三章 黄昏に染まる首都

一話 先送りにする問題

 巨大な樹木がここ、御前市に現れてから一週間が経った。


 樹が聳え立っているからなんだ、とこの街の現状を知らない者が見ればそう言うだろう。確かに、樹自体はその姿を地上に見せてから、これといった大きな動きは見せていない。地下に潜んでいた時はあれだけ頻繁に地震という形で動きを見せていたにも関わらず、だ。まるで、本当にただの樹にでもなり果てたかのように、かの地で直立するだけに留まっている。

 その様子を見てか、祭祀局の一部の人間はこれを街のシンボルにしよう、観光名所にしようなどとトチ狂った事を言い出すが、その直後に起きた出来事により、その妄言は忘れ去られる事となる。


 温羅の大発生。それが、樹を中心として多方面に向け、起こり始めた。


 これまでの比ではなく、それこそ一個の災害と捉えてもおかしくはないレベルの数が街のいたる所へと流出しだしたのだ。当然、この街を守る役目を負っている祭祀局本部、巫女隊と守護隊の面々はそれぞれ各地に向かい、この大発生の対処に追われる事となった。

 出現する温羅のタイプは小型を中心とし、それを統率するように中型がチラホラと見られる程度であり、一度の対処自体は守護隊であれば十分にこなせるレベルではあったが、いかんせん数が多すぎた。

 一度の襲撃の数は対処出来るレベルに収まってはいるが、問題はそれが波状攻撃のように次から次へとやってくる事にあった。一度対処しきったからと言って、それで終わりではなく、延々と次が来る感覚だ。当然、巫女隊も守護隊も所属しているのは未成年の少女ばかり。いくらその身に御装や贋装を纏い、身体能力が底上げされているとはいえ、それにも限界がある。

 次から次へとやってくる温羅の対処に追われ、疲弊した彼女達を見かねた瑞枝は、温羅を倒すのではなく、閉じ込める方法で一時を稼ぐ方向に舵を切った。つまるところ、自衛軍の力をフルに活用し、例の壁を何枚も横並びにして、樹から流れ出てくる温羅の群れを止めようというものだ。

 当然、自衛軍の司令官はそれに対し懸念点をいくつも上げた。温羅の攻撃を受けきれるとは限らない、並べている間の防備はどうするのか、何よりそれだけの数をどこから調達するのか、など。

 それに対し、瑞枝の返答は無茶苦茶だ、と思わず呟かざるを得ないものであったが、何も対策を打たずに巫女や守護隊を疲弊させ、いずれどこかで発生する綻びを黙って見ているか、それとも首都の防衛に尽力するか選べ、と半ば強制的に協力させられる。

 効果がある、とは一概には言えないだろう。何せ、いくら固い壁とはいえ、所詮は一枚の大きな板に過ぎない。壁として機能させる為の土台も必要であり、それをどこから調達するのか、なども大きな問題であった。

 しかしながら、それらは全て別の地区に駐屯する自衛軍によってなんとか解決の兆しが見える程度には改善する。物資の援助を受けた自衛軍が壁を構築する間、彼らに被害がいかないよう、より一層激しくなった攻撃を巫女隊メンバーを交えた状態の守護隊がなんとか耐える。

 そんないつ終わるとも知れない攻撃を耐え続ける彼女達だったが、いくつかのイレギュラーによって、なんとか持ちこたえていた。


 そのイレギュラーというのが……


『次、第三地区です』

「あぁ、クソ! 兄使いの荒い妹め!!」

『頑張ってください。敵はまだまだ来ますよ』

「んなもん見りゃ分かるんだよ!!」


――そう、彼女達にとってのイレギュラー、それは和沙の存在だった。




「……」

「お疲れ様です、兄さん」

「……」


 疲れ果てた表情の和沙が、これまた恨めしそうな表情で鈴音を睨んでいる。いや、もはや睨む元気すら無いのか、半目になりながら、なんとか見上げるのが精いっぱいのようだ。

 そんな二人が今いるのは、祭祀局本部のとある一室。とは言っても、応接室や会議室のような誰もが使用出来る空間ではない。窓は無く、扉も出入り口兼用のものが一つだけ。防音性は高く、電波の遮断も完璧に行われている場所だ。何故そんな部屋が本部にあるのか、というのは誰もが思う事だが、今はこの場にいる二人を通す上ではこれ以上無い場所だと言える。

