第73話 根底 中

 先に仕掛けたのは片倉だった。

 言葉よりも早く、片倉の右足が前に踏み出される。その速さは、鈴音の相手をしていた時よりも格段に速い。恐らくは、本来の速さだろう。

 和佐は見えているのかどうかは分からないが、これを後ろに退がって対応……いや、半歩足を引いたと思った瞬間、前に踏み込んだ。

 踏み込むと同時に、左から右へと木刀を薙ぐ。片倉の初段をいなし、脇を抜けると同時に、背後から横薙ぎに背中を狙うが、瞬時に切り返した片倉にこれをいなされる。


「ククク……、横や後ろに避ける輩はこれまでよく見たが、前に踏み込んでくるのはお前を含めても片手で数える程だ。ご丁寧に、退がると見せかけて、俺に勢いを付けさせやがった。その小細工は見事だぜ」

「あっそ」


 手の中で木刀を回している和佐は、絶えず片倉を観察している。余裕にも見えるが、その実頭はフルスロットルで回転しており、決して反応だけで戦っていない事が分かる。


「では、もう一度行くぞ」

「いんや、俺からだ」

「は? ……!」


 踏み込もうとした片倉よりも一瞬早く、和佐の小柄な体がその懐へと潜り込んでいた。その頭目掛けて上段から木刀を振り下ろそうとするが、腕が下がらない事に気付く。


「……獲ったぞ」


 いつの間にか、振り上げられた木刀の柄頭部分を、和佐の左手が押さえており、腕がつっかえ棒の役割を担って振り降ろせなくなっていた。和佐は既に木刀をガラ空きの胴目掛けて構えている。


「甘ぇ!!」


 しかし、武器は何も木刀だけではない。片倉の膝が、姿勢を低くし、下がっている和沙の頭目掛けて跳ね上がる。咄嗟に攻撃を中断し、右腕で防御をするものの、体格差もあってか、その防御はやすやす貫かれ、大きく後ろに吹き飛ばされた。


「……咄嗟に後ろに飛んでダメージを抑えたか。その勘といい、反応速度といい、状況判断といい、厄介な事この上ない」

「それに喧嘩吹っ掛けたのはどこの誰だよ」


 四つん這いのような体勢になりながらも、その目は片倉の次の行動を読もうとしている。いや、型の無い戦闘スタイルである以上、四足歩行状態もまた、構えの一つであると言える。


「それもそう……だ!!」


 再び片倉が距離を詰める。今度は下段から掬い上げるような太刀筋を横へと避ける。避けた先から胴目掛けて木刀を振り抜くも、悠々と防がれる。やはり片手では威力が低い。この程度であれば、容易に防がれる。

 と、思いきや、その状態で一歩踏み込むと、和佐の体が回転、そのまま片倉の顔目掛けて蹴りが放たれる。木刀を弾き、攻撃に転じようとした片倉だったが、その動きに意表を突かれたのか、反射的に左手でその足を防ごうとする。しかし、それこそ和佐の思う壺だった。

 蹴りと思われた足は、ガードの間をすり抜けると、首を掠るようにして突き抜ける。空振りか、と思われた次の瞬間、放たれたのはもう片方の足だ。完全に意識が先の蹴りに行っていた片倉の首を極めると、そのまま体の回転を利用して、投げた。


「ぬぉっ!?」


 受け身は取ったものの、和佐の予想外の動きに、片倉は一瞬迷う。が、すぐさま起き上がり、投げた影響で起き上がっている途中の和佐目掛けて上段から木刀を振り抜いた。乾いた音が鳴り響き、二本の木刀が交差する。鍔迫り合いのような形になったが、いかんせん体格差と、今の体勢のおかげで、非常に和佐に不利な状況となっている。


「クックック……、随分驚いたが、これならば逃げられねぇだろ……」

「……」


 悪役のような口調は素のものなのか。非常に自分が有利な状況とあってか、片倉の口は笑みで歪んでいる。反対に、和佐に表情はなく、ただ無感情に対峙した相手を見上げている。

 一見すれば、ほぼ勝負は決まっている。体格も、状況も、次の行動に至るまで、ほぼ和佐は負けていると言ってもいい。


 しかし、それは試合での話だ。


 純粋な戦いとなると話は変わってくる。

 おもむろに防御の為添えていた左手を木刀から離す。この行動に、一瞬勝負を諦めたのか、と思われた。が、その左手が次に向かったのは、事もあろうに片倉の持っている木刀だ。


