三十四話 決行前夜

「いよいよ明日、ですね」

「……」

「はい、明日は必ず成功させましょう!」

「……」

「おや、やる気十分ですね。これは私も気を抜いてはいられません!」

「……なぁ」

「「はい?」」

「なんでいんの?」


 和沙の問いかけにが見つめあう。まるで鏡合わせのような動きではあったが、同一人物ではない。それどころか、似てるところすら少しもありはしない二人だ。

 だが、二人は全くと言っていいほど同じ動作で和沙へと振り向き、


「「何か問題が?」」


 まるで事前に打ち合わせでもしていたかのようにそう、声を揃えた。


「問題以外何があるってんだ!!」


 その二人に対し、和沙は怒号を発する。だが、そんな兄に鈴音は口元に指を立て、静かにするように伝える。一応、ここはそれなりに値段の張るマンションだ。そう簡単に音が隣接する部屋に届く事は無い。が、問題はそこではない。

 例の作戦を決行する前日だというのにも関わらず、その鴻川家に何故か織枝の姿があった。今度は流石に逃がしてもらえないと観念したのか、睦月も一緒にいる。彼女は先ほどから一言も発さずに苦笑いを浮かべているだけだった。


「具体的にどういけないか、教えていただけますか?」


 頭を抱える和沙に対し、織枝はそんな事をいいながら首を傾げる。その動作だけを見れば、普通の人であれば思わず許してしまいそうになるが、残念ながらここには普通の人間はいない。


「あんたの家と違って、ここは防犯を十全に行ってるわけじゃない。それに加え、両隣は一般家庭だ、こっちの話が聞かれでもしたら、大問題になんぞ!?」

「問題ありません。両隣の家には少し幸運があり、現在旅行に行って頂いています。上の部屋は、どうやら前々から引っ越す予定だったのを、少し条件のいい物件を紹介して引っ越し済みです。下はそうですね……、他言すればこう……」

「その手をやめろ。よく分かったから、その手の動作をやめろ!!」

「おや、そうですか」


 その意味を予想もしたくなくなるような手の動きを止め、居住まいを質す織枝。鈴音はそんな彼女と随分と仲良くやっているが、やはり立場的な問題があるのだろう、睦月に関してはずっと少し離れた場所から見守っている状態だ。まぁ、彼女自身織枝がこんな場所に来る事そのものが面倒事だというのは分かっているのだろう。故に、すぐさまこの場所から離れたいのだろうが、いかんせん和沙が目を光らせており、そう簡単に帰る事が出来ない。


「にしても、本当に何しに来たんだよ。息抜きはこの前やっただろ?」

「それもありますが……、少し伝えておくべきかと思いまして」

「何を?」

「吉川智里の傍にいた女性、御巫神流……の事です」


 神流の後に少し間が空いたのは、敬称を付けるかどうかを迷ったのだろう。しかし、今は敵である事を考えれば、付ける意味は無いに等しい。


「で?」


 神妙な口調で話す織枝とは反対に、和沙は特に興味無さそうに返事をする。実際、興味は無いのだろう。彼のそんな反応に少しばかり動揺した様子を見せるも、すぐに元へと戻り、その口から真実が語られる。


「先日、例の誘因装置を設置してもらうと同時に、裏で各地の温羅支配地域を襲撃した話をしましたね? その際に、あの地域における生存者の確認も一緒に行ったのですが……結果はゼロでした」

「「――!!」」


 生存者、つまりは人間だ。その言葉を聞いた時、睦月と鈴音は息を呑んだ。何せ、その言葉が意味するのは一つだけなのだから。


「各方面からの襲撃だったので、漏れは無いかと思われます。最新の技術をこれでもかとふんだんに使った装置で確認したところ、樹の内部、その周辺に人と思われる生存者は一切確認出来ませんでした。つまり……御巫神流は人じゃありません」

「人じゃなければ……何なんですか?」

「考えられるのは……」

「……温羅だろ。普通に考えれば」


 随分とあっさりそう言い放った和沙に対し、一同は驚きを隠せない。和沙は確かに神流に向かって「母さん」と呼んだ。にも関わらず、彼は自身の母親を人間ではないと断じたのだ。そこに、驚きも、悲しみも、更には怒りといった感情さえ無かった。ただ淡々と、自身の母親は温羅だと、そう言い放ったのだ。


「……気づいてたんですね」

「気づくも何も、あれだけ派手にやってんだ。少しくらいおかしいとは思うだろ。普通の人間は、負った傷がほんの数秒で回復したりなんてしない」


 いつまでもやられっぱなしなわけでは無い。一矢報いた事だってあった、が付けた傷は一瞬で塞がり、その体力は二百年前でさえ一人で戦い抜いたとはいえ、神立を使った和沙を容易に凌駕するものであった。普通に考えれば、異常としか言いようがない。人としては、だが。


「それで? それを俺に教えれば、戦意が揺らぐとでも思ってたのか?」

「……少し、思っていました。大切な人が敵として、更に言えば人では無い何かになって自分の前に立ちはだかってきたのです。その意思が揺らいでもおかしくはない」

「そうか? むしろやりやすいとは思うけどな」


 あっけらかんと言う和沙に、思わず目を丸くする。何がやりやすいと言うのだろうか。


「何せ、どんなやり方でも大義名分があるんだ。あれは人間じゃない、温羅だって、な。むしろ思いつめる事が無くなった、って思うべきだろそこは」


 そうだ、和沙にとっては、母親であろうと敵は敵。身内にはとことん甘い彼であっても、敵ならば容赦はしない。遠慮もしない。なんならその身内が敵に回ったとしても同じ事だ。どんな形であれ、相対している事には変わりは無いのだから。

