四十六話 解放

 空を見ると、ようやく虹色の幕が樹に辿り着いた頃だった。しかし、目の前の智里はそんな樹に迫る脅威などいざ知らず、ただ眼前の敵目掛けて攻撃をし続けている。単にあの結界では樹を伐採するのは無理だと思い込んでいるのか、それとも既にそこまで考えられなくなっているか、だ。


「このっ……!!」


 足元から突き出てくる根をかわしながら、睦月が付かず離れずの距離を保ち続けている。その隣では、鈴音のまた近寄ったり、離れたりを繰り返しているが、彼女の速度では近づく事は出来ても、離脱するのにワンテンポ遅れる。そこを睦月に上手くカバーしてもらいながら、智里が放つ攻撃の四割を担当しているが、その密度は尋常ではなく、消耗も激しい。当然、一瞬でも気を抜けば自身らの身体を鋭利な根が貫く事になるだろうが、本当に危険になれば紅葉が間に入ってくれる事で辛うじて耐える事に成功していた。防御に特化しているわけでは無いが、それでも物量に対抗できる手段を持つ彼女の存在は心強い。

 とはいえ、この三人合わせてようやく六割に届こうかという程度のものだ。彼女達だけでは、これ以上耐える事は難しい。ならば、残りを誰が請け負っているのか? 考えるまでも無い。先ほどから縦横無尽に三百六十度空間を利用した移動方法でひっかきまわしている和沙だ。時折智里の前に立ち、刀を構えるも彼女を守る木に阻まれて離脱する、を繰り返していた。

 ……実際は、木に阻まれてでは無く、あまりにも眼前にいる和沙への反応が遅い為、万が一を考えて斬らずにそのまま離脱している、というものだ。


「……」


 今もまた、近寄ろうとしたが思い直したようで攻撃を自身の方へと向ける事に専念している。

 攻撃を通す事自体は難しくは無い。それどころか、織枝からの指示を完全に無視しても構わないのであれば、既に勝負は決しているだろう。智里を斬るチャンスはこれまで何度もあった。にも関わらず、未だに彼女の首が繋がっているのは、その先の事を考えているからだろう。温羅を殺し続けるのは容易だ。しかし、彼女という個人を残すのであれば、一度であろうと首と身体を離すわけにはいかない、と。


「兄さん!!」


 次にどう誘い出すか考えていた矢先、横から聞こえてきた鈴音の声に反応してその場から飛びのく。すると、次の瞬間、和沙がいた場所に一筋の水流が放たれる。まさかと思い、後ろを振り返ると二頭の龍が未だに絡まりながらも、強引に体を封じていた水晶を破壊し、口を和沙へと向けている。どうやら小難しい事を考えるのは無理でも、一番の脅威が何か、を判断する事は可能なようだ。

 であるならば、と和沙が標的を変える。何度も動きを封じられながらも、未だに抵抗の意思があるのは大したものだ、と今の彼ならば言いそうな言葉だが、そんな言葉が口から出る前に目の前の龍達が予想外の行動をとった事に驚く。

 高圧水流を吐き出す龍はそのままだ。だが、もう一頭がその高圧水流に向かって粉塵を吹きかけている。いや、混ぜていると言った方が正しいか。それを見た瞬間、この二頭が何をしようとしているのかを理解する。理解したと同時に、思いっきり叫んだ。


「逃げろ!!」


 その叫びとほぼ同時に、一頭が吐き出していた高圧水流が爆発する。否、爆発を伴った、高い切断力のブレスだ。それを横に薙ぎ、まるで和沙達を真ん中から両断でもしようとするかのように振りぬく。

 先ほどのものとは違う。当たらなければ問題無い、というものではない。近くにいるだけで爆発の衝撃が身体を叩きつけ、体勢を崩したところに水流が襲い掛かる。どういう原理でこんな攻撃が可能なのかは分からないが、一般的な粉塵爆発とは異なり、これはそもそも粉塵そのものが爆発物なのだ。水の中では消える火とは異なり、例え水に混ぜられたとしてもお構いなしに爆発する。