「なっ!?」


 驚愕の表情。それもそうだろう、剣の試合において、相手の武器を、それも刃の部分を掴む者などまずいない。故に、和佐のこの行動に驚愕を隠しきれず、一瞬ではあるが、確かな隙を生んでしまう。

 そして、それを見逃す和佐ではない。一瞬、押し込む力が緩んだ隙を突き、強引に懐に潜り込むと、その勢いで片倉を背負い投げる。

 完全な不意打ちであったためか、受け身は出来たものの、即座に起き上がる事はなかった。しかしながら、明らかな好機を前にしても、和佐は動かない。相も変わらず、だらんと腕を下ろし、木刀の切っ先は床へ向けられている。


「……そいつぁズルくないか?」

「本気で言ってんのか?」


 ニヤリ、と和佐の口元が笑みで歪む。


「手段は問わない、ただそれだけだ。木刀じゃなければ、別の方法で床に転がってもらうまで。……いつまでも遊びだと思ってるんなら、その頭叩き割るぞ」


 不敵な笑みを崩さず発せられた言葉に、片倉は何を感じたのか。立ち上がり、ゆらりと構えたその様子は、まるで幽鬼の類と錯覚させるものだった。

 それに呼応するように、和佐も半歩下がる。と、その瞬間、片倉がその大柄な体格からは予想も出来ないほどの速度で踏み込んで来た。

 すぐさま木刀の軌道に合わせ、まるで嵐のような攻撃をいなしていく。先程までとはまるで違う。おそらく、先の和佐の一言で、本格的に火が付いたのだろう。もはや、その目には一切の侮りが無く、完璧に和佐の事を的と見なしていた。

 幾度かの攻撃の応酬……とは言っても、和佐は片倉の打ち込みに対応する事で精一杯なのだろう。攻撃に転じる事が敵わず、一歩、また一歩と後ろに下がって行く、

 既にこの場は剣の試合ではなくなっていた。片倉も剣の講師としての顔を捨てたのか、繰り出される攻撃は剣に限らず、拳、蹴りなど非常に荒々しいものとなっている。

 流石の和佐も、これだけの攻撃に晒されて、苦しげな表情を……浮かべていなかった。

 その瞳は真っ直ぐに片倉を見据えている。次はどこから、どのように、どういったもので、様々な可能性を順次シミュレートしながら、攻撃を凌いでいる。

 果たして、その一方的にも見える戦いはどれだけ続くのか。十分か、はたまた一時間か。しかしながら、意外な事に、片倉の一方的な攻撃はすぐに終わりを告げる事になる。

 木刀を引いた一瞬、和佐が前に踏み込み、片倉に肉薄する。懐に潜り込まれた片倉は、即座に距離を空けるために半歩下がろうとするが、その隙を突いて押し込まれ、後ろに大きく下がる事になった。


「チッ……」


 強引に攻撃を中断させられ、口の中で小さく舌打ちが響く。が、顔を上げ、対峙した相手を目にした瞬間、その苛立ちは怪訝な視線へと変わる。


「上段……?」


 和佐がとっているのは、一般的な剣術でもお馴染みの上段の構えだ。これまで、一切型や構えを見せなかった和沙にしては珍しい。これまで怒涛の攻めを見せていた片倉も、これには警戒せざるを得ないのか、なかなか動こうとしない。

 少しでも剣術を齧っている者であれば、その構えの意味は分かるだろう。汎用性はなく、攻撃という行為に極端に特化した構え。つまり、和佐の狙いは、一撃必殺。ここまで狙いが分かりやすいと、逆に馬鹿にされているのではないかと勘繰るところだが、和佐の目は鋭い。本格的に、この一撃で決めるつもりのようだ。


「若さ故の短絡さか……。それさえなけりゃあ完璧なんだがなぁ」


 一撃に賭ける、というのなら迎え撃つのが道理だろう。更に言えば、その一撃さえ凌いでしまえば、後はがら空きのところに締めの一撃を見舞うだけでいい。既に、片倉は自身の勝利を確信していた。

 果たして、その時は来る。半歩前に出た和佐。それを見て構えた片倉。その次の瞬間には、道場の床を叩き割るかとも思えるほど凄まじい音と共に、和佐が踏み込んだ。

 速い。確かに、速いが、見えないと言うほどではない。片倉の予想通り、振り降ろされた木刀の軌道は、上からの袈裟斬り。力の込められた一撃ではあったが、シンプルな剣筋であるが為、容易に見切られる。

 当初の目論見通り、振り下ろされた木刀を体を横にずらす事で避け、和佐の必殺の一撃は空振りに終わる。その後、がら空きになった側面に叩きこんで、終わり。全ては片倉の目論見通りに終わった。。

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