四十五話 開放

「和沙君、それってどういう……」


 睦月が問いかけようとしたその瞬間に、智里が大きく動く。何かをしてくるのか、と身構えるも特にこれといった動きは無い。まるで和沙達の反応を楽しんでいるかのようだ。


「言葉通りの意味だ。ありゃあもう人間じゃない、温羅そのものだ。……つまるところ、織枝の思い通りにはいかないって事だ」

「そんな……」


 人らしい反応は見せず、智里はただ自身の傷口を見て小さく笑っている。傷を付けられた事に歓喜している……などとは思いたくないのが本音だろう。ただの戦闘狂、という結果に収まればまだマシだが、これが自分を傷つける事が出来る人間がいた事に喜んでいるのだとすれば、彼女の思考は既に人ではなく温羅のそれだ。ここまでくれば人間を傷つける事も容易に実行するだろう。


「正直な話、さっき近づいた時に首を斬るかどうか迷ったんだが……ありゃあ斬るとこ間違えたな。大人しく首をちょんぱしとけばよかった」

「兄さん、織枝様の要求は……」

「だから無理だって。あれを野放しにすると、今は良くてもゆくゆくそのツケを支払う事になんぞ。潰せる時に潰しておく。でなきゃ、また誰かが死ぬのを指を咥えて黙って見ている事になりかねんからな」


 和沙が思い浮かべているのは、かつて幼いながらもその命を散らした双子の事だ。今ここで智里を始末しておかなければ、いずれ誰かがまた死ぬ事になりかねない。その前にここで首を刎ねるのが最善、という事だ。

 ……なんとも皮肉な話だ。守るべき対象の中に、今対峙している少女の事は入っていないのだから。


「……」

「聞いてんのか?」


 和沙の提案にイエスともノーとも言わない三人。当然、端末越しに聞いているであろう紫音も同じ反応だ。彼女達の様子に、和沙は口をへの字に曲げている。


「……確かに鴻川兄の言う通りかもしれない」

「あん?」

「だが、ここで彼女を始末すれば、今後助かった命が助からない可能性もある。温羅を操る事で、救われる地域や人がいるかもしれない」

「だから、今はあいつを生かせ、ってのか? 冗談じゃない、扱いを間違えればどうなるか、分かったもんじゃねえんだぞ」

「なら、我々が導いてやればいいだけの話だ」

「それをミスったからこうなったんじゃねぇのか?」

「一度失敗している、という事は原因が明らかになっているという事でもある。ならば、私達は別の道を模索すればいい」


 紅葉の目が和沙を見返す。その目には、強い意思が感じられ、智里を生かす事は織枝の指示であると同時に紅葉達が彼女を救う、という意味も籠められていた。当然、和沙はいい顔をしない。確保するまでに誰かが死ぬかもしれない。ならば、いっその事自分が智里の首を斬ればいいだけの話だ。


「……そこまでする義理があんのか?」

「義理じゃない。これは我々の義務だ」

「その義務とやらに突き動かされるのは結構だが、破滅しても俺は知らねぇぞ」


 その返事を肯定ととったのか、紅葉が背を向ける。仕方がない、とぼやきながらも、和沙もまた彼女に続く。

 未だ人の形を保っているだけに可能性が無いわけでは無い。背中から何か生えていたりもしているが、決して手遅れでは無い。紅葉はそう主張したいのだろう。

 何かが割れる音が聞こえた。そちらに目を向けると、和沙の白甲で拘束していた二頭の龍が解放されたようだ。


「奴さんはやる気満々みたいだけど?」

「それでもやるしかない。この街の為にも、そして我々の為にも」


 紅葉の決意は固いようだ。睦月や鈴音も大人しく従っているところを見るに、異論は無いらしい。先ほどから文句を言い続けているのは和沙のみとなった。


「だったら、まずは大人しくさせないとな」


 和沙が手の中で金属音を鳴らす。例の簡易アンカーとして使っている小型の杭だ。それを手の中で弄びながら、不敵な笑みを浮かべる。次の瞬間、片手で何かを投げたと思いきや、和沙の姿が消える。同時に、龍の片方の頭が吹き飛び、まるでのけぞるような形になるも、先ほどとは違って首が繋がったままだ。

 耐久力が上がったのか、そう考えるまでも無い。よくよく見ると、先ほど相手をしていた時よりも細部が異なっており、衝撃の吸収や、上手く逃がす為のカウル上のえらなど、明らかにパワーアップした様子が見られる。智里が自身を改めて温羅と認識した為に、彼女が操る二頭の龍もまた強化された、といったところだろうか。

