三十三話 日常に生きる人々

 監督の名前が聞いたことも無いものだったり、出演している俳優が見た事もないものだったりと、いかにもB級的な臭いのする作品ではあったが、少なくとも睦月を怖がらせるのには十分すぎる程のクオリティだった。そのせいか、いつもの睦月はどこへやら、完全に年相応かそれ以下にしか思えない程の幼児退行を起こすまでになっている。いや、実際に起こしているわけではないが、そう錯覚させるほど、というレベルだ。

 とはいえ、そんな状態の彼女を振り回すわけにもいかず、また和沙自身もどこかに行きたいと思っていたわけでは無いので、街の一角を見下ろせる少し小高い位置にある公園へと二人は来ていた。先ほどまでベンチで休んでいた睦月の姿は無い。おそらく、さんざん涙を流したせいで落ちた化粧でも直しに行っているのだろう。それについてどうこう言うつもりも無い和沙は、黙ってその後ろ姿を見送っていた。


「……」


 その一角とはいえ、この神前市を上から眺められるというだけにこの場所は少々冷える。凍り付くほど、というわけではないが、やはり寒いものは寒い。夏に弱いが冬には強い、という人間もいるが、残念ながら和沙の身体はそこまで環境に順応してはいない。寒いものは寒い、暑いものは暑いのだ。

 だが、今の彼が街へと向ける視線は、そんな冬の寒空のような冷たいものだ。つい先ほどまで、知り合いの女性と映画鑑賞に興じていたとは思えない目をしている。

 その原因はいたってシンプルだ。道行く人々の顔や、その口から出る言葉が気に入らない、というもの。

 今日、すれ違い様に色んな人間の顔や、その言葉を聞いてきた。他愛の無い世間話や、痴話喧嘩、仕事についての話など、非常に様々なものだった。だが、その中でも一番多かったのが、やはり例のについてだろう。

 そこに存在するだけで、言いしれようの無い恐怖を与えるそれは、実際に被害に会わなかった人々の胸の内にも、その根は張り巡らされていた。


 しかし、だ。確かに、怖い、だの危ない、だのと言った言葉はよく聞こえた。だが、それだけだ。中には、むしろこんな状況で祭祀局は何をやっているのか、もう局は信用出来ない、といった言葉も聞こえてきた。

 和沙の憤りは、別に彼らが口にする非難の言葉に対してではない。彼らがどういう状況でそんな言葉を口にしているのか、という事に怒りを覚えているのだ。

 今お前がいる場所はどこだ? 今何をしながらそんな言葉を吐いている? 何度も何度もそんな言葉が脳裏を過っていたが、その度に和沙はその言葉を飲み干した。彼ら別段口を挟んできているわけでは無い。ただ、対岸で優雅にお茶をしながら火事を眺め、それについて感想を言っているだけに過ぎない。

 だが、そんな風に感じるのであれば、何か行動を起こさないのか、と和沙は思っていた。何故眺めるだけで、助けを求めているであろう人々に手を差し伸べないのか、と。そう、耳元で言ってやりたい人間を、彼は今までにん何度も見てきた。結局、誰一人として、その問いに答える事が出来る者はいなかったが。

 人の性根というのはそう簡単に変わる事などあり得ない。それはこの時代にやってきてから嫌という程思い知らされた事だったが、改めてこうしても体感させられると、本当にあの時守る意味があったのか、と疑問に思ってしまう程だ。


「待たせちゃってごめんね、和沙君」


 そんな事を考えていた和沙だったが、ちょうど戻ってきた睦月の声に引かれ、そちらへと視線を向ける。


「……どうかした?」


 和沙の様子がおかしい事に気が付いたのだろう。彼女が少しこの場を離れる前と比べると、その雰囲気は誰が見ても分かる程に変わっているからだ。すぐにその空気は引っ込んだが、それでも彼女が感じたものは勘違いなどではない。この数分の間に何があったのか、それを聞かずにいられるほど、睦月は物事に無関心ではない。


