五話 騒乱の中の安寧

「……」


 朝、珍しく自分から起きた和沙の一日は、まず日光を遮っているカーテンを思いっきり横に引っ張って窓の外を眺める事から始まる。その向こうには、現代の美しい街並みが……広がっていたのは一週間前までの話だ。今はその近代的な街並みの一部は瓦礫と化し、その向こうには武骨な灰色の巨大な壁が立ち並んでいる。……そして聞こえる轟音。実にいい朝だと言える。


「……クソッたれ」


 本音を言えば、こうして目が覚める度にあの巨大な樹が消えていてはくれないだろうか、などと願っている和沙であったが、残念ながら現実という名の悪夢がそう簡単に醒めてくれるわけも無く、今日もまた東奔西走する羽目になるだろう。

 ふと、部屋の外から漂ってくる香ばしい匂いに誘われ、まだ寝ぼけまなこのおぼつかない足取りでふらふらと自室から出る和沙。リビングでは、まだ早朝にも関わらず、鈴音が朝の準備をしている。が、ここ最近のバタついたものではなく、どこかゆったりとしたものだ。


「あら、起きた?」


 どうやら、朝の準備をしていたのは妹だけではなかったらしい。キッチンの方から、エプロンを付けた睦月が覗き込んでいる。


「ほら、顔を洗ってきて。ご飯、すぐ出来るから」


 その声に大人しく従う和沙は、無言で洗面所へと向かった。




「……んん? 何でこうなってんの!?」


 トーストを口に咥えながら、ようやくこの状況が異常だと我に返り、以前のようにもはや定番の光景となっている、兄妹二人と食卓を一緒にする睦月に視線を向ける。


「どうしたんですか? いきなり立ち上がったりして」

「いや、どうしたもこうしたも……。俺ら、武器を向けあったよな?」

「えぇ、そうね」

「直に戦ったよな?」

「和沙君、強かったよね」

「ホワイ!?」

「……どうしたんですか、本当に。連日働きづめで頭でもおかしくなりました?」

「何で、敵対した相手の、家に平然と、いるんだよ!!」

「敵対?」

「してましたっけ?」

「そうなの?」

「えぇ……」


 和沙が呆然としたくなる気持ちも分からないでもない。皇樹が現れる直前に、和沙と睦月達は一度対峙し、その結果彼女達を和沙が打ちのめす、という状況に陥った。紆余曲折あり、そのあとは協力しあったものの、喧嘩を吹っ掛けた本人としては、まだあの時のわだかまりは消えていない、そう思っていたのだが……。


「なんかね、あまりにも清々しくやられすぎて、敵とは思えないのよ。あの後、お互いに協力しあったし、何なら、和沙君はずっと本部局と裏で協力しあってたって話だし」


 確かに、和沙は織枝とパイプを持っており、それ経由で色々とやってはきたものの、巫女達の味方か、と言われるとそれはそれで疑問に思われるところだ。


「それに、今絶賛実行中の作戦で、大変なところをサポートしてくれてるって話じゃない。そこまで助けられてるのに、今更どうこう言う気は無いわよ」

「……」


 鈴音に視線を向けると、彼女はそっぽを向いた。間違いない、十中八九和沙が秘密裏に手を出しているのを漏らしたのは彼女だ。他のメンバーならばいざ知らず、睦月の場合距離が近い事もあってうっかり口を滑らせたのだろう。一概に口が軽いとは言い切れない。逆に和沙は言わなければならない事を黙っている事もあり、この場は特に妹を咎めるような事はしない。


「……一応、極秘任務って事になってるから、他の人間には言わないでいただけると……」

「直接対峙した人間ならともかく、他の人がこんな話信じると思う?」

「おたくの立場と発言に対する信頼性の高さをを考えてからもう一度発言してもらおうか」

「??」


 小首を傾げてはいるが、彼女は巫女だ。その影響は少なくはない。ソースが無くとも、その立場の人間が発した情報だという事が知れれば、瞬く間に広がっていく事は確実だろう。

 騒動から一週間経った今、世間に和沙の事が知れ渡っている様子は見られない。そう考えると、彼女の口だけでなく、あの場で戦いを共にした全員が和沙の事を黙っているのだろう。……もしかすると、織枝が緘口令を敷いているのかもしれないが。

 何はともあれ、こうして一緒に食卓を囲えるレベルには関係は良好という事だ。それを喜ぶべきか否かは、また別の話だが。


「それに関してはまぁいいとして。今日も私達は例の壁建設の為の露払いに出ますが、兄さんはどうします?」

「どうするって……、昨日まであれだけこき使っておいて、更に酷使するつもりか? これじゃあ学業に影響が出るかもなぁ」

「学校はしばらく休校です。その手は通用しませんよ」

「ぐぬぅ……」


 あまりにも白々しい言い方ではあったが、残念ながら最近和沙の生活態度に厳しくなってきた妹には一切通用しない。しかしながら、情報網は彼女の方が広い筈なのだが、何故その言い訳が通用すると思ったのか。


