十三話 状況停滞、もしくは前進
例の二人組が襲撃してきた翌日の事、いつものように煎茶を啜りながら、自身に送られてくる報告に目を通していく織枝だが、その表情は決して芳しいものではなかった。
「該当無し、ですか……。他の支部が隠している、という可能性も無きにしもあらずですが、それを言えばここも人の事は言えませんしね……」
調査によれば、功を上げる事に焦った長尾が、特殊な機械を用いて温羅を呼び寄せていた、との事だ。ここ半年程で一気に温羅の出現率が上がったのはそれが原因だろう。お陰様でこの街の迎撃スコア自体は全支部でもトップに躍り出たが、悪質なマッチポンプである事がバレれば糾弾は免れない。御巫の名を持つ以上、織枝の身内は問題無いだろうが、長尾の計画に関わった者は間違いなく罪を問われ、連行される。人手が足りない今、更迭だけは避けたいところだ。
「ですが、あの仮面の女性だけではなく、こちらの少女の身元を洗う事も出来ませんでしたか……」
そう、問題はあの仮面の女性だけではない。その傍で温羅を操っていたあの少女、彼女に関してもこれといって情報を掴めずにいた。
データベース化が進んだ現代において、個人の情報は中央政府によって管理されている。そして、祭祀局のトップである織枝はそのデータベースにアクセスする権限を持ち、自由に閲覧する事が可能となっている。
しかし、だ、彼女が直接見てもそれらしき人物は見つからず、また数が膨大である事から漏らしている可能性も考え、そちらにも人員を割いて一人づつ確認を行っている。にも関わらず、あの少女の情報は一切上がってこない。まるで存在していないかのように、データが一切記録されていないのだ。ここまでくると、意図的に消されているようにも思えなくもない。
「……意図的に」
何か思い上がる節でもあったのか、織枝が立ち上がり、棚に近寄るとその中から一つのファイルを抜き出す。ページをめくるその手が止まったのは、とある研究資料の場所だ。
「適応改造計画」
心身共に成長しきった成人男性でも、洸力をコントロール出来るように処置を施すというものだ。結果としては、ただの一つも成功例を残さず、実験体となった人物は全員亡くなった、と資料には記載されている。この計画は五十年以上も前のものだ。もしも、織枝が考えている事が事実であれば、あの少女では辻褄が合わない。だが、聞くところによれば、彼女は祭祀局そのものに対して害を為すと言った。本部含めた全支部が非人道的な計画に加担したり、何らかの失態を起こした、という話は聞いていない。
いや、聞かされていない。
「まさか……」
織枝は急いで端末へと向かうと、コンソールを操作し、長尾が保管していたと思われるファイルを片っ端から確認していく。すると……あった。隠しファイルの中に更に鍵のかかったファイル、それを特殊なツールで突破すると、その中には一つのドキュメントが格納されていた。
ドキュメントを開く。もしも、長尾が人一倍頭の切れる人物であれば、このドキュメントにウイルスの一つでも仕掛けていただろう。当然、織枝もそれに関しては警戒したものの、そのドキュメントは呆気なく、あっさりとその中身をさらけ出す。
「……??」
そこに記載されていたのは、たった一行の数字の羅列。それも、規則性の感じられない、七つの数字だ。
6511114。たったこれだけ。他には何も無く、隠し文字でも無いかと探してみたが、それららしきものも見つからない。もしや炙り出し、なんて事も考えたが、データをどうやって炙り出すのか、小一時間考え込む羽目になるだろう。
結局、彼女一人がどれだけうんうんと唸っていても解決はしない。ならば、ここは人に聞くのが得策、そう考えたのか、ある人物へと連絡を取る。その人物とは……
『……あ゛い゛』
「おはようございます、和沙様。折り入ってお話があるのですが」
ガチャリ
「……切られた」
そう、その人物とは、今現在彼女が全幅の信頼を置いている鴻川和沙その人だ。が、いかんせん機嫌の良い時と悪い時の波がはっきりしており、タイミングの悪い事に今は悪い時だったようで、意気揚々とかけた電話は一瞬で切られる事になった。
だが、そう簡単に引いていては御巫の名折れ、とでも言うかのように、再び和沙に電話をかける。また切られるかもしれないが、切られたらかければいい、まさにそう言わんばかりの勢いで通話を待ち続ける彼女を前に、ようやく折れたのか、和沙が通話に出る。
『……何だよ』