 自分はともかく、あの三人は無理だ。そう瞬時に判断した和沙は、運良く固まっていた三人の下に一瞬で踏み込み、その勢いを殺すよりも前にそれぞれを掴んでこの場を離脱する。


「チッ……」


 小さく舌打ちをする。想像以上に被害範囲が広い。余裕をもって距離をとったつもりが、少し衝撃に煽られ体勢を崩す。が、吹き飛ばされる程ではない。


「和沙君助かったわ、ありがとう」

「本当に、助かったって言えるかどうか……」

「どういう事?」


 状況的には未だ樹の切断を待つ形だ。その間、時間を稼ぐという意味ではこうして逃げ回るのも一つの手だが、今の龍の攻撃を見れば分かる通り、その見た目以上の攻撃範囲を持っている。当たらないように回避行動をとるのは当然の事だが、避ける方向を間違えれば被害は自分達だけでは収まらない。ただでさえ技術班には神経をすり減らさせているのだ、あまりあちらに影響するような事はしたくないのが本音だ。


「とはいえ、そろそろ樹に到達する。後は我々が樹に行くであろう彼女の注意を引いていればいい」


 難しいようで単純かつ簡単なものだ。ただ、二頭の龍の攻撃には注意しなければいけない。まかり間違って、後方陣地にまで攻撃が届けば、樹の伐採どころではなくなる。


「とりあえず、後ろには気を付ける事、だな」

「なんだか闇討ちを警戒している人みたいな言い方ですね」

「似たようなもんだろ」


 そう、似たようなものだ。目の前の敵にばかり意識がいき、背後から撃ち抜かれては元も子も無い。


「真砂に言っとけ、何かあってもそうそう手は出すな、って」

「さっきのを見て手を出そうなんて言う人の気がしれませんけどね……」

「言えてる」


 軽く一言だけ言うと、和沙が再び智里の前へと躍り出る。先ほどは完全に後ろを突かれていたが故にもう少しのところで攻撃を受けそうになったが、こうして正面に構えればそう簡単にはいかない。加えて、今度は他の三人がいない状態だ。これ以上無い絶好のロケーションと言える。


「さて、第二ラウンドといこうか」




 威勢よく言ったものの、和沙の言う第二ラウンドはそう長くは続かなかった。

 状況としては先ほどとさほど変わらないが、彼らの頭上に漂い続ける虹色の幕が、ようやく樹へと辿りつく。とはいえ、触れて即立ち切るというものではなく、まるで鍔迫り合いでもするかのように拮抗する形となっている。

 その様子を見ていると、切り落とすには流石に時間がかかる、そう思われたが、意外にも展開は早く進む。


「あっ……」


 睦月達の見ている前で、幕が樹の中へと埋まっていく。そのまま少しづつ、少しづつ先へと進み、明らかに樹が切られていっている事が分かる。

 これまで完全に空に漂う虹色の幕に気が行っていなかった智里も、ようやくここで樹の窮地に気が付いたのか、幕へと狙いを定める。が、それを待っていたかのように和沙が飛び掛かり、智里の意識が上を向いた瞬間に全神経を集中させ、彼女の眼前に姿を現し、そのままその場で釘付けにしている。


「ようやく上を向いてくれたな!!」


 和沙としては、このまま睨めっこを続けていても良かったのだが、やはりどこかで完全に智里の動きを止める必要があった為、この時まで虎視眈々と機会を窺っていたのだ。そして、智里が上を向いたこの瞬間、彼女と龍の意識がそちらに向かうのを瞬時に判断し、即座に接近した、という事だ。


「……」


 無表情な目で和沙を見ているが、さしもの彼女とて龍の攻撃の延長線上に自身がいると攻撃がしづらいようだ。その目は無機質な温羅のものそのものであり、睨みつけられただけで心の芯から冷えていくような感覚に陥るだろう。しかし、和沙はそんな彼女の目を真っ向から睨みつけている。まるで、自身の存在に釘付けにでもするかのように……。

