四十二話 百鬼

「紫音ちゃんじゃないけど……、あれは流石に想定外ね」


 睦月がさりげなく和沙と辰巳を庇う位置に立つ。しかし、臨戦態勢とは言い難い。おそらく、あくまで非戦闘員の二人を何としてでも守る為の体勢だろう。


「なんで……、小型じゃなかったの……!?」


 背後の方で何やら紫音が意味深な言葉を発しているが、今はそちらに気を回せる程余裕があるわけでは無いらしい。睦月の視線は、未だ目の前の侍に向けられている。

 目の前とはいえ、そこまで距離が近いわけでなく、直線で三十メートル近く離れている。また、向こうは右手に抜き身の刀のような武器を持ってはいるが、構えてはいない。それに、その体格はこの中で一番の長身である辰巳を二回り程上回っており、恰好からして即座にこの距離を詰められるとは思えない。侍を見た和沙の感想としてはそんなところだ。

 しかし、和沙は気づくべきだった。

 巫女隊に所属している睦月や紫音、守護隊の琴葉はともかく、普段滅多に温羅を目にしないであろう辰巳がここまで警戒している、という事実に。


 刹那、ドン、という地響きのような鈍い音が周囲に広がった。その音に一瞬気をとられた和沙が次の瞬間に見た光景は……

 睦月に襲い掛かる、一筋の黒刃。


「うわっ!?」


 甲高い音を立てて、その音と共に後ろに下がったのは睦月だけではなかった。後ろにいた和沙、辰巳、琴葉、そして一番離れていた紫音ですら、その衝撃に後退るしかなかった。

 今の一瞬で何があったのか、そんな事は誰かに問いかけるまでもなかった。

 あれだけの距離が一瞬で詰められたのだ。そして、右手に持っていた刀で一番先頭にいた睦月に斬りかかったところ、彼女もまた一瞬で御装に変身し、防御に成功したといったところだろう。だが、現状があまり芳しいものではないのは明白だ。

 一番前にいた睦月が、いつの間にか一番後ろにまで下がっている。それだけ吹き飛ばされた、という事だ。いくら女性の巫女とはいえ、その膂力は普段の状態とは比べるべくも無い。しかし、咄嗟の事で防ぎきれなかったのか、それとも元々そういった防御が苦手なのかは分からないが、睦月には目には見えないもののしっかりとダメージが入っている。そして、それを堪えるように、歯を食いしばっていた。


「……後退!!」


 睦月が叫ぶと同時に、即座に御装へと変身した紫音と、贋装へと姿を変えた琴葉が、それぞれ和沙と辰巳を抱えてその場から大きく飛び退った。その速度は先ほどの比ではなく、目の前にいた温羅がみるみる内に小さくなっていった。




「で、どうすんの?」


 無人の店舗の中、和沙を下ろした紫音と、睦月が向かい合っている。おそらく、アレをどうするのか話し合うつもりなのだろうが、その表情は非常に暗い。


「……どうするもこうするも、私達でどうにかするしかないじゃない」


 睦月にしては珍しく、その言葉に具体性が無い。いつもの彼女ならば、もっとはっきりと口にするところだが、そうしないという事は今回はそれどころではないのだろう。それほどまでにあの温羅は危険、という事だ。


「アレと対等に渡り合えるのは瑠璃ちゃんだけ……だけど、何故か通信が繋がらないから、こればっかりはどうしようも無いわね。私達でアレと戦うしかないわ」

「冗談でしょ!? あんな奴に勝てると思ってんの!? 実際、先輩さっきの攻撃で腕に力が入ってないじゃん!」

「……」


 睦月が悔しそうに唇を噛みしめる。

 性能的に言えば、御装と贋装ではやはり御装の方が身体能力の補助性能は高い。先程の後退の場面は、定石ならば琴葉に牽制させ、非戦闘員の二人を巫女が担いで逃げるのが一番早い逃走手段だった。これをしなかったのは、直前に睦月があの温羅から受けた攻撃のダメージが想像以上に大きかった為だ。


「だったらどうするの? 誰かが駆け付けてくるまでここで待ってる? 通信が不安定である以上、報告が上手く伝わっていない可能性があるわ。そうなると、アレの正確な位置が判明せず、対応が遅れるの。……つまり、被害が大きくなるかもしれないって事。こう聞けば、スルーは出来ないでしょ?」

「……それはそうだけど……、でも、正直戦力が足りなすぎる。出来れば、あと一人か二人は巫女が……」

「あの~……」


 睦月と紫音の話し合いでは、落としどころが見つからない。その為、延々と続く彼女達の会話に口を出すという勇気ある行動を示したのは和沙だ。しかし、その口から出たのは、検討違いの言葉だった。


「さっきのアレって……、何?」


 ぽかんとしている、というのはこういう事を言うのだろう。紫音と睦月は当然として、何故か辰巳と琴葉も似たような表情を浮かべていた。


「何って……知らないの?」

「え、えぇ、まぁ……。佐曇では温羅の姿なんて滅多に見ないもので……」


 そう、佐曇市では、温羅が主に湧いてくるのは海からだ。故に、発見から戦闘までにそれなりに猶予があるうえ、人口密集地と主な襲来ポイントの間には廃墟群がある。その為、廃墟群の近くに暮らしている人々に避難警報こそ出されるが、彼らが廃墟群の中に入ってきた温羅を目にするのは極稀……ほとんど無いと言ってもいい。

 更に言えば、和沙自身、人型温羅との遭遇経験はこれまでに一度しか無い。しかし、睦月達の話を聞く限りでは、彼女達は何度か邂逅しているとの事。であれば、直接聞くのが一番だろう。