 和沙の一撃を受けてなお倒れないどころか戦闘能力を削ったようにも見えない。これは流石にマズイのではないだろうか? 胸中で和沙がそんな事を考えている時だった。


「おわっ!?」


 咄嗟に回避出来たのは母親譲りの勘か、それとも実際にそちらが見えていたのかは分からない。だが、どう見てもまともに受ければ死にかねない一撃を察知し、回避したのは流石と言わざるを得ないだろう。

 和沙を襲ったのは、先ほども片方の龍が吐き出してきた高圧水流だ。しかし、先ほどとはその規模が違う。太さが洒落になっておらず、受ければ切断どころか身体が消し飛ばされる事だろう。

 しかしながら、出は早いが避けられないわけではない。問題は、もう片方の頭だ。避けた先に巻かれていたのはオレンジ色の粉塵だ。これを和沙は見た事が無い。故に、一瞬反応が遅れる。


「鴻川兄、下がれ!!」

「は?」


 紅葉の言葉もむなしく、次の瞬間には和沙の姿は爆炎に包まれる。立ち昇る黒い煙と、散らばる瓦礫がその爆発の威力を思い知らせてくれる。こちらもまた、もう片方の頭と同じく先ほどとは比べ物にならないレベルの爆発を引き起こした。強化されている、という事だろう。思えば、爆発速度も尋常ではなく、爆発した後の衝撃破は少し離れた場所にいたはずの紅葉達がたたらを踏んだ程だ。まともに受ければ瑠璃と千鳥の二の舞どころか、体が木っ端微塵になってもおかしくは無い。

 まともに受ければ、だが。


「た・だ・い・ま」


 和沙が姿を現す。それも智里の目の前だ。彼の足元にはいつの間にそこに投げたのか、例の杭が刺さっていた。少しばかり煤にまみれているところから、ノーダメージとはいかなかったようだが、少なくとも戦闘を続行する程度には元気な模様。


「……」


 すぐ目の前に敵が現れたというのに、智里の反応は薄い。和沙の行く手を阻むかのように先ほど作っていた幹の壁よりも更に頑丈なものを生み出すが、その隙間を縫うようにして接近する和沙を捉えられない。だが、一つ一つの精度は荒くとも、先刻よりも密度の増した根や幹で迎撃を行っていく。さしもの和沙もこれの前には無理と判断したのか、それともまた別の理由でか、踵を返す。そして、未だ自分を食らう事を諦めていない二頭の龍を避けると、何かに気付いたのか、今度はそれぞれの首を刎ね、その隙に紅葉達の下へと戻って来た。


「兄さん? どうしたんですか?」


 龍の相手をしていたせいか、息が荒い鈴音がそう聞いてくる。自分達が手古摺っている相手をいとも容易く切り伏せる事に対し、文句の一つでも言ってもいいような気はするが、それよりも和沙が何故戻って来たのか、の方が気になるようだ。


「……俺じゃ駄目だ」

「はい?」

「ダメってどういう事? もしかして、どこか怪我でもした!?」


 あの粉塵爆発に巻き込まれたのだ、余波でどこか怪我をしていたとしてもおかしくは無い。心配した様子の睦月が近づいてくるが、和沙がそれを制止する。


「そういうことじゃない。俺だと殺しかねんって事だ」

「どういう事だ?」


 頭の上に疑問符を浮かべる三人。和沙の言っている事がイマイチ理解出来ないらしい。それもそうだ、智里は自身を完全に温羅と認識した事で各力がパワーアップしている。それは先ほど二頭の龍が放った攻撃からも分かる事だ。また、至近距離で智里の攻撃を受けた和沙にそれが分からないはずが無い。にも関わらず、和沙は自分だと殺してしまう、と言う。


「確かに力は上がってる。だが、それと比例してなんて言えばいいんだろうな……、知能が……、いや、攻撃パターンがかなり狭まったような気がするんだよ」

「力が強くなったからその分パターンを絞った、とかじゃないのか?」

「だとするならあの防御の仕方はおかしい。あそこは俺を誘い込んだ方が迎撃をしやすいし、なんなら壁が薄くても囲い込んだ方が高速移動が生かせないからこっちを袋小路に出来る。……にも関わらず、だ。あいつは突っ込んで来た俺に反応しただけで、その先の行動を予測しなかった。って事はだ、何も考えずに見たものに反応してる可能性がある。知能が退行したのか、それとも何か考えがあったのかは分からんが、さっきのまま行くと首を斬りそうだったから引き返してきたんだよ」

「言われてみれば……」


 龍も、先ほどはあれだけ様々な方法で紅葉達を喰らおうとしてきたが、今はそうではない。むしろ、むしろ防御するだけであれば、先ほどよりも攻撃が単調な分避けやすくなっている。なんなら動きが大振りになっており、攻撃など一切受けていない程だ。


