三十六話 閑話

 深夜、ふと思い立った和沙は自宅を後にし、夜の街の散策をしていた。そうは言っても、特に目的が無いわけでは無く、ここ最近の異常に規則正しい食生活に対する抗議として、ジャンクフードを求めてこうやって出て来た次第ではあるが……既に日付が変わるのに一時間も無い時間だからか、開いている店などほとんど無い。

 ならば、和沙が昼間によく使っているコンビニはどうかと足を向けるも、明かりが点いておらず、明らかに人の気配がしない店舗を前にして、がくりと項垂れた。


「コンビニでしょ? 二十四時間じゃないの!?」


 そうは言っても、開いてないものは仕方が無い。

 時代のせいか、それとも単にそういう立地な為か、こういった店舗はこの時代、そう珍しくはない。人が来ないのに高い電気代を払って開ける程のメリットが無い、という事か。とはいえ、大通りに出ればその限りではなく、普通に二十四時間開いている店もいくつか存在する。

 しかしながら、家を出る際に、一応鈴音に声をかけたところ、眉を顰めていた妹の姿を思い浮かべたのか、少しばかり逡巡するような様子を見せる。確かに、ここ最近の出来事を鑑みれば、夜中に一人でいるのは攫ってくださいと言っているようなものだ。いくら佐曇のメンツの中でも最強を誇る和沙とはいえ、元はただの人間と大差は無い。弱みを突かれれば、負ける事だってあり得る。鈴音はそういったところを危惧していたのだろう。


「どう考えても、認めてくれてはいなかったよなぁ……」


 ただ、ここ最近の和沙を顧みると、かなりストレスが溜まっているのではないかと思う程の出来事ばかりである。紫音の事もそうだが、立花家での事、本局での事など、当事者では無いにも関わらず、度々鈴音を巡る攻防に巻き込まれている。本人でなくとも、目を覆いたくなるような現状を憐れみ、多少の癒しにでもなればと思ったのか、鈴音が和沙を止める事は無かった。

 だからと言って、帰りが遅くなれば今度は鈴音に迷惑をかける事となる。快く? 送り出してもらった手前、それだけは避けなければならない。かといって、このままでは和沙が持て余す突発的な欲求が満たされない。

 どうしたものかと悩んでいた和沙だったが、背後から近づいてくる何者かの気配に一瞬で頭を切り替え、一切の油断を見せずにその場で悩んでいる風を装う。

 足音は止まらない。最初は微かに聞こえる程度ではあったが、だんだんと大きくなってきている事から、和佐に近づいてきているのは間違いない。単なる通りすがりであれば、和佐の事を避けるはずだ。いくら住宅街の小さな道とはいえ、人が二三人横に並んでも十分過ぎる程の道幅はある。避けなければ、その時点で自衛行動を取ればいい。怪我をさせるのは過剰防衛になりかねないが、気絶なら問題無いだろう。

 そんな物騒な事を考えていた和沙だったが、その耳に届いた声は、完全に予想外の人物のものであった。


「和沙君? こんな時間に何してるの?」


 もはや聞かない日は無いだろうと思える程、ほぼ毎日耳にするその声の主は、ロングコート姿の睦月だった。普段よく見る学生服姿でも、コートを目にする事は季節柄それなりにあるが、こうして膝よりも下まで届く丈のコートを着ている姿を見るのは初めてだろう。

 ……珍しい恰好ではないが、普段の服装以外の物を着るとそのギャップに驚く、というやつだろうか。まぁ、声をかけられた本人は、そこまで気が行っていないようではあるが。


「……それはこっちのセリフです。いくら巫女とはいえ、こんな時間に女性の一人歩きはどうかと思いますが?」


 言葉とは裏腹に、和佐の視線はどこか訝し気なものだ。睦月と会う事自体珍しい事では無いが、時と場所にもよるだろう。少なくとも、今の時間、こんな薄暗い路地で出会う事はまずない。彼女が和沙の後ろを付けてきていなければ、の話だが。


「ちょっと小腹が空いちゃって……。この時間、コンビニも閉まってるでしょ? だから大通りの方に行ってみようかなって」

「小腹が、ねぇ……。こんな時間に食べると太りますよ?」

「べ、別に、普段運動してるからいいの! それに、私はどっちかっていうとここに栄養が行くから……」


 そう言いながら指差すのは胸元だ。コートの大きさが合わないのか、少し苦しそうにしている。


「鈴音辺りが聞くと笑顔で無言の圧力を加えてきそうなセリフですね」

「鈴音ちゃんが? あの子はまだ成長中だし、そこまで思いつめるような事じゃないと思うけど……」


 確かに、鈴音の体は同年代の少女達と比べると、そこまで貧相ではない。しかし、目の前にいる規格外にそんな事を言われても、慰めにすらならないのは和沙でも分かる事だ。


「せっかくだし、一緒に行かない? まだこの辺あまり詳しくないでしょ?」

「……」


 睦月の言う通り、大通りに出れば何か見つかるだろうとかなり大雑把に動いていた和沙としては、彼女の言葉には大いに賛同したいところなのだが……、やはり睦月とここで遭遇した事が心残りなのか、あまり芳しい反応ではない。