非常に億劫な声が、スピーカーから漏れ出てくる。間違いなく、彼は寝起きだ。そんな事お構いなしに、織枝は何を言っても拒絶しかしなさそうな和沙に向かって、見つけたドキュメントに書かれた謎の数字の羅列に関して問いかける。
ここで内部の人間である部下に聞かないのは、信用していないからではない。現代の知識、技術をもってしても分からない事である為、別の視点を持つ和沙に聞いてみた、というだけだ。更に言うなら、その身上から、彼女のお付きの者達よりも、下手をすれば肉親よりも信頼されているとも言える。そこまで彼女の身の周りにはまともな人間がいなかったのか、それとも単に信頼がおける人間がいなかったのかは分からないが、こうして何かあれば和沙へと話を持っていく程度には信頼されている、という事だ。
『……あぁ、あ~……』
「何か分かりました?」
『この街って、昔の名前は神戸だよな?』
「そうですね。西日本最大級の地方都市、と私はそう認識していますが……」
『そうか、なら簡単だ。簡単なんだが……、祭祀局のトップともなると、手紙とかって書かないのか?』
「手紙……ですか? 書く事はほとんど……というよりも、生まれてこのかた書いた事がありません。そういう時代ですので」
『それもそうか。この数字、殊の外簡単に解読できるぞ。この街の昔の郵便番号、それに当てはめてみろ』
「郵便番号?」
今の時代ではほとんど聞かないものだ。織枝は小さく首を傾げている。おそらく、手紙を書く人間でもその存在はほとんど知られていないだろう。何せ、今は郵便番号ではなくブロック毎に管理されているのだから。
『その場所に何があるのかは分からんがな。何はともあれ、そこに行けば何か分かんだろ……ふぁ』
まだ眠そうだ。時間的にはそろそろ昼になるはずだが、連日の疲れからか、布団から抜け出す事が難しいのだろう。織枝としては、和沙にはたっぷりと休息をとってもらい、改めて働いてもらう、というのが望ましいが……、残念ながら優先度が変わった。
「そうですか。でしたら、和沙様。いえ、和沙君、ただちにこの番号が示す場所へ向かい、そこに何があるか確認してきてください」
『……』
返事は無い。大方、端末を布団の外へ放り出して、自分はその中に身を隠しているのだろう。しかしながら、それすらも見越しているのか、織枝が静かに語りかける。
「逃がしませんよ。今回の件は重要案件です。申し訳ありませんが、休みは無かったものと思ってください」
『……こんな気はしてたよ。久しぶりの休みだってのに、こき使われるって予感がなぁ!!』
「休みならまたいずれ」
『絶対嘘だ!! そんな事言って、やっぱり仕事がありました、って休み潰させる気だろ!! そうはいかないかんな!!』
連日、とはいかないまでも、ここ最近織枝に酷使されっぱなしの和沙には、その場限りの気休めなど通らない。今日は梃でも動かん、とでも言いたげな彼を動かすには、もっと明確なメリットが無ければ無理だろう。
「……分かりました。来週一週間は何があっても私からは仕事を依頼しません。その間はご自由になさってください」
『……ホントにぃ?』
「えぇ、約束しましょう。なんなら、一筆書きましょうか?」
『……』
顔が見えなくとも分かる。和沙は今、目の前に織枝がいれば間違いなく彼女の事を疑念を抱いた目で見ていただろう。その雰囲気は通話越しでもきっちりと伝わってくる。
悩んでいるのだろうか、たっぷり二十秒ほど沈黙した後、ようやく和沙から返答が来る。
『はぁ……、分かった、やろう。ただし、期待すんなよ? 今日の俺はいつになく雑だぞ』
「承知しました。調査に関しては和沙様のペースで行っていただければ結構です。ですが、急ぎである事は承知頂けますようお願いします。もしかすれば、証拠隠滅されている可能性も無きにしもあらず、といったところですから」
『まためんどくさいものを発掘して……』
もぞもぞと、スピーカーから和沙が布団の中から這い出してきたであろう音が聞こえてくる。その様子が目に浮かんでくるかのように鮮明に、だ。
『それじゃ、何か分かったら連絡する。……約束の事、忘れるなよ?』
「はい。期待しておいてください」
その会話を境に、通話が切れる。特徴的な電子音がスピーカーから流れる中、織枝の口元が薄く笑みを作る。
「私からは、ですが」
なんとも意地の悪い話だ。
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