「あ、それなら、ちょっと私のところ手伝ってくれない?」

「睦月さんのところですか? 何かありましたっけ?」

「私と私のところの従巫女と、あとは瑠璃ちゃん達と一緒にちょっとした激戦区を担当するのよ。それを手伝ってくれないかな、って」

「大変ですね……。そういう事ならいくらでもお手伝いしますよ。……兄さんが」


 和沙の意思など無視し、今日一日の予定がどんどん決まっていく。当然抗議の為に声をあげようとするも、非常に圧力のある笑顔を鈴音に向けられ、思わず尻すぼみしてしまった。

 悲しいかな、いつの間にか逆転していた立場を、和沙はどうする事も出来ない。

 少女二人が姦しいやり取りをしている横で、和沙は一人朝食を黙って口に運んでいく。

 実のところ、学校が休校なのを利用して、しばらくは家でぐーたらしようと計画を立てていたのだが、どうやら鈴音にはお見通しだったようで、連日のようにその日の予定を突っ込まれていた。更に言えば、反論する余地すら与えないかのように次から次へと仕事を持ってくるので、休む暇すら無いというのが現実だ。そろそろ過労死ラインが見えてくるのではないだろうか。


「ほら兄さん、早く食べちゃって下さい。さっさと仕事を終わらせれば、その分休めるんですから」

「せめて一日くらい丸々休みをくれても……」

「まだ一週間程度ですよ。問題ありません」

「問題なのはお前の頭だ!!」


 どれだけ反論しようとも、やるべき事を決めた鈴音には届かない。大人になれば責任感がどうの、と言うが、この年で持ってもらっても困るだけだろう。いや、無いに越したことは無いが、それにしてもまだ十四歳とは到底思えない。

 少し前に、本当は年齢を詐称してるんじゃないか、と興味本位で問いかけたところ、笑顔でビンタをもらっていたのは秘密だ。




「やるのはいいけど、あんまり表には出ねぇぞ」


 鈴音と別れ、先を歩く睦月の背中をトボトボとした足取りで追いかけながら、和沙はそう言った。

 戦う事に関しては、そもそもそれくらいしか出来る事が無いと割り切っているからこそ別段口は挟まないが、大々的にやるのかそれとも秘密裏に処理してくのかで色々と話しが変わってくる。状況によっては、得意とする戦法が封じられる場合もあるのだ。この辺りは明確にしておいた方がいいだろう。


「大丈夫よ。和沙君の力が必要になったら、従巫女の子達は下がらせるから。小型、中型に対処するだけなら、あの子達でも問題無いけど、今日これから行くところは多分、大型も出てくるだろうから、あんまりあの子達に任せられる現場ではないの」

「だから、俺を連れてきた、と?」

「そういう事。それに、最近瑠璃ちゃんが和沙君に会いたいってずっと言っててね」

「……誰?」

「灘瑠璃。ほら、鈴音ちゃんと同じで、私達のメンバーにも刀を使う子がいたでしょ? その子」

「あぁ、そういやいたな……。なんか一方的にボコった事しか覚えてないんだけど……、まさか、お礼参りか!?」


 なんとも物騒な話である。少なくとも、和沙に関しては同じ境遇にあった場合、そうするのだという事が分かった。


「違うわよ。あの子、和沙君に興味を持ったみたいでね。それで、色々と教えてあげてくれないかな、って」

「え~……」


 苦虫を噛み潰したかのような表情で、腹の奥から心底嫌そうな声を漏らす。それを聞き、睦月は苦笑いを浮かべる。


「そこまで嫌?」

「だって、あいつってあれでしょ? 俺と鈴音がこの街に来たばっかりの時、やけに敵視してきた奴でしょ? ……そういや、あれの妹にも敵意向けられてたな。なんてこった、俺の周りは敵だらけだ」


 大層な事を口走ってはいるものの、その顔からは緊張感などは感じられない。実際、和沙を敵視しているものに万が一襲撃されたとしても、彼は片手間でその全てをあしらうだろう。


「そう言わずに。あの子もまだ中学生なの。だから、面倒かもしれないけど、少し相手をしてあげて、ね?」

「……後で請求してやる」


 何を、どこに、かはこの際聞かない方がいいだろう。世の中には、知らない方が幸せな事も沢山ある。睦月もまた、ぼそりと和沙が呟いた言葉に首を傾げはしたが、追及する事はなかった。

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