四話 解決ではなく、前進

「……さて」


 紫音が部屋から出ていくのを見送った織枝は、ようやく一つの問題が片付いた事に安堵の息を漏らす。


「まだ些末な問題が一つ、といったところだ。もっと働け、子孫よ」


 そんな事を言いながら、通気口から姿を現したのは、先ほどまでここで泣いていた紫音の実情を織枝に伝えた人物だった。


「代わってくださってもいいんですよ?」

「冗談。お役所仕事は俺には向いてないよ。……あれで良かったのか?」

「えぇ……。彼女もそうですが、この本部には彼の野望の籠った種子が多く撒き散らされています。一つ一つ排除していっては、イタチごっこにしかなりません。なら、大元を一気に潰す、これが一番だと思ったのです」

「おっそろしい事を考える……。お前、ほんとに俺の子孫か?」

「おや、ご先祖様がしている事も、私と大差ないと思いますが」

「んなわけあるか。現代の聖人と言われた俺の行いは、まさしく聖人君子のそれで……」

「そう言うなら、まずは鈴音さんに迷惑をかけないようにしてください」

「……ぐぅ」


 ばつの悪そうにそっぽを向く和沙。そんな遠い先祖の姿を、織枝は小さく笑みを浮かべながら眺めていた。

 今回の長尾が起こした騒動は、原因の排除をもって幕を閉じた……。織枝としては、そう口にする事が出来れば一番良かったのだろうが、残念ながらそうはいかないのが現実だ。

 自殺なんてのは、裏で情報を操作した結果に過ぎない。あの遺書に関しても、現代の技術をもってすれば、人の筆跡を完璧に真似る事など難しくはない。これらは全て、この祭祀局本部局に巣食う病魔を排除する為に織枝が計画したものだ。そして、和沙は彼女に頼まれ、共犯……実行犯として加担したにすぎない。……そう、手すりの向こう側へ長尾を引きずりこんだのは和沙だ。


「とはいえ、辛い役目を負わせてしまった事には変わりありません。この借りはいつか必ず」

「そうだな。形は違えど、今更人の命の一つや二つとはいえ、手を汚させられたのは確かだ。この一件が終わったら、沖縄にでも連れてってもらおうか」

「沖縄は既に温羅の巣窟ですよ……?」

「うっそだろ……」


 はてさて、日本の主要なリゾート地はどれだけ残っているのか。この様子では全滅もあり得るが、佐曇のビーチがまだ健在だったのだ。希望はあるだろう。


「それで、これからの事は?」

「まだ何も。問題が一つ片付いたとはいえ、浄化しきったわけではないので。まだ異分子が潜り込んでいないとも限りません。そちらを片付けながら、皇樹の方も……、あぁ、やる事が山積みですね……」


 これまで保っていた平静もついに瓦解し、その奥からは疲労を濃く感じさせる表情が露出する。いかにミカナギ様と崇められていても、彼女自身はただの人間だ。目の前にいる電気ウナギもびっくりな発電が可能な人間とはわけが違う。


「あれを切り倒す手段だったら、少し思いついた事がある」

「本当ですか!?」

「お、おう……」


 まさかそこまで反応されるとは思っていなかったのか、和沙が少しばかり引いている。普段とのギャップが激しさから、その目が丸くなっているのを見て、織枝は小さく咳払いをする。


「で、その方法とは?」

「まだ確証が持てないからなぁ……。ある程度の保証が出来るようになったら教える。それまでは、そっちでも考えておいてくれ」

「焦らしプレイですか……。なかなかマニアックですね」

「お前そういうキャラじゃないだろ」


 疲れで若干キャラ崩壊を起こしている織枝を前に、呆れた表情を浮かべる和沙。いや、疲労が溜まっているからこそ、こうして気を抜いた一瞬に素が出ているのかもしれない。……これが本性なのであれば、それはそれでどうかとも思うが。

 ともかく、ここで何かが決まるという事は無く、和沙は結局方法とやらを一切織枝には告げず、来た時と同じように通気口の中へと戻っていく。あんなところを通れば汚れそうなものだが、もはや鈴音にわざと怒られる為にやっているのではないかと思ってしまう程だ。


「それもまた、兄妹のスキンシップといったところでしょうか……。あまり好ましいとは言えないけれど」


 鈴音の大変な兄を持ったものだ。そう思いながらも、織枝は少し羨ましそうに和沙の消えていった通気口を眺めていた。




「言い訳を聞きましょうか」

「……」


 自宅にて、案の定埃に塗れた服を着たままの和沙を、床に正座させた状態で鈴音が見下ろしている。顔は一応笑顔を作っている。目は笑っていないが。

 ここ最近の家事は主に鈴音が担当している。巫女と両立させるのは辛いのではないか、と和沙が気を遣うも、そもそも和沙の家事もどきが非常に雑で、二度手間になる事も多かったため、家の事は全て鈴音がこなしている、といったところだ。ついでに言えば、この街に来てようやく三か月経つか否かではあるが、鈴音の料理の上達は目覚ましく、今では和沙のそれを大きく上回っていた。その事に対し、情けなく感じる事はあれど、それだけの努力をした事を考えれば、抜かれるのは妥当だ、とは和沙本人の言葉だ。

 まぁ、和沙自身が興味の無い事にかける労力を最小限に抑えるスタンスであるため、一定まで行けば後は退化はするものの、上達しないという困った性格なのも問題なのだが。


「何をどうすればそんな風に汚れるのか、言い訳を聞きましょうか」


 もはや話を聞く、という言い方すらしてくれない。最初から和沙に非があるかのような言い方だ。いや、これまでの事を考えれば、そう思われても仕方がないのは当然だが、流石にそうではない時くらいある。


「ちょっと潜入を……」

「わざわざ埃まみれの場所へ?」

「いや、潜入口がだな……」

「埃まみれの場所を通ったと? そうしなければ行けない場所だったんですか?」

「まぁな、何せ相手は祭祀局のトップだ。そう簡単には会えないから、ちょっとした潜入を……はっ!」


 何やら異様な気配を感じる。それも、妹のはずの鈴音からだ。彼女の顔は先ほどのものよりもさらに満面の笑みとなっているが、その奥にあるものは決して芳しい感情ではない。むしろ、どこか和沙を咎めるような……。


「……織枝様に会わなければならないほど重要な話を、私に一切言わず、一人で行ってきたんですね。へぇ……」

「あ、いや、その……、ちょっと内々の話をば」

「まさか、親族に隠す程の内密な話を? それはそれは、随分と仲のよろしいことで」


 何を言っても言い訳にしかならず、口を開けば開くほど墓穴を掘っていく。確かに、関係としてはこの街どころか、この世界で最も親しい間柄である鈴音に事情を話さなかったのは失敗だったのかもしれない。

 だが、よく考えてみてほしい。いくら自身が所属している組織のトップとはいえ、実の兄にとある人物の排除を依頼した、なんて知れたら鈴音でなくともどんな反応をするか分かり切っている。血は繋がらなくとも二人は家族だ。自分の家族の手が血に塗れるのに、いい顔をしないのは当然の話だろう。


「は、話は終わったんだから、もういいだろ? 俺もそろそろ足がやばい……」

「まだです。私との話が終わってません。そもそも、兄さんは前から何でもかんでも自分一人で何とかしようとしすぎです。偶には私に頼っても~」


 まだまだ終わりそうにない鈴音の説教を、果たして聞いているのかどうか分からない放心した顔で受ける和沙。後程何を言ったのか復唱させられるのだが、当然、まともな受け答えなど出来ず、その事について更に説教を受けるのであった。

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