 それは別に和沙だけの話ではない。

 神流、母親もおそらく同じ事を考えているだろう。皮肉にも、かつて自身が敵対していた相手の一員として現代に蘇り、その一味として行動しているのだ。彼女もまた、自分が巫女と敵対するのは必然と認識し、割り切っている感がある。思うところはあるだろうが、和沙の戦いを見る限り、こちらに配慮する、なんて事はまず無いだろう。……ところどころ手加減というより、実力を見ている節があるが、それは彼女にとって相対している相手がそれまでの実力だった、というだけの話だ。


「……つまり、気に留める必要は無い、という事でいいんですね?」

「当然。なんなら樹もろとも首を切り落としてくれると助かるんだが、そう上手くはいかないよな」

「それはそれで技術班の皆さんのトラウマになりそうなので遠慮しておきます。しかし、そうですか、なら彼女の事に関しては問題無し、と。残るは……」


 先ほど織枝は人間の生存反応が一つも無い、と言っていた。それはつまり、神流が温羅である事、そして……


「吉川智里も温羅、という事でしょうか?」


 そういう事だ。


「可能性としては十二分にあり得る話です」

「ですが、彼女は年齢的に見ても、御巫神流と同じ状態、とは到底思えません。何より、彼女は温羅を操っていましたが、御巫神流は温羅を操る事自体しなかったと記憶していますが」

「そうですね、報告では御巫神流は故人、対して吉川智里に関しては生死不明となっています。書類上では死亡扱いですが、もともと非公式なものです。その記述が正しいかどうかも怪しいですね」

「となると……、温羅になる何らかの術が存在している、という事でしょうか?」

「その可能性はありますね」


 当初、温羅を操る智里の能力は彼女特有のものかと思われていたが、もしも温羅と同化したうえでの力であれば、織枝が当初考えていたその力を利用する事は非常に難しくなるだろう。何せ、前提が問題なのだ。普通の人に到底使えるものでは無し、何より例の研究所の件もある。どんな危険性を孕んでいるのか分かったものではない。


「なら、例の保護は取り止めか?」

「……いえ、利用できるのであれば、なんでも使う。なんとしてでも彼女の身柄は保護してください」

「だとよ」


 話を振ったのは和沙なのに、織枝の言葉は睦月と鈴音へと逸らす。実際問題、和沙にはまず神流という厄介な敵の相手をしなければならない。それが片付き次第、彼女達に合流するだろうが、神流との戦闘後の状態でどこまでやれるか分かったものじゃない。下手をすれば、ほとんど戦力にならない可能性だって存在する。


「……方法は考えておきます。ですが、最悪の事も考慮していただければ……」

「分かってます。無理に、とは言いません。命の危険があるようでしたら、そちらを最優先でお願いします」


 存外融通は効くようだ。とはいえ、要は命に危機にならない限り、彼女の保護を優先しろ、という事だ。柔軟に見えて、なかなかどうして強情な話だ。


「……酷い指導者だな」

「何か言いました?」

「何も」


 ジトっとした目で睨まれる和沙だが、すぐさまそっぽを向く。普段笑みや無表情ばかりの彼女のこういった表情が珍しいのだろう、睦月が目を丸くしていた。


「んな事より、そろそろ夕飯の時間だろ? ほら、さっさと帰った帰った」


 しっしっ、と他の局員が見たら卒倒でもしそうな仕草で織枝を追い払おうとする和沙。だが、彼女は帰る気などさらさら無いらしい。


「残念ですが、私は一人で出歩く事を許可されていないので、誰かに付いて来てもらう必要がありますね」


 ニヤリ、と口の端を吊り上げるような笑みを浮かべる織枝。普段ならば絶対に見せない表情で和沙を挑発するように見ている。

 それもそのはず、睦月は連れては来たものの、逆に送り返すには既に遅い時間だからと言って織枝の送迎に協力はせず、鈴音は最初からどちらでもいい、といったスタンスだ。実際、織枝がいたところで鈴音の態度がそこまで劇的に変わるといった様子も無い。姉が一人増えた、といった感覚なのだろう。

 という事は、多数決では和沙以外が織枝をこの時間に局に送り返す事に賛同していない、という事になる。残念ながら、これでは和沙の意見が通る事は無いだろう。


「ぐぬぬぬぬ……」


 歯を噛みしめながら、悔しそうに呻く和沙。しかしながら、彼自身も実のところ密かに思ってはいるのだ。こんな時間に帰して、中途半端に体調でも崩されれば、明日の作戦は誰が指揮をとるのか、と。

 もちろん、たかだか風邪を引いたくらいで降りる、なんて事は無いだろう。しかし、万が一もあり得る。


「……仕方ない。でも、明日の朝一で送っていくからな。分かったか!」

「一緒に行くとか、噂されると困るし……」

「何年前のネタだそりゃあ!?」


 少なくともゼロが二つは付くだろう。

 そんなこんなで、重要極まりない作戦前夜にも関わらず、鴻川家は随分と騒がしかったそうな。

 ……密かに睦月もその被害を受けたとか。

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