二十話 浄位

 その目を見た時、鈴音は一瞬、恐怖でも敬意でも無く、既視感のようなものを覚えた。それが何であるかは分からなかったが、とにかく、今は目の前の女性が向けてきた視線に対し、深く頭を下げる。


「……その二人が、例の?」


 この場所のせいだろうか? 妙に透き通った声が鈴音の耳に飛び込んでくる。その声を聞くと、まるで鼓膜を突き刺す鋭利なナイフのようにも感じられた。


「はい。二人共、前へ」


 睦月の声に従い、鈴音が前へ出る……が、何故か和沙が付いてこない。


「……兄さん?」


 振り向くと、和沙はジッと目の前の女性を見上げている。

 無表情ではあったが、どの瞳の奥には、言い知れ様の無い感情が渦巻いている。憎悪、怨恨、驚愕、怒り、そして……悲しみ。

 彼の目には、一体あの女性がどのように映っているのか、それは本人にしか分からない。


「……和沙君」


 睦月がその名を呼び、ようやく和沙が前へと出る。そんな和沙の様子に、女性は小首を傾げていたが、律儀に二人の準備が整うまで待っていたところにどこか余裕を感じる。


「初めまして、鴻川鈴音と言います」

「同じく、鴻川和沙」


 二人揃って頭を下げる。教えられたわけではないが、それでもこの場の雰囲気が知らず知らずの内にそうさせる。


「やはり、貴女達が例の……。初めまして、私は御巫みかなぎ織枝おりえ。この祭祀局の浄位を務めさせていただいています」


 浄位。その名は今までに何度か耳にした事があっただろう。祭祀局の象徴にして、最高権力者。そして、二百年前、現佐曇に襲来した温羅を退け、この国を救ったと言われるミカナギ様の子孫にして後継者。

 ……しかしながら、鈴音は知っている。目の前のこの女性が、本当の御巫の血を引いている人物ではないという事を。


「ご多忙のところ申し訳ありません。現在、本局巫女隊では、この鴻川さんを預かっております。また、念のためという事もあり、お兄さんにも付いてきていただきました」

「いえ、ありがとうございます、睦月さん。……鈴音さん、と言いましたね? 貴女、巫女になってどのくらい経ちますか?」

「……四か月程です。大型の襲撃で、欠員が出た為その穴埋めとして本体に合流しました」

「なるほど、四か月……。経験も浅く、技術も完全に成熟しているとは言えない。ですが、聞いたところによると、かなりやり手、とのこと。私はそこまで強い方ではありませんでしたから、貴女のような強い方に来ていただけると嬉しい限りです」

「そ、それほどでもありません……」


 想定外の称賛に、ついつい鈴音の態度が軟化する。次に、織枝は和沙へと視線を向けた。


「貴方は……」

「姉さま」


 織枝の言葉を遮るかのように、控えていた巫女の一人が声を上げる。一斉にそちらへと視線が集中するものの、発言した本人は気にした様子も無い。が、彼女はただ和沙へと真っ直ぐに目を向け、非常に鋭い目つきで睨んでいる。


「男と話す必要はありません。姉さまが穢れてしまいます」

琴葉ことは、そう声を荒げるものではありませんよ」

「いえ、そもそも、この神聖な場に、どこの馬の骨とも分からぬ男を入れる事すらおかしな話なんです。この男には、即刻退去してもらうよう具申致します」

「はぁ……。琴葉、今日はただの顔合わせです。別に何かしようと思っているわけではありません。貴女の男性嫌いも理解出来ない事は無いですが、それでも時と場合を考えなさい」

「ぐ……、しかし……」

「しかしではありません! ……申し訳ありません、二人共。このような見苦しいところをお見せして」

「い、いえ……」


 狼狽する鈴音には目もくれず、ただ琴葉と呼ばれた少女は未だに和沙を睨みつけている。……少し涙目になっているが。


「そうですね、鈴音さんはいずれ正式な場で対面するでしょうが、一応。この子は御巫みかなぎ琴葉ことは。名前で分かる通り、私の妹です」

「妹さん……ですか……」


 なんというか、姉は独特な雰囲気こそあれど、一見穏やかに見えるので、妹は随分と気が荒く感じてしまう。


「えぇ、そうです。鈴音さん、先日の活躍は聞いています。第八小隊と共に迎撃に出たとか。……守護隊と本隊の領分ははっきりとしています。あまり、私達にとっての活躍の場を奪わないように。……まぁ、手助けしていただいたのは感謝しますけど」


 最後の方は少しバツの悪そうな表情で、小さく呟いた為か、鈴音にはよく聞こえておらず、首を傾げている。そんな彼女に、何でも無いです、とだけそっぽを向いた。

 姉の物腰柔らかな話し方と違い、この琴葉という少女は、随分と気丈に振る舞っている。生来の性格なのか、それとも立場がそうさせるのかは分からないが、少々背伸びが過ぎている気がしないでもない。


「ですが、それとこれとは話が別。例え、鈴音さんの兄であったとしても、男である事には変わりはありません。この場に……いえ、祭祀局、姉さまのお膝元にすらいるべきではないと、私は思っています」

「……」

「……はぁ」


 頭痛でも抑えるかのように、織枝が頭に手を当てている。しかしまぁ、気持ちは分からないでもない。おそらく側近の一人としてだろう、傍に置いていた人物が、初対面の人間に真正面から喧嘩を売っているのだ。溜息の一つでも吐きたくなるというもの。


「……ごめんなさい、和佐君。この子、少しばかり潔癖なところがあって……」

「はぁ……?」

「琴葉、もう下がりなさい」

「ですが、姉さま……!」

「琴葉! 当初予定していたスケジュールがずれかかっているのです。それに、彼女達はあくまで客人です。本局が……私が招いた客に粗相をすると言うのであれば、それなりに処罰も考えなければなりません」

「ぐ……、承知しました……」


 最後に一度、これまで以上にキツイ目で和沙を一睨みすると、すごすごと元いた場所へと戻っていく。


「……想定外に時間を取りましたね。先ほども言いましたが、こちらもスケジュールが押していますので、雑談もほどほどにしておきましょう。貴女達二人の事ですが、今後は私の保護の元、貴女達の学生としての生活を保障します。また、巫女としての活動に関しても、こちらの監督下にある以上は、例外なく保証します」


 つまり、余計な事はせずに、大人しく従っていればいい、ということだ。心なしか、周りの巫女達の視線も、織枝のその言葉に連動してか、少し鋭くなっている気がする。

 先ほどの客人という言葉通り、鈴音と和沙はこの場ではよそ者に過ぎない。信用されていない、と言われればシンプルだろう。自分達から呼んでおいて、その扱いはどうなんだと思うかもしれない。しかしながら、本局の目論見としては、あの天至型を打倒した巫女を手元に置いておく事が目的であり、この地で活躍させる事ではない。

 あわよくば取り込むことが出来れば、なんて考えてもいるだろうが、そう簡単にいくような人材を、あの鴻川が送るはずがないと思っているのだろう。


「……話は以上です。貴女がこの街で、この本局で、自身の成長に繋がる何かが見つかる事を祈っています」


 そう告げると、織枝は深く頭を下げた……。

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