「別に、なんでも」


 だが、和沙が返したのはそんな乾いた言葉だった。その言葉からは、一切の感情は感じられず、同時に彼が睦月に何も教える気が無い事が伺われる。


「寒いんだよ、ここ」


 ただまぁ、そんな様子だったのもこの数秒だけだ。すぐに今まで彼女が接してきた和沙へと戻り、寒さで体を震わせている。そのあまりにも落差の大きい変化に、睦月は納得のいかないといった表情を浮かべるも、和沙が再び先ほどのような顔になる事はなかった。

 結局、その真意を図る事も出来ず、二人は帰路へと着く。とはいえ、一日はまだ残っている。当然、映画一回で済ますはずも無く、睦月は再び和沙を連れまわしていく。

 あの高台にある公園を後にする時に呟いた、彼の言葉を忘れようとしているかのように。


『どうあれ、やるべき事は同じ。これは、墓にでも持っていけばいいか』




「おや、兄さんと睦月さん、奇遇ですね」


 そろそろ日も暮れ始めてきた頃、ぐったりとした和沙を全国にチェーン店を展開しているカフェブランドの店に連れてきた睦月だったが、そこで鈴音と彼女の取り巻きに遭遇する。

 取り巻き、などと言っても、数奇な間柄では無く、単に巫女と従巫女の関係というだけの間柄、つまりは日和達の事だ。


「そちらはそろそろ解散予定? 随分と荷物が多いようだけど」

「そうですね。ここ最近任務続きだったので、思い切って色んな店をはしごしてきました。これから忙しくなると思いますし、もしかしたらもう来れないかもしれませんしね」


 おそらく鈴音が言っているのは今後実施される大型作戦の話だろう。来れない、というのはこの作戦が終わり次第、彼女と和沙は佐曇市へと戻る事になるだろうからだ。状況が状況だが、彼ら二人の所属は未だに向こうとなっている。それが変わる事は無いし、本人達も変えるつもりはない模様。祭祀局本部としては、今回の作戦が終わっても、ずっと滞在もしくは所属を変えてでもいて欲しいだろうが、いかんせん佐曇市の支部長がそれを認めない。当然の話だ。現在二人は出張という扱いでこちらに来ているのだ。決して応援ではない。十中八九、本来の目的とは異なるうえ、危険に晒した、という事で作戦が終わり次第帰還命令が出るだろう。そうなれば次この街に来るのはいつになるやら。


「最後の晩餐ならぬショッピングって事ね」


 今の時代、彼女達にとって友好を深めるというのはこういう事に他ならない。もちろん、佐曇市にも似たような店はいくつもある。が、目的は商品を手にする事では無く、彼女達と共に歩き、選び、その成果を得る事にある。それが最も容易に果たせる方法、それがショッピングという事だ。

 まぁ、既に彼女達も遊びはしゃぐ歳では無く、こうする事を遊ぶ、と表現する年齢になっている、とも言えるが。


「睦月さん達はどうでした? デート、楽しめましたか?」

「ちょ、そんなんじゃないってば!」

「そうだ、俺の顔を見ろ! そんな優雅なもんか!!」

「……ごめんなさい、こんな兄で本当にごめんなさい」

「う、うん、いいのよ。私もそこまで意識してたわけじゃないし。でも、ここまではっきり言われると、それはそれで傷つくかな……」


 悲し気に呟く睦月と、情けなさでいっぱいの鈴音がそれぞれの感情を映し出した目で和沙を見つめている。その向こうでは、日和たちが、コイツまじか、とでも言いたげな目をしていた。


「何だよ、その目は」


 分かっていないのはただ一人のみ。見た目は少女だが、根っからの男性である和沙には、彼女達が何故そんな目をしているのか、全く分かっていなかった。

 今この状況も、世の男どもが見れば妬みと嫉妬の炎で焼き尽くされそうな状況だが、それを喜ぶような性格ではない。むしろ、女性に囲まれるよりも、布団に包まれている方が幸せ、と胸を張って口にするような男だ。


