第45話 別れと真実 後

 夕暮れ時、古びた廃神社の前で和佐は膝を抱えて座っている。一見すると、その様子は迷子の子供のようにも見えるかもしれない。いや、その表現はあながち間違ってはいない。事実、彼は今迷っている。自らの選択や行いに、ではない。これから先、目に前のものをどう見ればいいか、だ。

 市長の語った内容はおそらく全て事実だろう。あの場にいた全員の反応がそれを示している。正直なところ、言わんとする事は分かる。素性の分からない少年を引き取り、更には適正があるよいうだけで巫女隊に入れる。何かメリットの一つでも求めたくなるというものだろう。

 ならば、最初から教えるべきだった。それならば、和佐自身もそういったスタンスを貫くし、表向きだけの家族ごっこをする必要なんて無い。……そういった事を防ぐのが目的だった、と言われればそこまでだが、そのおかげで、和佐にはもう人を信じようという意思を無い。

 ならば、これからは一人の人ではなく、利用されている道具として振る舞えばいい。誰に何を言われようとも、真っ当な人である必要など無いのだ。


「……」


 そういえば、何故和佐はここに来たのだろうか? 別段思い入れのある場所ではないだろうに。

 特に目を引くものも無い小さな神社。あるとすれば、境内から佐曇市を一望出来るくらいか。小高い山の頂上付近に作られたであろうこの神社、老人などがお参りに来るには相当辛いものがある。和佐でさえ、一気にここまで登ってきた時には、しばらくまともに動く事すら出来なかった。

 改めて境内を見回す。既に何十年も管理がされていないのか、草は生え放題、賽銭箱や柱も腐り、まともに機能していないのが見て取れる。この境内のすぐ隣には、以前風美が行こうと言っていた幽霊屋敷なるものがある。なるほど、ここまで荒れていれば、噂の一つや二つも立つだろう。

 しかし、夕暮れ時の中途半端な暗さの中、普通なら不気味さが漂っている境内だが、何故か和佐は恐怖ではなく、懐かしさのようなものを感じていた。


「あぁ……、ほんと、高いですねぇ、ここは」


 哀愁に浸っていた和佐だが、不意に背後からかけられた声に思わず身構えてしまう。


「そんなに構えないで頂戴。ただのお母さんですよ」


 そこにいたのは、頬に伝う汗をハンカチで拭いながら、荒い息を整えている母、亜寿美だった。


「……何しに来たんだよ」

「酷いですわっ!! お母さん、頑張ってここまで登って来たのに……ヨヨヨ」


 メンドクサイ。和佐の口は、今にもその一言を発しそうな形をしていた。

 家では食事時以外、あまりこの人とは絡まない。が、このように口を開けば天然なのかわざとなのか分かりづらい事を口にする為、正直なところ和佐はこの母親と自称する人物が苦手だった。


「で、本当になんなの?」

「そうねぇ……、色々とあの人から聞いたそうですね?」


 亜寿美の言葉に、思わず体を硬直させる。あの人、というのは時彦だろう。だとするならば、色々とは例の件に他ならない。


「……だったら何? 今まで本気で家族になったと思っていた俺を笑いにでも来たの?」

「私、そこまで性格悪そうに見えるかしら……? そうではなく、あの人は肝心なところで言葉が足りないから、その補足。私達家族は、あの日、あなたを迎えた時から一度もあなたを騙した事はありません。確かに、言ってなかった事はあるかもしれませんけど、それでも私はあなたの事を息子だと思っていますよ」

「……」


 和佐の口が言葉を発する事はない。亜寿美の言っている事は事実かもしれないが、ならば何故それを隠すのか。その事実があった以上、和佐がこの人をもう一度信用するのは難しいだろう。

 些細な事だ、というのは和佐自身も分かっている。実のところ、騙されていた訳でもない。そうだと割り切ってしまうのも時には必要だろう。

だが、和佐には記憶が無い。故に、頼れるのはこの家族しかいない。彼らにすら偽られたら、一体誰を信じればいいのか。その答えを今の和佐は持っていなかった。


「最初あの人があなたの事を私達に言った時、交渉材料だ、プロパガンダの為だ、なんて言ってましたが、本当は、どういう形であれ、息子が出来る事が嬉しかったそうですよ。その証拠に、あの人ったら、今の家族で撮った写真を局の自分のデスクにいくつも飾ってるんですもの」


 和佐の内心を知ってか知らずか、それでも亜寿美は時彦の事を楽しそうに笑いながら話している。それが眩しくて、思わず顔を逸らしてしまう。

 亜寿美は和佐の事を息子だと言った。例えどんな経緯で鴻川の家に来たとしても、おそらくはどんな出自であっても、同じ事を言うだろう。自分の為ではない。その言葉は和佐の為のものだ。だが、だからこそ、今の和佐は彼女を母と呼ぶわけにはいかなかった。


「……分かったよ。父さんが言っていた事も含めて、全部もう一度よく考えてみる。俺をどう利用しようとしていたのかはそれからだ」

「利用……ね。あまり深く考えては駄目ですよ? 政治に活用しようとしているわけではないのですから。あくまで、ちょっとしたお手伝い、程度に考えましょう」

「お手伝い、ね……」


 随分と人の思惑が絡んだ手伝いだことで。喉から出そうになったその言葉を、和佐は表に出さずにそのまま飲み干す。


「ふぅ……、少しは息が落ち着いて来ましたねぇ。正直、この階段を今度は降りるのかと思うと気が滅入るのですけど……。ここは一つ、息子にエスコートでも頼みましょうか」


 手を合わせて楽しそうに笑うその顔に、ようやく和佐は理解する。この人は大人の事情など関係無く、純粋に息子と接したいのだと。


「はいはい、お供しますよ……」

「お姫様みたいにエスコートして下さいね」

「お姫様って歳か……」

「おや、そんな悪い事を言う口はこれでしょうか?」

「いだだだだ!! ?を引っ張るな!!」

「女性への言葉には気をつけましょう。分かりましたか?」

「ぐぐぐ……、善処します……」


 右腕は腕に絡ませながら、左手で頬を抓られながら階段を降りる姿は、傍から見ると非常にシュールに映っている事だろう。その証拠に、階段下で停車している黒塗りの車の傍にいた宗久が笑みを浮かべている。

 用事を終えた主を迎えるように、宗久が車の後部ドアを開き、亜寿美を迎え入れる。彼女が乗ったのを確認すると、次は和沙へと視線を向ける。


「いかがしました?」


 どうやら和沙の迎えも兼ねていたらしい。しかし、当の本人は首を横に振る。


「少し一人にしてもらえますか?」

「そうですか、かしこまりました」


 理由などは聞いてこない。その辺りはきっちり弁えているらしい。もしかすると、彼もまた、和佐を主とは別のモノとして扱っていた可能性があるが。


「それじゃあ和沙、また」


 亜寿美が和沙に向かって車の中から手を振っている。和沙もまた、それに振り返しながら、ゆっくりと発進していく車を見送る。

 その後ろ姿が完全に見えなくなると同時に、振っていた手を下ろし、車が向かった方向とは別の方へと足を向けた。

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