 そんな風に智里の手を食い止めていると、樹がだんだんと揺れていくのが感じられた。切られているからではない。明らかに動いているのだ。ここまで激しく動く樹など世界にどれだけあろうものか。

 その動きは、まるで幕から逃げようとしているようにも見える。やがて、その様子が智里にも伝わったのだろう。もはや和沙など眼中に無いかのように振る舞い、樹の下へと駆け寄ろうとするが、やはり和沙に制止させられる。


「おっと、行かせはしない」

「……」


 未だ無言且つ無表情ではあるが、どこか苛立っているようにも見えなくは無い。

 こうしている内にも、だんだんと幕が樹の中へとめり込んでいっている。流石に自身だけでは無理だと判断したのか、二頭の龍が勢いよく飛びあがり、幕に襲い掛かる。冷静に考えてみれば、先ほど放った爆発を伴った水流ブレスを吐けば簡単に霧散させる事も出来ただろう。だが、それをせずに直接攻撃を行った、という事実が彼女が焦っているという事を如実に教えてくれる。

 だが、そんな二頭の龍を阻むかのようにほぼ同時に飛びあがったのが睦月と鈴音だ。紅葉程のパワーは無い為、直接龍を止める事は出来ないが、それでも顔の周りを飛び回って妨害する程度の事は出来る。二人のお陰か、視界を塞がれた龍が暴れまわり、とてもでは無いが攻撃など出来ようはずも無い。とはいえ、その衝撃はすさまじく、二人はすぐに引きはがされる事になるが、露わとなった目に打ち込まれたのは一発の弾丸だ。そうそう手は出さないで欲しい、と言われていたが、今はそんな事を言っている場合ではないと判断したのだろう。紫音が会心の一撃を龍に与えていた。


「よし、後は……」


 上を仰ぐ和沙の視線の先では、もう少しで幕が半分にまで到達しようかというところだ。けっしてスムーズとは言い難いが、それでも少しずつ、確実に切断までの道を通っている。もはやこの樹がその命を終えるまであとどれくらいか、そう思われた矢先、それは起こった。


「ああああああああああああ!!」


 突如として鳴り響く少女の悲鳴。いや、咆哮と言うべきか。それは彼女の背後で切られていく樹に連動するかのようにその小さな口を大きく開き、辺りに響き渡らせている。

 音響攻撃、という程ではない。ただ大きな悲鳴という程度だ。しかし、和沙はそれを危険であると感じたのか、叫ぶと同時に反り返った智里目掛け飛び掛かる。その目にはうっすらとではあるが殺意が籠められており、間違いなく和沙は彼女を殺す気である事が分かった。


「和沙君!?」


 睦月達もまた、そんな和沙の様子を感じ取ったのか、急いで声をかけるも止まらない。止まるはずが無い。

 和沙は、あの状態の智里を危険と判断した。こうなった以上、確保をしたとしても、まともな状態で受け答えが出来るはずが無い。そう思っていた。しかし……


「なっ!?」


 智里へと刃が届く寸前、その切っ先は空中で停止していた。

 いや、

 止められるような速度ではなかったはずだ。和沙が本気で彼女の首を狙ったのだ、これまでの反応では対応出来ないであろう事は分かっていた。

 にも関わらず、これまで以上の速度、勢いをもってしても止められた。それが意味する事とは……。


「たい……」


 和沙の長刀を止める根の向こうで、智里が小さく呟く。その顔は苦痛に歪んでいた。


「頭が……痛い……」

「お前、元に……いや、違う……」


 和沙が何かに気付いた。小さな変化では無い、それは目に見える程大きなものだ。それこそ、かなり離れた場所にいるはずの睦月達に見えるレベルで。


「あれ、どういう事……?」

「……」


 智里の顔が崩れている。

 いや、剥がれている、というべきか。その奥から見えたのは、黒く鈍い青と赤の亀裂が入った、非常に見え覚えのあるものだった。その姿はまるで……


「人の姿をした温羅……?」


 そう、吉川智里は、人間ではなかった。

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