十四話 日常の裏で……

「……それで? どのような感じだ?」


 薄暗い部屋の中、男性がホログラム式のモニターに表示されたとある少年の情報が記載された書類に視線を向けながら、デスクを挟んだ反対側に立つ人物に問いかける。その人物は、一瞬答える事を躊躇ったものの、すぐにその口が開かれる。


「……ところどころおかしな点はありますが、特筆すべき事はありませんでした」

「おかしな点? 例えば?」

「……感性がおかしい、と言えばいいのでしょうか? あまり普通とは思えない味覚をしていたり、おかしな事を口走ったり……」

「シンプルに言えば、変人、と言う事かね?」

「そんな感じです。おそらくはお目付け役なのでしょうが、そうとは思えない言動がチラホラ見える感じです」

「なるほど、もしくは単なる連絡役として親族を付けた、といった感じかもしれんな。だとするなら、こちらにも付け入る隙があるというものだ」


 クックック、と喉の奥で笑うような音を立てている男性。その目は依然モニターに映った和沙の顔写真に向けられている。

 巫女隊の者達の中には、この少年にあまり良い印象を抱いていない者が存在する。当然だろう。その存在は完全に予想外なものであるうえ、下手をすれば鈴音の行動が制限される可能性がある。場合によっては、排除しようとする者も現れかねない。

 しかし、男性はあえてこのお荷物になりかねない鈴音の兄に目を付けた。

 将を射んとすればまず馬から、という言葉がある。男性の目的は鈴音を自身の派閥に引き入れる事。ならば、まずはその兄である和沙を懐柔し、自らに付ける事で鈴音が自分達に付かざるを得ない状況を作る。その為に、目の前の人物に和沙の監視と、懐柔を命じているのだが、いかんせん事を急く訳にもいかない。


「引き続き、兄の方から目を離すな。場合によっては、少々強引な手法を使う事も許す。何としてでも、奴をこちらに引き込むのだ」

「……承知しました」


 男性のその言葉を聞き、深く頭を下げた人物……少女は部屋を後にする。その表情は暗いせいか、鮮明に見る事は出来なかったが、少なくとも快いものでは無い事は確かだった。

 後に残された男性が、モニター上に映る二人の人物の書類を見比べる。片方は和沙、もう片方は鈴音。それに目をやりながら、暗がりの中で男性は密かにほくそ笑んでいた、その時。


「む……」


 地面が、揺れた。決して大きくは無いが、それでも無視出来るほど小さくは無い。この地震は少々長く続いたものの、それでも二分も経つ頃には小さくなり、やがて消えていった。


「最近多いな……」


 この地震は今に始まった事ではない。一番最初となると、去年の暮れには既に観測されていた。この一か月で五、六回程、こうして地震があり、祭祀局の中だけでなく、市民の間にも何かの前兆ではないのか、という噂が広まっている。


「……早めに計画を進めておかなければならんな」


 もしこの地震が大災害の前兆でもあった場合、その時点で事がストップしてしまいかねない。

 男性は、今一度手順の確認を行う為に、光の無い暗がりでモニターに向き直った。




「はぁ~……」


 家に帰ってすぐ、ソファーに身を沈めた和沙は、果たしてどれほど溜め込んでいたのか分からない程の深い溜息を吐いていた。


「随分とお疲れですね」

「あぁ……、疲れた……」

「睦月さんから聞きましたよ。クラスメイトと一緒に街に行ったって。何だかんだ言って、兄さんもしっかり楽しんでるじゃないですか」

「楽しむ、ねぇ……。敵かもしれない相手が目の前にいて、常にそっちに意識を割きながら普通に振る舞う事のなんと疲れる事か……。発狂しかねんわ」

「そこまで言いますか……」


 台所に立ちながら、鈴音が和沙へと向けるのは哀れみでも労わりでもなく、ただ呆れた様子の視線だけだ。


「誰が何考えてるか分からん以上、早々隙を晒す訳にはいかんだろ」

「どっちかと言うと、兄さんは隙だらけのようにも見えますが?」

「あん? どこがだよ?」

「そうですねぇ……無意識に素が出てるところでしょうか。食べ物に頓着しない、ってところも兄さんの素の性格だと思いますし。ほんと、睦月さんには感謝してもしきれません」