 というのも、鈴音はともかくとして、和沙が巫女である、という事実は、今のところ実際に対峙した人物達以外、ほとんどの人に知られていない。もし知られる事があれば、彼を研究対象として見る者や、彼を何らかの利益の為に利用しようとする者が出るのは確実だ。それを防ぐという意味でも、こうした機密性の高い場所が会合場所として選ばれていた。この辺りはこの祭祀局本部のトップの意向でもあるのだろうが。

 しばらくまともに動けない兄をいじっていた鈴音だったが、短いノックが扉から部屋の中へと響き渡ると同時に兄に出していた手を止める。中に入ってきたのは、二人をこの場に通した張本人だった。


「お待たせして申し訳ありません……随分お疲れのようで」

「……馬車馬のように働かされたらこうもなる。いや、いっその事、何も考えずにいれる馬の方がマシかもしれん」

「馬は馬で繊細な生き物です。乗り手の意図を汲み取る事だけではなく、常にその先を考えて生きています。むしろいちいち指示されなければ動かない分、兄さんの方が……」

「身体的だけでは飽き足らず、精神にもトドメを刺すとか、本格的に鬼かお前」

「こんな可愛くかいがいしい妹に対し鬼、なんて……。兄さんはもう少し私に優しくするべきです。朝は自分で起きるとか、自分の部屋は自分で掃除するとか、他にも……」

「……」


 見ざる言わざる聞かざる。目を閉じ、口を固く結び、耳を抑える。そんな家での様子を赤裸々に公開されている和沙の姿を見て、織枝が小さく笑う。


「そこ、笑うな」

「……いえ、すみません。まさかあなたが、家ではそんな風だなんて思いもしなかったので」

「人間誰だって気の抜きたい時くらいあるだろうに」

「四六時中抜いている人が何を言ってるんですか?」

「やめろ。頼むからやめろ。話が進まない」

「失礼……。それで、織枝様、今どういう状況でしょうか?」


 織枝は小さく頷くと、和沙が突っ伏している円形のテーブル、円卓の上座へと向かい、そこでコンソールのような物に手を触れる。すると、円卓の中心にホログラムが現れた。


「計画は順調……ではありますが、やはり局所での激しい戦闘がところどころ壁の構築を妨げているのは否めません。その度に守護隊や巫女達には負担をかけていますが……、それもあと少し、といったところでしょうか」

「とはいえ、この計画が上手くいったところで、結局は問題を先送りにする為の延命にしかならない、というのが事実だと思うのですが」

「そうですね。実際問題、その先の事に関しては今のところほとんど手が無い状態です。鈴音さんの言う通り、問題の先送りにする為の計画、と言われても否定は出来ません。ですが、何とか出来るかもしれない方が、一人だけいますよね?」