「……チャンス、という事ですね」

「考えようによってはな。逆に言えば力の手加減が出来ないって事にもなる。当たる事はほとんど無いだろうが、もし万が一にでも命中すれば即死は免れねぇぞ」

「それは兄さんでも、ですか?」

「……まさか囮になって喰らってこい、なんて言うつもりじゃないだろうな?」

「そんな事を言うような妹に見えます?」

「……」


 無言で返す。これを肯定ととるか否定ととるかは鈴音次第だ。

 受ければ死は免れないとは言うが、それならば攻め方を考えればいいだけの事。和沙のスピードで攪乱してもらい、紅葉が智里を守る根や幹を蹴散らす。そして攻撃力が比較的低い二人のどちらかが智里をとり抑える、というのが一番の方法だろう。

 和沙がまず前に出る。当然、再生を終えた二体の龍がその姿を追い回す。が、やはりどこか動きが緩慢だ。それぞれ口から出す高圧水流や粉塵による爆発は強力なものの、少し前までのその巨体に似合わない機敏さは微塵も見られない。動きが劣化している、と言えばいいのだろうか。

 どうせ再生するのだからと、和沙は無理に二体を倒すような事はせず、むしろ龍達がお互いの身体に絡まるように動き回っている。飛び回る和沙を素直に追いかけてくれるおかげで、かなり簡単に絡まらせれる事が出来た。後気を付けるべきはやはり各々の口から放たれる高圧水流なり粉塵爆発なり使用されればこうして動きを止めた意味が無い。水晶を発生させ、自分達の方へと向かないように固定すると、智里へと走っていく紅葉達に追いつく。


「ほらよ、後方確認はばっちりだ」

「助かる!! 後は……」


 自分達を無表情に見下ろす智里。もはや彼女のその様子を見て、人間と思うのはかなり無理がある。背中を突き出た巨大な木の異形も、既に彼女の身体の前面にまで及んでおり、このままいけば宿主の全てを覆いつくすだろう。


「そういや、例の装置はどうなんだよ?」

「今それを聞く事か!?」


 和沙が思い出したかのように問いかける。だが、紅葉の反応に驚いた表情を見せ、冷静に告げた。


「あいつを温羅から引き剥がすって算段かもしれないが、それなら背後の樹を切ったほうが早いだろ。多分、あいつ自身、樹から力を供給されているはずだ。このまま素直に突っ込んで、仮に斬ったとしてもすぐに再生する可能性の方が高い。更に言えば、頭でも潰してみろ。次に再生する時は自前のものじゃないんだ。人の意思が残っているかどうかも怪しい」

「……ならどうする」

「まずは技術班に連絡しろ。気が逸るのは分かるが、少し考えたら分かる事だぞ。人間じゃないんだから、まずは力の供給源を断つのが先だ」


 和沙の言葉にも一理……いや、全面的に正しい。彼自身、智里の首を斬ろうと思えば行けたが、寸前で留まったのはこれがあったからだ。万が一にでも殺してしまえば、次に再生した時は果たして本人なのだろうか? 思えば、神流もまた、首から上の攻撃は十分に余裕をもってかわしていた。それだけこちらの動きを見ていた、という事だが、逆に言えばそこまでやらなければならない程の理由があったという事だ。

 その場で立ち止まった紅葉は、SIDを取り出して技術班へと通信を行う。幸か不幸か、彼らの進行状況は、既に最終段階に入っていた。


『自動接続は効きません! いえ、間に合わなかった、というべきでしょうか。ですが、これから手動で調整を行いますので、もうしばらく耐えてください!!』

「まったく、好き勝手言ってくれる……」


 そうは言うが、ようやく勝ちの目が見えてきたのも確かだ。あの樹さえ切れば後はどうにでもなる。

 ふと振り返ると、背後の空に淡い透き通った虹色の幕のような物が浮遊している。それがゆっくり、ゆっくりと樹に向かう様子はどこか幻想的でもあった。あれが大結界の原理を利用した皇樹伐採装置。


「……よし、当初の作戦は無しだ。樹の伐採を最優先とする。二人とも、付いて来い!!」

「「はい!!(えぇ!!)」」


 睦月と鈴音の声が重なる。二人、という事は数の中に和沙は入っていない。また、超遠距離から狙撃を行っている紫音も同じだ。とはいえ、紫音はそもそもここまで来る事など到底できようはずも無し、和沙に至っては好き勝手に暴れまわるからわざわざ導く必要も無い、そう判断したのだろう。

 それが吉と出るか凶と出るかは、まだ分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る