三十二話 決戦まであと……
例の作戦から数日が経った。
結果として、前準備は上々。後は仕上げを御覧じろ、といった段階だが、済んだのは陽動の為の装置の設置のみに過ぎない。依然、例の樹を切り倒す装置は組み立て中であるうえ、ここ最近小型の襲撃頻度が少しばかり目立つ程度には上昇している。手放しで作戦決行まで待つ事が出来ない状況だ。
そんな中、大きな作戦前との事もあり、久しぶりに纏まった休みをもらった和沙は、一日中布団の中に引きこもる算段を立てていたところをはた迷惑な近隣住民に引きずり出され、白日の下へと晒しだされた。夏と違って暑くは無いが、だからと言って完全に寒波が通り過ぎたわけでも無い。とかく気温の変化に弱い和沙にとっては、この時期はまだ外を出るには早すぎる季節でもあった。
「……何で俺を引きずり出したぁ!?」
そこまで寒いか、と問いかけたくなるほど厚着をしている和沙を前に、睦月が指を立てて腰に手を当てている。
「休みだからと言って、私達は勉学に励む学生です。ここまで言えば分かるわよね?」
「知るか!! 分かりたくも無いわ!! 俺を俺のサンクチュアリに戻せ!!」
「サンクチュアリって……。はぁ……、織枝様から直々に休みをもらってからずっと部屋に籠ってたわよね? 鈴音ちゃんが言ってたんだけど、放っておいたら布団から出てこず、食事すらまともに摂らないって」
「カロリー消費してねえんだから摂取する必要は無いだろうよ」
「あなたね、そんなだからいつまで経ってもその見た目から変わらないのよ? 食事はきっちり摂って、外で運動して、初めて健康的な肉体が手に入る、っていうのに。そんな有様じゃあ、いつまで経っても女の子にしか見られないわよ。……いえ、むしろ最近更にそれっぽくなったかも?」
「嘘だ!?」
どこか絶望的な表情になりながら、纏っていた上着を脱ぎ捨て、近くのガラス窓で自身の見た目を確認する。これと言って大きく変わっているようには見えないが、目に見えない部分は分からない。
「あれだけこき使われたのに運動には入らないのか!? ようやっと筋肉が付いてきた気がするのに、女っぽいとでも言うのか!?」
「ちょ、ちょっと、落ち着いて……」
もはやここまでくると錯乱の域だろう。本人にしてみれば、それだけ取り乱すほどの事なのだろうが。
一通り暴れまわったものの、すぐに自我を取り戻したのか、小さく咳払いをして居住まいを正す和沙。そんな和沙の豹変っぷりに、睦月はただ苦笑いを浮かべるしかない。
「まぁ、筋肉の付きやすい付きにくいは体質の問題だと思うから、あまり気にしない方がいいわ。紅葉ちゃんだって、あんなに大きな武器を振り回してるのに、筋骨隆々なんて事は無いでしょ?」
「あれは御装がサポートしてるからだろ……。まぁいいや。で、俺をどこに連れて行く気だ?」
「そんな人を誘拐犯みたいに……。別にそんなおかしな所に連れ込もうなんて考えちゃいないわよ。せめて、休みの日くらい外に出れば……って、いつも出てるかぁ……」
「そういうこった」
むしろ、あれだけ走り回らされたにも関わらず、こうして休みの日にまで外に引きずり出されては敵わない。和沙の事を考えて、とは口では言うものの、本当に考えてるのなら、布団の中で一日中過ごす事くらい許容してくれないものだろうか、そんな顔をしている。
「それで、どこか行きたい所ある?」
「人を引っ張り出しといて、行先まで決めさせんのかよ。俺はただただ帰りたい、それだけだ」
「でも、どういう経緯があれ、せっかく外に出てきたんだから、偶には楽しむ事も必要よ?」
「家の中でも十分楽しいの!!」
鈴音などには言っていないが、和沙の休みの日の過ごし方の一つに携帯ゲームがある。が、当然本体など持っているはずもなく、和沙がプラットフォームとして活用しているのはSIDだ。去年の夏ごろに風美によって入れられたそれは、最後まで満足にプレイできずに逝ってしまった彼女のへの手向けのつもりか、今でもプレイを続けていた。
口では楽しいと言ったが、家の中での和沙はほぼそんな感じだ。傍から見れば不健康極まりない。これで健康的(半強制的な)生活を送っていると言われても、信じる人間は通りすがりに人くらいだろう。これも関わりたくないから適当に頷いているだけである。
「まぁまぁ、取りあえず映画とかどう?」
「家でも見れるだろ」
「家だと劇場公開のものは見れないじゃない? たまにはおっきな画面で見るのもいいと思うわよ?」
「最近はヘッドマウントディスプレイとかもあるし……」
「え・い・が・で。ね?」
「お、おう……」