「そこで悩んでてもいいけど、こんな事してる間にも鈴音ちゃんは待っててくれてるんじゃないの? あんまり遅いと心配されるわよ?」

「……はぁ。分かりましたよ、一緒に行きます。その代わり、すぐに帰りますよ」

「ふふ、そうね、それが良いわ。行きましょ」


 二人並んで夜道を歩く。こんなところ、知り合いにでも見られれば後日学校でエライ事にでもなりそうだが、いかんせん和沙のこちらでの知り合いなど、それこそ片手で数えられる程度にしかいない。最も警戒すべきは紫音だが、流石に彼女とこんな場所で出会う事は無いだろう。


「そういえば、大変だったらしいわね」

「何がです?」

「照洸会での事、よ」

「あぁ……」


 鈴音に話が行っているのだ、当然、鴻川兄妹の面倒を見るように言われている睦月が知っていてもおかしくはないだろう。


「まぁ、確かに色々とありましたが……、結果的には大した被害も無かったので良かったと言いますか……」

「立花君はあれからどうしてる? 何か話した?」

「いや……、やっぱりあんなことがあったので、お互い関係がギクシャクするのも当然かと」

「そうね、あの子としては、親の指示に従っただけだし、あわよくば和沙君にとって良い方向に向かうんじゃないかと思ってとった行動かもしれないから、恨まないであげて欲しいの。あの子自身はそこまで悪い子じゃないから……」

「まぁ、善性の塊かと思うような奴でしたから。悪気が無いのは分かってます。ですが、だからと言って、結果的にこちらは危ない目に会いかけたんです。恨まないまでも、許す事はそう簡単には出来ません」

「そう……」


 とは言ったものの、実のところ和沙は辰巳の事をなんとも思ってはいない。恨む事はおろか、許す必要さえ無いとすら思っている程だ。その理由として、彼は単なる餌に過ぎず、事の本質には一切関わっていないと思われるからだ。辰信からすれば、辰巳に掛かる人間は一切合切釣りあげていくつもりなのだろう。しかし、餌として放逐されている辰巳は、それに気付かず善意で人に関わり、そこに付け込んだ辰信によって照洸会の信徒を増やしていく。人助けのつもりでやっているはずが、いつの間にか父の利益の為の行動となっており、彼もまた、救われるべき側の立場に立っている。憐れまれる事はあれど、加害者として糾弾されるべきではないのだ。


「まぁ、機会があれば話くらいはしてみようとは思いますが、しばらくは無理でしょうね。何となくですが、避けられてるような気もしますし」

「これ以上巻き込めない、っていうあの子の善意かしらね。なんにしろ、あまり思いつめない方がいいわ。もしその辺りの事で困ったら、私が相談に乗るからいつでも相談しに来ていいのよ」

「……ありがとうございます」


 そう言う割には、あまり気乗りしていない様子だ。睦月はあぁ言うが、彼女自身も和沙が警戒している事の一つに入る。その返事が芳しくないのも当然と言えよう。


「そういえば、もう一つ気になってたんだけど……」

「なんですか?」

「最近、紫音ちゃんと仲が良いみたいね。何があったのか聞かせてくれるかしら?」

「……」


 何故だろうか、睦月の口調にそこはかとない圧力を感じるのは。いや、口調は普段と一切変わりない。だが、その言葉に籠められた念が違い過ぎる。和沙としては悪い事はしていないどころか、むしろ彼女に迫られる側なのだが、何故こうも責められるような形になっているのだろうか?


「ね、な に が あ っ た の?」

「それは……、むしろ俺が聞きたいくらいで……」

「どういう事?」

「どうもこうも無いですよ。ある日突然急接近してきて、一目惚れだ~なんて言って、そこから今に至ってるんです。俺も状況を理解出来てないんですよ。一目惚れなんてされる覚えはありませんし、そもそも初めてこの街に来た日に顔合わせをした程度で、それ以外の接点なんて全く無かったんですよ? どういう事か聞きたいのは、俺も同じです」

「なるほど、そういう事。それは確かに困惑するわよね。でも、紫音ちゃんの言う事は確かにおかしいとしか言い様が無いわね。そもそも、そんなに惚れっぽい子じゃないのに、会ってまだ一か月ちょっとしか経ってない相手に一目惚れって……怪しさしか感じないわ」

「そういう事です。人の色恋沙汰にどうこう言うつもりはありませんが、当事者に、それも特に心当たりの無い理由で好かれても、気味の悪さくらいしかい感じません。だから、俺もどうにかして欲しいんですが……」

「う~ん……、けど、確かに今はそこまでじゃないにしても、今後影響が出る可能性を考慮すれば、どうにかするべき問題よね。分かったわ、こちらでもなんとか出来ないか考えてみる。それまで何とか耐えてちょうだい」

「あまり自信はありませんが、なんとか頑張ってみます」


 流石に睦月から話が行けば、いくら紫音とて多少大人しくはなるだろう。根拠は薄いが、微かに見えた希望の光に、和佐はつい喜びを隠しきれないでいた。これもまた、鈴音に噂を広めるよう頼んだ成果と言える。期待以上の働きを見せてくれた妹への土産は真剣に選ぶとしよう。そう心に決めた和沙だったが、予定していた時間を大幅に越え、心配していた鈴音にこってりと怒られるのを今はまだ知らない。

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