「そう……そうなの……、佐曇は防衛に関して言えば、全国でトップクラスだものね。民間人が温羅を目にする事なんてほとんど無いのも仕方ないわ」


 そんな情報は初めて耳にする和沙であったが、おかしな茶々を入れて話を遮りたくないのか、黙って睦月の言葉を待っていた。


「そうね……、詳しい事は私達も分かってないんだけど、あの温羅は通称”百鬼ひゃっき”と呼ばれる温羅よ。分類としては小型に位置するんだけど、さっきの戦闘力を見て分かる通り、アレの力は大型に迫るレベル。情けない話だけど、今ここにいる私達は当然の事、神前市の全巫女を合わせても撃退がやっと、ってレベルの相手なの。瑠璃ちゃんなら、一人でもアレを撃退に追い込めるのだけど、私達じゃ流石に無理ね。足止めになるかどうかくらいかしら?」


 百鬼、名前の由来としては、百の鬼に相当する、といったところか。鬼一体が小型温羅一体に匹敵すると考えれば、その戦力は小型温羅百体分と言ったところ。……これでは分類は小型温羅といえど、大型クラスと言われても仕方の無い話だ。


「そ、今の私達じゃどう頑張っても無理……」

「そういえば」


 紫音の言葉を遮るかのように、睦月が口を挟む。紫音を見る彼女の目は、どこか問い詰めるような厳しいものだ。


「さっき、気になる事を言ってたわね。『小型じゃなかったの』って。あれ、どういう意味?」

「……」


 マズい、とでも言いたげな表情ではあったが、何とか悪態が漏れる失態は避けた紫音。しかし、その明らかな黙秘の姿勢が、最大の失態であった事を本人は気づかなかった。


「黙る、って事は少なくとも何かは知ってるわけね。どういう事か説明してもらいましょうか? 貴女のさっきの言葉、それとあの百鬼の関連性を」

「……」


 百鬼への対策を講じていた時とは違う。以前、鴻川家で和沙への警告と共に見せた鋭い視線が紫音へと突き刺さる。しかし、向けられた本人もまた、睦月へと強気な視線を向けている。いつもの構図の延長戦……と言うには少々物々しいが、こういった状況は慣れているのかもしれない。


「……」

「……」


 相変わらず、紫音は一切口を開かない。彼女が自分から言い出してくれるのを待っているのか、睦月も黙って、ただ一直線に紫音を見つめている。


「う……」


 問い詰める形にはなっているが、別に睦月は責めているわけではない。ただ純粋に、この状況をどうにかしたいが為の情報の一端として、紫音が放してくれるまでこうして見つめるつもりのようだ。流石の紫音も、そんな睦月の視線に耐えられなくなったのか、ようやく小さくではあるが、口が開き始める。


「……計画だったのよ」

「え?」

「……そういう計画だったのよ!」


 一度口にしてしまえば、後は堰を切ったようにあふれ出す。


「鈴音さんを味方に付ける為に、まずは和沙君を落とせって。でも、簡単には誘惑に乗ってくれないから、だったら恩を売ればいいやって。そう思って前の襲撃の時に捕まえた小型温羅を和沙君に襲わせて、それを助けてこちら側に引き込む作戦だったの!! それが何!? 百鬼なんて聞いてないよ!! 捕まえた筈の小型はどこ行ったの!? 雇ったはずの工作員は!? もうどうすればいいのか分かんないのよ!!」

「……」


 単純な話だ。誘惑をしても乗ってこない和沙を強引にでも引き込む為に仕組んだマッチポンプ、それが想定外の形となって、今彼らに降りかかってきているという事だ。

 しかし、その自業自得とも思える現状ではあるが、彼女にそれを真っ向から解決できるような力は無い。今の叫びは、そんな彼女に降りかかった想定外の事態を嘆いているのだろうか。


「……そもそも貴女が何をしたかったのかは分かったわ。けど、そもそも百鬼を捕らえるなんて私達でも不可能よ。……となると、貴女が予定していた小型はどこに行ったのか、そしてあの百鬼はどこから湧いたのか、それを究明する必要があるわ」

「……そんな事してる場合? もうすぐそこまで来てるかもしれないんだよ? さっさと対抗策を考えるか逃げるかしないと私達がやられちゃうかもしれないって……」

「分かってる。だから、究明するのは後ね。今は……そうね……」


 睦月が和沙へと向き直る。自身の振った話題ではあったが、再び完全に蚊帳の外になっていた身としては、急な転換に驚く事しか出来ない。


「和沙君、こんな事に巻き込んでしまってごめんなさい。今回の件は、こちらの不手際……、完全に身内が引き起こした不祥事ではあるけれど、貴方はそれに一切関係無いわ。だから、その身の安全は、何があっても保証します。だから、安心して、ね?」


 改まった睦月の口から出てきたのは、この件に関して、和沙は一切関係無いという事。そして、彼女の言う”保証”には、嫌な予感しか感じられない。

 和沙の存在が端を発した今回の事態ではあるが、睦月はこれを完全に祭祀局側の責任問題として処理するつもりのようだ。これは一見、彼女の責任感の強さから来る措置であるように見えるが、その実身内によるくだらない駆け引きの結果引き起こされた事を隠蔽するものでもある。


「保証といっても、ここからどうするつもりですか? 百鬼がすぐそこまで来てるかもしれないんですよ?」


 辰巳が口を挟む。すると、睦月の視線が今度は辰巳へと向けられた。


「そうね。だから、少し無茶な方法をとるしか無いわ。そして、その方法をとるに当たって、貴方に頑張ってもらう必要があるの」

「……え?」


 辰巳が凍り付いた。

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