食い下がったが、最終的に睦月の謎の圧によって首を縦に振らざるを得なくなった。彼女が何故そこまで映画に拘るのかは分からないが、強引に引っ張っていく程度には面白いものがあるのだろう。そう自分に言い聞かせた和沙は、自身の後をちゃんと付いて来ているかどうかを逐一確認する睦月に伴って歩く。
着いたのは、近辺ではそれなりに大きなショッピングセンターと併設された映画館だ。映画を見るついでに買い物に興じたり、逆に買い物目当ての客がふとした事で見たかった映画のポスターが目に入り、ついつい足を運んでしまう、といった効果を期待しているのだろう。その効力は悪くは無い、といった感じだ。
「こんな時に映画ねぇ……。なんとも呑気な……」
「何か言った?」
「言った事は言ったが、知らない方がいい事もある」
「なぁに、それ?」
その妙な返答に対し、睦月はよくわからなそうな反応を返す。それ以上和沙が何も言わない事にこの件は終わりだと認識し、睦月は睦月で見る映画を吟味していた。
「これ、これなんてどう?」
「……らぶすとーりー? 昨今の若者が見るようなもんじゃねぇだろ」
「そうかな? 私は好きよ、こういうの。それとも、和沙君的にはこう……派手なアクション系が好みだったりする?」
「んにゃ、ホラー」
「……」
「ホラー」
指差したのは、ずらっと並んだポスターの端に張られていたいかにもなホラー映画の物。睦月の首が一度ゆっくりとそちらを向き、再度和沙へと向き直された頃には言い様の無い表情がへばり付いていた。
「ほ、ホラー?」
「だから何度も言ってんじゃんか。俺がよく見るジャンル」
「私、ホラーはちょっと……」
口の端を引きつらせている。どうやら、傍から見れば完璧超人のようにも見えなくもない彼女にも、苦手なものがあったようだ。にしてもホラーとは、どこかの誰かも普段は冷静沈着でありながら、そういう場面になれば頭を抱える程怯えていたのを思い出す。
「ほ、他のじゃダメ?」
「他の、ってもなぁ……、あんま興味そそられるものが無いっていうか、なんか十把一絡げっていうか」
「これなんかどう? 最近流行りのアクション、海外のスタント担当の人が凄い、って評判なんだけど」
「自分でそれ以上の動きが出来る以上、あんまりアクションって興味出ないと思うんだよ」
「うん、まぁ、そうね……うん」
和沙の言っている事にも一理ある。アクションを好む人間は、それが現実ではあり得ないからこそフィクションでそれを求めるのだ。現実でスクリーンの向こう側の俳優よりも激しいアクションをしている和沙にしてみれば、彼らの動きはお遊戯以外の何物でもない。
「まぁ、どうしてもって言うなら、そっちの好きなのを選らべばいいと思うけど……、寝るかもしれないぞ」
「それもそれで悲しいかな……」
せっかく一緒に見に来たというのに、片方が寝ていて最後まで見ていなかった、なんて事になっては払った金額もそうだが、こういう場所で映画を見ている、というシチュエーションも台無しになる。睦月としては、なんとしても防ぎたい事柄の一つだが、果たして……
「あれ、鴻川?」
うんうんと悩んでいる睦月を眺めている和沙の背にかけられる、ここ最近とんと聞かなくなったとある人物の声。
「……誰だっけ?」
「立花だ! 立花辰巳! 頼むから人の名前くらいは覚えててくれ……、一応クラスメイトだろ?」
「悪いな、俺は鳥頭なんだ。三歩歩けば忘れる。それが嫌なら首からネームプレートでも下げといてくれ」
「……何か感じ変わったな。ほんとにしばらく会ってなかったけど、何かあったのかい?」
「世の中知らない方がいい事で溢れてる。聞いて後悔するのはそっちだぞ」
「……じゃあやめとく」
納得のいっていない表情の立花だが、必要以上に追及するのも野暮だと判断したのか、大人しく引き下がった。代わりに、彼の視線は少し先で映画のポスターとにらめっこをしている睦月へと向けられた。
「筑紫ヶ丘先輩? 鴻川と一緒に来たのかい?」
「引きずり出されたんだ! せっかくの休みにな!!」
「休みって……、学校が休校になってから一か月近く経ってるんだから、いくらでも休めただろうに。今もこうして遊びに来てるし……」
気づけば、和沙の顔が凄い事になっていた。これまで溜まりに溜まった鬱憤をせき止めていた堤防が決壊し、今にも爆発しそうな表情だ。それに気づいた辰巳はすぐに自身の口を噤む。
「やっぱり私じゃ決められないわ……。あら、立花君、こんにちは」
「はい、先輩、こんにちは」
随分と健全な挨拶を交わす二人。その間で、和沙の表情がこれ以上ないほど歪んでいる事を両者とも見ないようにしているのか、それとも睦月は単に視線に入っていないだけなのか。