「……」


 織枝と鈴音の視線が今もまだ円卓に突っ伏している和沙へと向けられる。同時に、和沙は心底嫌そうに顔を顰め、二人の顔を交互に見ている。


「……俺に何しろって言うのよ」

「逆に聞きますけど、何が出来ます? あの樹に有効な手段、という話にはなりますが」

「中に潜り込んで炉心をぶっ叩くしか無いんじゃない?」

「それが出来ればこうやって兄さんに聞いてませんよ」

「その言い方はそれはそれでどうなんだ……。とは言っても、俺自身明確な答えなんて持ってねぇよ」

「ですが、佐曇市に現れた天至型を討伐した、と。あれに関しては事実の筈です。実際、向こうの人間に確認をとらせましたので、誤魔化しても無駄ですよ」

「誤魔化してるわけじゃないんだけどなぁ……」


 ばつの悪そうに頭を掻きむしる和沙。織枝が佐曇に間諜を送っていたのは初耳なうえ、詳しく聞くべきか一瞬迷う和沙ではあったが、今問題なのはそこではない。

 確かに、半年程前に佐曇市での戦いの際、和沙は天至型である黒鯨を討った。しかしながら、それは長きに渡る因縁からあちらの情報を手にしていた上に、イチかバチかの作戦が成功したが故の結果である。決して、約束された成功ではなかった。少しでも選択肢を間違えれば、今こうしてここで座っている事すら出来なかっただろう。事実、彼の左腕は炭化し、今は義手を付けている状態だ。決して楽な戦いではなかった証でもある。


「兄さんの力でどうにかなりません? 神立で、こう……バリバリっと……」

「……んな事が出来たら、黒鯨であんなに苦労しなかっただろうなぁ」

「ですが、よくあるじゃないですか。落雷が木に落ちて燃えたり、そのまま真っ二つになったり」

「そもそもの性質が違う。御巫の家に伝わる神立は単純な運動エネルギーじゃないんだよ。言わば特定の概念を内包した神的な力、って感じか。俺がよく使う蒼脈も、雷のエネルギーの性質と、内包する通すという概念が合わさって初めて効果を発揮するもんだ。当てればどうにかなるってもんじゃない」

「でしたら、以前大型を倒した時と同じようにすれば……」

「大型なら全体に電気信号を送って、返ってきた場所から炉心の場所を逆算するのに二、三秒あれば可能だが、天至型となるとそうはいかない。そもそも大型以下のように、炉心がとは限らないんだ。返ってきた電気信号に場所が記されていない場合もある」

「……意外と使い勝手は良くないんですね」

「いいわけあるか。人の身に余る力だぞ。も宿しているのが奇跡と言っていいくらいだ」

「となると、手段は今のところ何も無い、という事になりますね……」


 織枝もまた、有効な計画や作戦を考え付いてはいないようだ。無理もない。生まれて初めて見た天至型だ。何が有効で、何が無効なのか検討もつかないのが普通なのだ。ましてや、彼女はこの祭祀局本部を預かる身。その言葉一つで、巫女や守護隊の少女達の命を簡単に散らす事も可能となっている。もちろん、彼女の性格を鑑みれば、そんな事をするような人物ではない事は確実だが。

 三人揃って頭を抱えている中、ふと扉の方から声が聞こえてくる。


「失礼します。長尾本部長が織枝様に用があるとの事ですが……」

「少し待っていて下さい。すぐに向かいます」

「承知致しました」


 扉の向こうから気配が消える。それを確認した織枝は、深く息を吐く。……いや、これは溜息だ。長尾と会うのが憂鬱、とでも言うのだろうか。


「また巫女達に責任転嫁するような言い訳が延々と出るのでしょうね……」

「あのおっさんも暇じゃないだろうに……。いや、人に仕事押し付けてるから暇なのか? まぁ、どっちでもいいか。そういや、例の件の裏は取れたか?」

「なんとも、と言ったところでしょうか。本人が発覚を恐れて即座に回収したのか、それとも取り巻きが動いたのかは分かりませんが、物そのものは確保出来ませんでした。が、どうやらアナログな人間だったようで、きっちりと書面として残っていた物を回収済みです。これだけでは証拠としての確実性はありませんが、理由としては十分かと」

「……そうか」


 完全に蚊帳の外となっていた鈴音が首を傾げる。そんな彼女に対し、織枝はこちらの話ですよ、と言って何の話なのかを口にする事は無かった。

 だが、彼女の視界の端に移った和沙の目は、これまで鈴音が見たどんな表情よりも冷たく、怜悧なものであった。

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