二話 長尾の策、そして……

 正直なところ、巫女隊の彼女達には余裕がなかった。


 それは壁の構築が手間取っている事もそうだが、彼女達が必死になって戦い、守ったにも関わらず、帰ってきた少女達を迎えるのは労いや賞賛ではなく、苛立ちを隠そうともしない上司の姿だったからだ。

 その中でも長尾は特に酷かった。

 巫女隊や守護隊を直接指揮している立場では無い為か、彼女達を真正面から叱咤する事は無くとも、彼女達の目の前でこれ見よがしに自分たちにしわ寄せが来ているアピールを諫められようとも止めず、そこかしこで見られたからだ。

 当然、長尾をよく思っていない紅葉や睦月は彼の姿を見かける度に厳しい視線で牽制するも、効いた様子は見られない。いや、単に気づいていないだけだろう。

 だが、そんな彼女達の中にも、直接長尾に関わる人間というのは存在する。……紫音だ。

 彼女は貧しい家を援助する代わりに、長尾へと情報を流していた。それは巫女隊の情報であったり、彼女達が直接会い、そして指示を受ける織枝の話だったりとその内容は多岐に渡る。普段であれば、どれだけ長尾の機嫌が悪かろうと、報告さえ済ませばそれで終わり、というのが恒例であったが、この日はそうもいかなかった。


「まったく、腹立たしい!!」


 バルコニーで宙に向かって悪態を吐く長尾。その後ろでは、居心地が悪そうに身を縮こまらせている紫音がいた。今も普段と同じく役目を終えて、何があったか、そこでどんな情報を手にしたかを報告しに来た彼女ではあったが、どうやらここ最近長尾の下に来ていなかったのが災いしたらしい。加えて、事務的な作業が山積みで、普段なら仕事をほっぽり出して遊び惚けている長尾も、その仕事の忙しさからサボる余裕も理由も無く、ただひたすら忙殺され、こうしてストレスが溜まっている、といったところだろう。とはいえ、あまり有能とは言い難いこの人物が、人並み以上に働けているのか、と聞かれると返答に困るだが……。


「い、以上です……」


 どこかおっかなびっくりな様子の紫音。ギャルっぽさが目立つ彼女ではあるが、それはあくまで彼女を不真面目と思わせ、スパイ活動をしやすくする為のカモフラージュだ。その中身は普通の少女と何ら変わりは無い。

 そんな彼女の目の前で、大の大人が不機嫌さを隠そうともせず、その矛先がいつ自分に来るか分からない状況であれば、いくら長尾に慣れている紫音とはいえ、こうなるのも仕方がない。加えて、彼女は長尾に家を人質に取られているも同然だ。あまり強く出られないのも原因の一つだろう。


「それだけか?」

「え?」

「それだけか、と言ったんだバカ者が!!」

「は、はい、これだけ……です」

「この役立たずが!!」

「……っ!!」


 手に持っていた飲料、おそらくは缶に入った酒だろうか。それを紫音めがけて投げつけると、赤くなった顔と、そこに張り付いた狂相が露わになる。とても民間人の生活を守る組織に所属しているとは思えないような人相だ。そんな男に睨まれ、髪から投げかけられた飲料を滴らせている紫音が俯く。口に出来る事など何も無い。それどころか、口を開く事さえ許してくれないだろう。

 普段は言葉を弄する紫音も、こうなれば為されるがままだ。口は堅く紐閉じ、反論などは一切言葉として現れない。自身の立場がそうさせているというのに、長尾はそれが服従の証だと勘違いし、罵詈雑言は更にヒートアップする。


「貴様なんぞ、やはり手元に置いておくべきではなかった。鴻川兄を篭絡する事も出来ず、妹にも好き勝手させている有様。こんな事ならば、少々強引な手段を使ってでもこちらに引き込むべきだった」


 長尾の言う強引、とは紫音がとっていたようなものとは比べ物にならない程人道に反するものだ。恐喝、強請、冤罪、彼の有している権力を使えば、いくらでもやりようはあっただろう。それが成功するかどうかは、その方法次第ではあったが。


「……ですが、あの二人は、この本部にこれといって借りも恩義もありません。そんな中、協力を取り付けただけでも……」

「その協力は一体誰に向けたものだ! 少なくとも私ではないんだぞ!!」


 むしろ両人からの長尾への印象はかなり悪い。最悪と言ってもいいレベルだ。


「仕方がない。こうなったら、今回の一連の騒動の原因をあの兄妹に押し付け、それを交換条件にこちらに引き込むか……」

「冗談……ですよね?」

「私は冗談が嫌いだ。さっきも言っただろう? もはや手段は選ばないと」

「だからってそんな……。鈴音さんは我々の一員として頑張ってくれています! 和沙君だって……」

「あの少年が、普段何をしているのか貴様は知っているのか?」

「それは……、学校にいる時の事くらいしか……」

「そうだろう? 部下からも似たような報告が上がってきている。なら、これ以上に都合の良い事は無い」


 和沙は人づきあいが多いほうではない。故に、例えアリバイがあったとしても、それを持つ人間を買収してしまえば済むことだ。そして、長尾にはそれが出来る。立場的にも、金銭的にも。