「今日は一人?」
「いえ、友達と一緒です。ほら」
辰巳が視線を向けた先には、確かに数人の同年代と思われる少年少女がいた。辰巳がそちらに向き直ると手を振っている。仲は良好のようだ。こころなしか、少女が多いのはやはり彼の人徳のお陰だろうか。元々この街は巫女隊や守護隊の事もあって女性比率は高い為、おかしい事では無いのだが。
「みんなで映画でも見ようって話になって、そしたらお二人がいたので少し挨拶でも、と……、どうしたんですか? そんな期待の籠った目をして」
「言葉通りよ! ね、この中で一番見たいのってどれ?」
「えっと……、見に来たのはこれですけど……」
そう言って辰巳が指さしたのは、一番目の付く場所に張られているラブロマンス系の映画のポスターだ。何やら有名な俳優が主演を演じており、尚且つ脚本もまた著名な人物が担当しているとこのこと。さらに、メガホンをとった監督は何度も大きな賞をとった有名な人物だという。
「そうよね、これが一番いいわよね! だって、和沙君!!」
まさしく水を得た魚。いや、単なる援護射撃に過ぎないのだが、ここにおいて彼の存在は睦月にとって何よりも大きなものだった。反対に、和沙の顔は非常に渋いものになっている。
「なんだ、鴻川はこういうのはあまり好きじゃないのかな? やっぱり、アクションとか?」
「ホラー」
「……なるほど。趣味は人それぞれだからそれについてとやかくは言わないが、筑紫ヶ丘先輩の顔を見れば、その事で色々と揉めた事が容易に思い浮かべられるよ」
もはや問うまでも無い。和沙の希望のジャンルを聞いた瞬間、睦月が泣きそうな顔で首を勢いよく横に振っている。彼女がここでうんうんと唸っていた理由はそれか、とようやく気が付く。
「……そうだな、もし良ければ、俺たちと一緒にこれ、見ませんか? 鴻川は一人で好きな映画見ればいいとは思うし……、いや、それはそれで問題か……」
「それでいいだろ。こんなところで悩み続けるのも不毛だしな」
「いいわけ無いだろ!? え、筑紫ヶ丘先輩を俺達と一緒とはいえ、一人にしてどうするんだ!? それじゃあ、ここに来た意味が……」
「??」
和沙が首を傾げる。ここに来たのは睦月に引っ張って連れてこられたからだ。別に彼女とここに来る事が目的だったわけでも、意味があるわけでも無い。……にも関わらず、睦月は何故か顔を真っ赤にして固まっている。
「そ、そういう事じゃないのよ! いつも休みの日は家に引きこもってるって聞いてたし、ここ最近忙しかったから、その息抜きとして一緒に来ただけで、そういうわけじゃないの!!」
「そうなんですか? でも、そこまで否定されると逆に怪しいですよ?」
慌てて否定する睦月に対し、辰巳はにやにやと笑みを浮かべている。その反応を見て、睦月がどこか困ったように怒りを見せるも、それは軽くあしらわれてしまう。……当人の一人であるはずの和沙は、その光景を見て頭に疑問符を浮かべていた。
「まぁ、二人がどういう関係なのかはこの際追及しないでおきます。でも、早くしないと席が埋まっちゃいますよ? この際、少し強引でもいいので一緒に連れて行ってはどうですか?」
「……」
睦月が赤い顔のまま、和沙へと視線を向ける。だが、先ほどの和沙の言葉を思い出し、再び頭を抱えている。なんとも忙しい話だ。
「別々でいいじゃんかよ~。そこまで拘るような事でもないし、さっさと行かないと席無くなるかもしれないんだろ? そんなくだらない事に拘る必要も……」
「……決めました」
「何が?」
「私も和沙君が見るのと同じものを見ます」
「え、先輩、大丈夫なんですか……?」
「ここまで言われて黙っている程、私は大人しくありません。なので、和沙君と一緒に見ようじゃありませんか!!」
半ばヤケクソ気味にそう叫ぶ睦月を、何だコイツ、と言うかのような目で見つめている和沙と、どこか同情的な視線を向ける辰巳。
これで彼女の中の何かが変わる、なんて事は無いが、それでも後に後悔する羽目になるのは火を見るよりも明らかだ。気遣う辰巳に強気な発言で返し、意気揚々と和沙の腕をとって映画館の中へと進んでいく睦月。傍から見れば恋人同士……なんてことは無く、あくまで仲のいい姉妹のようにしか見えない。それを口に出すのを、辰巳は止めた。これ以上睦月が壊れていくところを見たくなかったからだ。
その二時間後、べそをかいた状態で和沙の腕につかまりながら出てきた睦月を、これまた同情的な目でその姿を迎える一団の姿が見られた。
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