「けど、楽しめた事は楽しめたわ。和沙君が何も言わないから引きずりまわす事になったけど、付き合ってくれてありがとね」

「……兄さん、何もかも睦月さんに任せたんですか? 男性なら、エスコートするのが定石ですよ?」

「俺はセオリーに縛られない男なんだ」

「またそんな意味の分からない事を……」

「大丈夫よ鈴音ちゃん。私も普段行けないところとか一緒に行ってもらったし、文句は言うけど、こうして最後まで付き合ってくれたし」

「文句を言う事自体が問題だと思うんですが……はぁ……」


 頭を抱えて首を振る鈴音。確かに中学生男子のように性欲をむき出しにするのはどうかとは思うが、和沙のように女性に興味が無いばかりか、配慮もほとんどしないのもこれはこれでマズイのでは無いかと思い始める。

 いや、もしかすると、その前提自体が間違っている可能性ある。つまり、和沙は……


「兄さん、ちょっとお花を摘みに行きませんか?」

「……何を言い出すんだ貴様は」

「いえ、少し確認したい事がありまして。何、少しズボンと下着を下ろすだけで済みます。その下にちゃんとモノが付いてるのかどうか確認するだけです」

「おまっ……! いきなり何を口走ってるんだよ!? そんな事言う子じゃなかっただろ!? この街の何に汚染された!? そこにいる連中か!?」


 鈴音が口走った言葉に流石に動揺を隠せない和沙は、彼女の隣に座っていた日和達を指さす。が、日和の反応は驚きもしなければ怒りもせず、ただ首を横に振るだけだった。


「この子~、最初からこんなんだったよ~」

「うっそだろお前!? 猫被ってたのか!?」

「世渡りの手段なら、それこそ両手の指では数えきれない程持っています! 猫を被るのもその一つ……。騙されましたね、兄さん!!」


 こんな事を言われれば今後和沙からは信用されないだろうに。だが、今の彼女にとって重要なのはそこではない。周囲の女性に一切反応しない和沙の人格を確かめるために、実力行使を行おうとしている。が、流石に力では勝てず、また基本的な身体能力も全て劣っている為、結局トイレに連れ込む事は出来なかった。


「はぁ……、仕方ありません。口だけでもいいので答えてください」

「口だけって……、何するつもりだったんだお前」

「簡単な話です。兄さんが男性かどうか確認したかったんですよ」

「どう見ても男だろ!!」

「「……」」

「何で全員黙ってるんだよ!?」


 本人には悪いが、既に和沙の容姿は見た目では男性だと分からない程には女性側によっている。このままいけば、そのまま女性になってしまうのでは、と思わずにはいられないレベルで、だ。当然、その原因を本人は知らないし、鈴音達も何故ここまで容姿が偏るのか、説明がつかない状態だ。

 考え得る可能性としては、やはり神流の存在か……。


「まぁ、兄さんが男かどうか調べるのは家に帰るまで我慢します」

「……出来れば未来永劫我慢してくんないかな」

「そういう素振りを見せればこちらも納得はします。年頃の血の繋がらない妹と一つ屋根の下……、何も起こらないはずは無く……」

「お前ホントに水窪に似てきたな」


 おかしな思い込みで突っ走る……なんて事は流石に無いが、あれもあれでかなりとんちきな発想をよくしていた。それが鈴音に移ったとは思いたくない、というのが本音だろう。実質同じ人間が二人になったようなものだ。

 先ほどまで赤い顔をしていた睦月も、今ではすっかり和沙と鈴音のやり取りを目にして腹を抱えて笑っている。笑われている当人としてはたまったものじゃないが、それでもおかしな勘違いで調子を崩されては敵わない、と彼女の様子を黙って見ていた。


 これが日常。例え夢幻泡沫の中の一瞬での出来事とはいえ、確かにここにあるものだ。

 人々はそんな何気ない一日を、一瞬を、必死に生きている。どんな形であれ、それは変わらないのだ。

 だが、和沙がそれを認識する事は無い。もはや、彼にとっては人など、救う対象ではあれど、命の天秤に乗るほどでは無いのだ。

 それを理解し、解きほぐす事が出来る者は存在するのか? それは今の彼には分からない事であり、同時にどうでもいい事であった……。

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