「付き添いに来る程だ、妹に被害が行くのは嫌うだろう。なら、こちらの話を飲むしかない。そうなれば、兄を出汁にして妹を引き込むだけ。素晴らしい! 完璧な計画ではないか!!」

「……」


 凶行の計画が目の前で立てられているという事実に、紫音はただ茫然とするしかない。彼女に出来る事は、この場で聞いた事を和沙に伝え、事前に自己防衛をしてもらうくらいだが、この街での伝手などがほとんど無い彼にとって、頼れる人物などいるはずも無い。加えて、巫女隊との関係もあまりいいとは言えず、邪魔をされたあげく、最終的には利用された形になる紅葉達が和沙に快く協力するとは思えない。

 あの戦闘力を目の当たりにした後ならば、いざとなればどうにでもなるのではないか、と思いもしたが、暴力は時として振るう本人の足を引っ張る事がある。今回ばかりは腕っぷしだけでは解決出来ない。


「……それで、鈴音さんを引き込んだ後、和沙君はどうするんですか?」


 そう、長尾の目的はあくまで鈴音を自身の勢力に引き込む事だ。和沙の価値などそれっぽちのものだと思っているこの男が、目的を果たした後、和沙をどうするのか、それが気になって仕方がないらしい。


「ん? 何を言うかと思えば、そんな事か。簡単だ、処分してしまえばいい。奴に妹以上の価値は無い。適当に壁の一つでも壊しておいて、その責任を押し付ければこの状況だ。市民による私刑か、祭祀局への疑念を逸らすためのスケープゴートとして処理されるだろう」

「そんな、事を……」


 絶句している紫音の様子を見て、何をトチ狂ったのか、自身の計画が完璧なものだと勘違いした長尾は、バルコニーの手すりに手をかけ、夜の空を見上げながらにやりと笑う。


「そして、私はそんな人間を摘発した人物として、英雄として、この日本全土に存在する祭祀局全てを統括してみせようぞ」


 下卑た笑いを漏らす長尾の背中を見つめ、紫音の顔が徐々に無表情になっていく。この男は、いずれ祭祀局の信頼を地に落としかねない事をしようとしている。

 今なら、誰も見ていない。運が良ければ、事故として処理される。だが、現代の鑑識は有能だ。ここに紫音がいた事も、彼女の行動だという事もすぐに明かされてしまうだろう。

 ……だが、ここで彼女がやらなければ誰がやるのか。元より後には下がれない身。ならば、実家の家族に迷惑はかけるだろうが、ここで残った巫女としての役目を果たすのも一興ではないか。

 そう考えて、紫音が音も無く前へ、無謀にも背中を見せて紫音の様子に一切気付いていない長尾へと、一歩を踏み出した。その時……


「あぁ、そう。じゃあ、死ね」


 一瞬の事だった。


 紫音は目の前で起きた事が一瞬理解できず、呆然としたまま、落下する直前に自身へと向けられた長尾の目を見つめていた。

 抵抗など、出来ようはずも無い。何せ、手すりの向こう側から伸びてきた手が、長尾の襟元を掴み、宙へと引きずり出したのだ。お世辞にも運動神経がいいとは言えない長尾が、反射的に手すりを掴むなどといった事も出来ず、ただ無防備に落下していく様子を、紫音は見ている事しか出来なかった。

 どれだけの時間そうしていただろうか?

 彼女にとっては長い時間だったろうが、実際は十秒経っているか否かといった程度の時間だ。

 どす、という鈍い音が響き渡り、その音でようやく我に返った紫音は急いで手すりのすぐそばまで行き、下を見下ろすと……

 蒼い目をした何かが、逆さまにぶら下がり、紫音に気づくとにやり、と小さく笑った。


「ッ!?」


 その目を見た瞬間、背中に悪寒が走った紫音は、すぐさま手すりから離れる。が、何も起こらない事を確認すると、また元のように手すりから身を乗り出し、下をのぞき込む。そこにはもう何もおらず、ただ地上で先ほどまで自分の目の前で下卑た笑みを浮かべていた男が、血溜まりに沈んでいた……。

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