくはどうかと言った本人がこれでは、他にまともな案など出てきそうに無い。
「……はぁ。では、そのご自慢の拳とやらで頑張ってください」
「応ともさ。あ、でも、先約があるんだ。まずはそっちを何とかしてから、だな」
「先約……」
それはつまり、あの巫女服を身にまとい、能面のような仮面を付けた女性の事だ。以前和沙にあの人物の正体について心当たりがあるのか、と聞いたところ、微妙な返事しか返ってこなかった。にも関わらず、この執着のしかたはなんだ? どう考えても、なんらかの因縁があるとしか思えない。となれば、彼はあの女性の正体を知っている事になる。
言わないのは何か理由があるからなのか、それとも何か別の事情があるのか、織枝には一切分からない。
振り返る事無く、部屋から出ていった和沙の背中を見て、小さく溜息を吐きながら、先の見えないこの状況に頭を悩ませていた。
「げ」
「む、貴方は……」
出来れば会いたくなかった。そう言いたげに顔を顰める和沙の前に姿を現したのは、織枝の妹、御巫琴葉だ。しかしながら、彼女もまた和沙の存在に気づいていない様子だったので、待っていたのではなく、単に鉢合わせただけだろう。お互い相手に用は無い。ここはスルーが最善と判断した和沙が、彼女の脇を通り抜けようとした時、がっし、とその腕を掴まれる。
「……」
この状況だ。掴んでいる人物が誰か、などと推理するまでも無い。
油の差していない機械が動きだすような音でも鳴りそうな動きで和沙が振り返る。その顔には、めんどくさい以外の表情が読み取れない。
案の定、和沙の腕を掴んでいたのは琴葉だ。彼女はどこか迷うように目を泳がせている。だが、その手がしっかりと和沙の腕を掴んでいる辺り、逃がしてくれる気は無さそうだ。
この琴葉という少女が嫌いというわけではない。だが、これまで和沙が織枝に会いに行く際、まるでどこかのゲームのように潜入していたのは彼女との接触を避ける意味合いも持っていた。何せ、会う度に絡まれるのだ。もう顔を見るのも嫌だと言ってもおかしくは無い。
だからこそ、こうして鉢合わせしてしまい、今すぐにでもこの場から離れたい和沙にしてみれば、彼女の手を振りほどくのは簡単だが、何か用があって掴まった手前、今後に差し支えが出るのは避けたいだろう。これが織枝との密談がまだ公になっていないのならば、ここで彼女の手を振りほどいても問題は無かったが、今となっては姉との話の障害になりかねない事は避けたい、というのが和沙の本音だ。
「一つ、貴方に頼みがあります」
ようやく彼女の開かれた口から出たのは、そんな言葉だ。
「私を強くしてください」
「……」
先ほどとは比べ物にならない程の渋い表情を見せる。つい先日もとある少女に弟子にしろと迫られたばかりで、和沙にとっては、お前もかと言いたくなる事この上ない。
「何で、俺?」
もう少しでその口から洩れそうになった悪態を飲み込み、辛うじて絞り出したのがそんな言葉だ。その質問に対し、琴葉は掴んでいた腕を離し、改めて和沙に向き直る。
「鴻川さんが巫女である事は知っています。姉様から……いえ、この目でしかと確かめましたから。私の知る中で、一番強い巫女が貴方だと思ったから。これが、理由では駄目でしょうか?」
「ダメとかじゃなくてさぁ……、もっとほら、適任がいるだろ? 筑紫ヶ丘とか、巫女隊の隊長とか」
「……」
思いつく名前、と人物を上げてみたところ、琴葉の表情が曇る。よもや、彼女達が弱い、などと言うつもりではあるまい。
「確かに、筑紫ヶ丘先輩や和田宮隊長に頼む事も考えました。ですが、あの人達では、まだ本当の強さには辿り着けていません。唯一、その可能性があった灘さんでさえ、貴方に敗北した、と話を聞きました。であるなら、本当に強くなりたいのなら、貴方に教えを請うのが一番だと思いました」
確かに、実力的な話で言えば、現巫女隊よりも和沙の方が数段先にいる。しかし、彼女達もまた、和沙が持っていないものを持っている。カリスマであったり、指揮能力であったり。あくまで個人プレーとして見れば最強格の和沙に教えを請うたところで、彼女が望む力が手に入れられるとは思えない。何より、和沙の実力は神立あってのものだ。決して、彼自身の力のみ、というわけでは無い。
「はぁ……アホらしい」
「なっ……!? 私はこれでも真剣に……!」
「実力のある無しなんぞ、所詮は受け取り方に過ぎん。腕力が強かったとしても、それですべての敵が叩き潰せるか? 強力な武器を持っているからって、どんな敵が相手でも勝てるか? んなわけないだろ。実力なんぞ、どれだけあっても困りはしないが、それでも適材適所ってのがある。まず、自分の力がどういうところで生きるのか、それを考えてからにしたらどうだ? それが見つからんから、従巫女止まりなんだろ?」
「それは……」
「一部の超人と自分を照らし合わせるなよ? アレは例外だ。それに、才能でごり押しするだけの人間を強いとは言わない」
「……」
「答えが出て、改めて巫女になったらもう一度話を聞いてやる。それが出来なけりゃ……そもそも根っこから違ったって事だ」
だからこれ以上俺に絡んでくるな。その言葉が喉のすぐそこまで上がってきたのを、嚥下して戻す。琴葉はジッと下を向いて黙っている。堪えたか、もしくは既に探している最中なのか。どちらにしろ、これ以上和沙に出来る事は無い。
ひらひら、と手を振りながら、未だに俯いている彼女に背を向け、踵を返す。願わくば、佐曇に帰るまでその袋小路で迷っていてほしい。そんな期待を籠めながら。
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