「んな細かいところまでいちいち気にするような神経質な奴がいるとは思えんけどな。ただでさえ性格や話し方を意識して変えてるんだ。フラストレーションが溜まって仕方ないんだから、その辺りの細かいところは大目に見てくれ」

「……やっぱり兄さんも詰めが甘いですね」

「うるせぇ。潜入調査なんざ、畑違いにも程がある。もう潜ってる連中に任せりゃいいものを……」

「信頼している人間に実際に見てきてもらいたい、という考えがあるんじゃないですか?」

「信頼? 俺からは皆無なのにか?」

「兄さん」


 少し咎めたような鈴音の声色に、和佐は小さく口の端を歪める。

 実のところ、和佐を取り巻く環境と言うのは、以前とさほど変わってはいない。時彦とは完全にお互いが納得いくまで話した訳でもないし、和佐自身、人に対してのスタンスが変わった訳でもない。

 ただまぁ、今のように否応にも事態というのは移り変わっていくもの。一先ずは自身の抱える問題は保留にしておいて、以前凪達に向かって言った、彼女達の行く末を見据える為の行動を起こしているのが現状だ。とはいえ、本人的には観客オーディエンスでいるつもりが、いつの間にか演者の一人になっている事を不満に思っているのだが。


「それで、何か収穫はあったんですか?」

「収穫? 何の?」

「聞くところによると、兄さんと一緒に行った人はクラスの人気者らしいじゃないですか。そういう人達には情報が集まりやすいのでは?」

「あ~……、まぁ……そうだな」

「……無かったんですね。何しに行ったんですか?」

「しょうがないだろ。そんな余裕も隙も無かったんだから。そもそも、あいつらが情報持ってるとは限らないしな、うん」


 どこか自分を納得させるための言い訳のようなものを口にしながら、小さく頷いている和沙。そんな兄の表情を見て、鈴音はもはや何も言うまい、といった様子だ。

 しかしながら、この兄はなかなかに理解しづらい存在だ。去年の一時期のように、一切合切に敵意を向け、他人を信じず、それどころか妹の言葉すら届かない事があったと思いきや、こうして妙に人間らしい一面も持つ。そのどちらかが和沙の本性、というわけではなく、そのどちらもがこの兄の本質なのだろう、と鈴音は考察していた。


「……まぁ、兄さんがどんな人間であろうと、食事に文句を言わないところだけは何も言う事は無いんですけどね」

「ん? 何か言ったか?」

「いいえ、別に」

「??」

「そんな事より、今日は肉じゃがにしてみました。睦月さんから、料理を覚えるなら、これだけは絶対に作っておけるように、と言われたので作ってみたんですが……どうでしょうか?」

「え? ん~……いいんじゃね?」

「食べてないですよね? 見た目だけで返事しましたよね?」

「こういうのはあれだ、食べなくても味が分かるっていうか、こんな定番料理なら、そもそも味を崩す方が難しいって言うか……」

「作り甲斐の無い人ですね、もう……。将来結婚する際には、ちゃんと味についての感想を言えるようにしておかないとダメですよ?」

「……善処しよう」


 ここで頭から拒絶しない辺り、以前とは少し変わったと言える。和沙が将来の事を少しは考える余地を見せた事に関し、鈴音は驚きを隠せなかったが、それと同時に嬉しかったのか、その表情は少し寂しそうではあるが、確かな笑みを浮かべていた。

 それを見てばつが悪くなったのか、少し食事をするスピードが速まる和沙。また、それを見てうれしそうな笑みを浮かべている鈴音。

 こうして、何でもない、穏やかな夜がゆっくりと過ぎて行った。

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